「第二章」暴走列車
「第十二話」国からの依頼
「なぁ」
「……」
「……おーい」
「……」
もはやこっちを見てさえくれない。見た目とは不相応な洒落たグラスに入った牛乳を口に含みながら、俺にばっちり背を向けている。
依頼解決から一週間が経ったが、アウニルが口を利いてくれない。
理由はまぁなんとなく察しがつくし、むしろアレぐらいしか思いつかない。
「いや、流石に悪いと思ってるよ。でもさ、”アレ”は不可抗力じゃん……」
「……」
「いきなりスッポンポンで出てこられたらそりゃぁ嫌でも目に入ってくる。なぁ、分かってくれよ。もう一週間だぜ?」
「……ほんっとうに、分からないんですね」
喋った。俺は目を見開きながらも、しっかりと謝ろうと決意した。──が、しかし。
「分からないって、何が?」
「ええ、あなたの言う通りですよ。あなたが私の裸を見たことは、服を着ないままあなたの方に行った私の落ち度……あなたはなんにも悪くありません。むしろ被害者です」
「えっ、じゃあなんで怒ってるんだ?」
バァン!
中身が空になったグラスを握り締めながら、反対の拳をテーブルに叩きつける。
「!?」
「私が怒っているのはその後の発言です! なーにが『大丈夫。俺は年上しか興味ない』ですか! まるで私のことを女として見てすらいないとでも言いたげですねぇ!?」
あーっと、えっと。
うーん?
「え?」
「え? じゃないですよフォルクト! いいですか? こう見えても私は男の人に裸を見られたのはあなたが初めてだったんですよ!?」
「う、うん。ごめん」
「……はぁ、もういいですよ」
不貞腐れたような、呆れたような顔でアウニルは机に突っ伏した。
「……それと、実は私ってあなたよりも二百歳ぐらい年上なんですよ」
「は!? ……あー」
いきなり何を言い出すのかと思ったが、そういえばこいつ不老不死だった。あながち言っていることは間違いではないのかもしれない。
「……でもまぁ、だからって子供の身体に欲情はしないけどな」
「それは、そう、ですよね」
なんだか少し残念そうな顔をしているアウニル。なんでだろう、俺そんなに傷つくようなこと言っただろうか?
「まぁ、あれだ。俺が【業火の魔女】をぶっ殺せば、お前に掛かってる呪いも解けるじゃん。そしたらまぁ、十年後ぐらいには色っぽくなるんじゃねぇかな」
「──っ!」
バリン!
何かが割れるような音が隣から響く。見るとそこには血の滴るグラスの破片と、それを覗き込むように蹲っているアウニルがいた。
「……アウニル?」
「そう、ですね」
垂れ下がった前髪をかき分けながら、アウニルは俺に向かって笑ってきた。
「その時は、ちょっとぐらいは好きになってくださいね」
まるで、他人事みたいな言い方だった。
すみません、お店のコップを割ってしまって。その笑顔の裏に押し込められた言葉がなんだったのか、俺は考えれば考えるほど苦しくなってきた。
「おはよう、二人共。……どうした?」
噛みタバコを嗜みながら二階から降りてきたエメットは、特に動揺していなさそうな表情と声色で尋ねてきた。
「えっと、エメット」
「なんでもないです、エメットさん」
俺の声を遮るように、アウニルが元気な声を出した。そのまま椅子から立ち上がり、自分で握り潰したグラスの破片をかき集めてエメットの前に持っていき、そのまま頭を下げた。
エメットは一瞬だけ目を見開いたが、直ぐに優しく目元を緩ませた。
「あそこに紙袋がある。それは、そこに入れておいてくれ」
アウニルは深く頭を下げたあと、逃げるようにエメットが指さした方向へと走っていった。その背中に手を伸ばすが、どうしても椅子から立ち上がってまで追いかけることはできなかった。
「お前、アウニルになにか言ったろ」
全てを見透かしているかのような、落ち着いた言い方だった。
「……分からない」
「そうか、じゃあ次からは気をつけるんだな。あいつがどんな境遇に立っていて、どんなことに頭を悩ませているのかをよく考えて……な」
俺を無感情に見つめながら、エメットは噛みタバコをゴミ箱に向かって吐き捨てた。俺は何も言うことができなくて、叱られた子供のようにただただ黙って俯いているしかなかった。
「さて【執行人】よ、そろそろ仕事の話をしようか」
「──魔女か」
この瞬間、俺は俺自身に対してひどく失望したし、同時にそれでこそお前だと心の中で拍手をした。所詮俺は復讐者で、目の前にある理性ある人間関係よりも、血の滴る次の獲物のほうが魅力的に見えてしまう。
「この国の首都ニュアージュ、そこに流れる黒い噂がある。──『悪夢の霧』。昼夜問わずに突如現れ、霧の中に閉じ込めた人間の臓腑を抉り取る魔霧」
「被害者の遺体の形相はいずれも苦しみに満ちており、まるで悪夢の中で死んでいったような顔をしている。あれは十中八九魔女の仕業だな」
噂程度でなら何度か聞いたことがある。
やれやれしかし、この依頼が来たということは、つまり。
「察しの通り、国からの依頼だ」
「……面倒だな」
何度か国からの依頼は受けてきたが、あいつらは条件にうるさい……街を壊すな被害肌砂など、路上封鎖もしてくれないような鬼畜難易度を平気で押し付けてくる。仮に失敗すれば、お得意の人海戦術で面子を掛けて潰しに来るだろう。
「断ればお前だけではなく私も殺される。まぁ、精々頑張れ」
「よく言うよ。あんたは魔女でも殺せないような【魔女狩り】なんだぞ? 俺達人間なんかじゃどうにもできねぇよ」
「過大評価だな。今の私は、単なるバーのマスターでしかない」
俺とエメットは暫くの間無言で互いを見つめ合った。殺意ではない、かといって親しい意味でのものでもない……ただ、お互いの立場と実力を確認するように、獣同士が睨みを利かせ合っているように。
「……今日だけ特別だ。何が食べたい? 今すぐ作ってやる」
「ほんとか? じゃあ、そうだな……カルボナーラで」
「分かった、十五分待ってろ」
そう言って、エメットは厨房の方へと消えていった。足取りは重く、若干片足を庇うように不規則に。
「……ほんと、最強”だった”んだけどな」
何度許されても、気にしなくていいと言われたとしても。
あの人の復讐を、振るうための刃を奪ったのは……紛れもない俺の罪だった。
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