「第七話」屍肉屋敷
地獄のような痛みが塞がっていく感覚と、鼻が爆発するような激臭で目覚めた。
起き上がると、自分の半身が滅茶苦茶になっているのが見えた。上半身と下半身が泣き別れていて、それでも双方がくっつこうとぞわぞわと引き寄せられ、やがてくっつき完全に治る。
それはそれは何事もなかったかのように。
常人であれば、既に二回は死んだであろう致命傷は、その痕跡と傷跡ごと消え去っていた。
「……」
どうやら私は屋敷の中に突っ込んだらしい。バラバラになった馬車と、首が変な方向に曲がって動かない馬が石造りの床の上でぐったりと倒れている。……だというのに、屋敷の壁などに壊れた跡は見受けられない。
(魔女の魔法か何かでしょうか? ご丁寧に出口まで塞がれてますね)
変に冷静な自分に驚いていたが、正直そんなことはどうでもいい。
今の私がすべきことは何か? それは、一刻も早くフォルクトのもとに戻らなくてはならないということだ。
無論、あれだけ大見得を切って、無理を言って、差し伸べられた手に泥を塗ったまま終われるわけがない。
この屋敷に魔女はいる。倒すことはできなくても、倒すための手がかりを得ることぐらいならできる。
彼は、フォルクトは死なない。
必ずあの巨大な怪物を打ち倒し、魔女を殺すべくこの屋敷にやって来る。──私にできるのは、そんな彼の進む道に散らばるゴミを前もって片付けることぐらいだ。
「……役に、立つ」
拳を握り締め、私は立ち上がる。すかさず懐に手を突っ込みまさぐる……指先に感触が三つ。良かった、どれもこれもきちんと使えそうだ。
私はそのうちの一つである懐中電灯を取り出し、スイッチを押して明かりを点ける。よし、使える。これならこの薄暗い屋敷の中も……ん? なんだ、この揺れ。
(地震じゃ、ない。この屋敷全体が揺れている。いや、これって……)
考えるよりも前に、埃を被った石床が突き破られ、中から手が出てくる。それはそれは、腐りきった人間の腕が……そこから上半身が、下半身が! 一体だけではなく二体目も出てくる、出てくる。──私を見て、死体共は迫る。
「っ!」
逃げる。踵を返し、必死に逃げる。
しかし私が走った方向に突如壁が現れる。それは肉だった、腐った肉の壁……どくんどくんと脈を打つ肉の壁だった!
(間違いない。この屋敷は丸ごと生きている……この屋敷全体が、魔女の身体なんだ!)
気付いたとしても、もう遅い。
迫りくる二体のゾンビを前に、私は逃げることもできず、立ち向かうことすら思い浮かばず……ただただ、その場にへたり込んだ。
……いいや、まだだ。
何のためにここに来た、彼に大見得を切った自分の覚悟はそんなものだったのか?
「……ぅ」
戦え。
動け。
どうせ私は、死なない!
「うぉぉぁああああああああああああああ!!!」
持っていた懐中電灯を投げつける。ばりん! 明かりが消える。私の唯一の武器も消えた。
「来るなら来なさい! 同じ不死身同士、どちらが先に死ぬか勝負です!」
避けることを前提に、隙あらば真横をすり抜け逃げるつもりだった。
だが。
「……あれ?」
来ない。
まるで獲物を見失った獣のように、きょろきょろと……ゾンビ共は私の目の前で首を左右に振ったのち……私に背を向け、自分たちが開けた床の穴に入り、消えていった。
「たすかっ、た?」
疑問、困惑。
そして何より、安堵した。
「……ふぅ」
深呼吸を繰り返し心を落ち着かせた私は、ひとまず今の状況を整理することにした。
まずこの屋敷は生きている。
どういう訳か知らないが、冷静に見てみるとこの建物全体から気味の悪い気配が万遍なく漂ってきている。それほどまでに魔女の力が強いのかとも思っていたが、それは違った。
本体から離れていても伝わるほどの魔力の持ち主なのではなく。
この屋敷自体が、魔女の本体だったのだろう。
(あの時私の逃げ道を塞いだ肉の壁も魔女のものだとすれば、概ね納得がいきます)
有力な情報だった。この屋敷全体が魔女の身体であり、通路を塞いだり形状を変化することも自由自在……即ち、私は今魔女の腹の中にいるということなのだろう。うまくやれば、魔女の腹の中から攻撃できるかもしれない。
そこはいい。
そこは理解できる。
だが、問題はあの瞬間だった。──何故、あのゾンビたちは私を襲うのをやめた?
(投げた懐中電灯が効いた? いや、それじゃあもう片方のゾンビが動かなかった理由にならない……)
様子もおかしかった。目の前に私という獲物がいるくせに、まるでそれを見失ったかのように周りを見てから……諦めたように、去っていった。
(目が見えない? ……違う。ちゃんと目が合いましたし、その後に襲ってきました)
視認しているのは間違いない。目から得た情報に基づき、あのゾンビたちは私を襲ってきた。──では何故? 何故一度敵として捕捉した私を、みすみす見逃すような真似をした?
(……そういえば)
懐中電灯を投げ付けた時、二体とも目線は懐中電灯に向かっていた。私ではなく、徐々に光が消えていく懐中電灯を……そして光が消えたら、様子がおかしくなって。
あれ?
(……もしかして)
そうか、そういうことだったのか。
奴らは私という侵入者にではなく、私が持っていた懐中電灯……それが放っていた”光”に対して敵意を向けていたんだ。
だが、何故?
何故光を嫌う? 何故光を消そうとする?
仮に御伽話の吸血鬼のように光や太陽が苦手であるのであれば、きっとこの屋敷の魔女は窓を完全に閉めるだろう。さっきから僅かではあるが、太陽の光がほんの少しだけ漏れ出ている……多分、純粋に光が弱点というわけではないのだろう。
(光ではないけど、光の要素を持つ何か……)
もう少しで、何かが見える気がする。魔女の弱点が、決定打になり得る答えが。
「……調べないと」
そのためには、もっとこの屋敷を調べなければならない。
下唇を噛み、痛みと血の味を口全体に含ませ……私は恐怖を押し殺しながら、更に屋敷の奥へと進んだ。
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