「第九話」魔女狩りの時間

廊下を歩き進んでいくと、より一層鼻の奥を殴りつけるような激臭が漂ってきた。

 何か手がかりがあるかもしれない、と。私は鼻を摘みながらも前へ進む。すると右側に大きな……といっても私から見れば大きいという、何の変哲もないただの扉があった。


 (ひどい臭い。この扉の向こうに、一体何が……?)


 嗅いだことのない、普通ならば嗅がないであろう屋敷全体に染み付いた激臭の原因が、おそらくこの中にはある。そしてそれは、この屋敷を攻略するためのヒントに成りうる……私は心の何処かでそう確信していた。


 ドアノブに手を伸ばし、掴み、捻る。──ゆっくりと開け放たれたドアの向こう側から、更にきつい刺激臭が鼻腔を突き刺した。

 

 だが、それだけではない。

 そこには一目で分かる、分かってしまうような地獄が広がっていた。


 「なに、これ──」


 後退り、思わず声が出てしまう。

 無理もない、仕方ないと自分の中で納得する。なんだこれは、なんで……なんで人間が首を吊って死んでいるんだ!? ──いいや、違う。気づく、これは……これは! 死んだ後に首から縄で干されている!


 (首吊り自殺なら足元に死後失禁の跡があるはず。なのにここにはそれがない……この人たちは、死んだ後に首を吊られているんだ)


 喉の奥から酸っぱい激流が溢れてきて、一気に床にぶち撒けられる。脳裏には恐怖が、かつて魔女に囚われていた頃に強いられていた地獄のような毎日が一気に蘇る。


 「はぁ、はぁ……に、逃げなきゃ」


 ここにいたら、殺される。またあの時のように、生きたまま内臓を啜られ抉られ瓶詰めにされてしまう。嫌だ、そんなのはもう嫌だ。


 ──魔女の食料庫に入っておいて、よくもまぁそんなに堂々と背中を向けられるな。


 声。背後から聞こえたそれに振り返るよりも前に、左の視界が吹き飛ぶ。


 「……ぁ」


 顔面が吹き飛ばされた。脳漿がぶち撒けられ、ジュクジュクと痛む傷口が少しずつ再生しようとしている……痙攣する自分の体は動かず、『逃げる』という選択肢を取る事ができるような状態ではなかった。


 『ほう、お前は不死なのか』


 聞き間違えでは、無かった。

 首からぶら下がった死体のうち一体。俯いていた女性の形をした死体の目線が、私の方へとぎょろりと向けられた。


 『お前を食い尽くせば、私も不死になるかねぇ?』

 「ま、じょ……!?」


 直後、石造りの床が隆起し……動けない私をゆっくりと、ゆっくりとその首吊り魔女の方へと近づけていく。

 抗うことも、逃げることもできず。

 干からびた魔女の口が開かれ、肉を潰す音と共に閉じられた。


 ……痛みは、無い。


 『き、さぁ……まぁ!?』

 「……?」


 恐る恐る、目を開ける。

 そこには私と魔女の間に立つ、頼もしい背中があった。

 

 「あっ、ぁあっ」

 「すまん、遅くなった」


 片腕を盾に、食らいつく魔女の気迫に怯むこと無く……彼は身の丈ほどもある錆びれた剣を、肉を食い千切ろうとする魔女の顔面に向かって振るった。

 吹き飛ぶ魔女。吊るされた死体を巻き込み、壁に叩きつけられる干乾びた肉体。いとも容易く蹴散らされた魔女の肉体を見て、私は自分の無力さに心底嫌気が差した。


 「……フォルクト。私、私っ」

 「ありがとう、アウニル」


 え? 予想外の言葉を投げられ、私の目線は上を向く。


 「お前のお陰で魔女の本体を見つけ出せた。俺一人だったら、絶対に見つけられなかった。──ごめん、痛かったし怖かっただろ」


 後は任せろ、と。

 彼は首だけを私の方に向け、頷いた。


 「……んで、どうせ生きてるんだろ?」

 『【しっこぉぅにぃいいいいいいいいいん】っっッッ!!!!!」


 ぐちゃぐちゃになったはずの魔女の肉体。それは周囲の死体を取り込み、肥大化し……そのまま原型も残らないほど醜く巨大な肉の化け物へと変貌した。

 だがフォルクトは怯まない。臆することも態度を変えることも、変に構えを堅くする事もなく……ただ自然に、緩やかに隙の無い構えを取った。


 「せいぜい祈れ、魔女狩りの時間だ」


 それはまるで、炎の如く静かに揺らめく怒りだった。




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