「第五話」テネブルの森
テネブルの森の中は昼間だというのに薄暗い。
馬車の窓から見える景色からは特に変わった様子などは見受けられなかった。特に色気のない、冬の枯れ木が並び立つただの森……そう、ただの森だ。鳥のさえずりも、虫の一匹すらいない静かな森だ。
俺は微かに感じていた。身の毛がよだつような気配を、それを放つ醜悪な存在を証明するものを……この森の奥に、魔女はいる。
(やることは変わらねぇ。魔女を見つけて、ぶっ殺す。それだけだ、いつも通りそれだけなんだ)
「どうせなら車で来れば良かったのに……こんなに歩かされて、馬さんが可哀想です」
そう。
こいつ以外は。
「お前、マジで着いてきたな」
密室。
向かい合わせの席に座るちっこい金髪の少女を、俺はほんの少しだけ細めた目で見る。
「私が冗談でここまで来るとでも思いましたか?」
だがアウニルは動じなかった。それどころか俺の目をしっかりと、芯と覚悟のある目で見つめ返してきたのだ。
「私にはやらなければならないことがある。この手で殺さなければならない魔女がいるんです」
ああ、そうか。
こいつも所詮、俺と同類でしかなかったのか。
許せなくて、許せなくて。だから殺すために時間と命を使い続け、許せないという思いだけに身を任せて体に鞭を打ち続ける……そんな、終わってしまえば空っぽの、つまらない存在。
「教えてくれなんて言いません。あなたの邪魔をするつもりも、守ってもらうつもりもありません」
だから。そう言って、アウニルは頭を下げてきた。
「あなたの技を、魔女を殺すための術を……すぐ近くで見せてほしいんです」
上げられた顔を見て、俺は思わず絶句した。
その目には光があった、目先の欲を見据えた程度では無いほど強い光が。先を、未来を、明日に昇る光へと向かわんとする強い意思を。
だが。
「断る」
「っ!?」
それとこれとは、話が別だ。
「……どうして、ですか」
「俺にメリットが無いからだ。俺はお前を使ってある魔女を誘き寄せる……その前に他の魔女に連れ去られるようなヘマだけはしたくねぇ。だからお前を外には出したくなかったし、これからの【魔女狩り】には連れて行かない」
「メリットなら魔法の知識があります! 誰も知らない魔女への対策を、人間が魔女を殺すための術を持ってます!」
「そんなもん鍛錬でどうにでもなる。小細工なんか無くたって人間は魔女を殺せるんだ」
遠回しに、自分が『復讐なんてやめろ』と言っていることに気づく。そんなことをしても意味なんて無いと、残りの人生を有意義に使ったほうが利口なんだと。
俺は鏡が嫌いだ。だから俺は、まるで心の中を鏡で映し出したようなこいつが嫌いなんだ。
「……です」
「あ?」
蹲っていたアウニルが顔を上げる。
「進めないんです! このままじゃ私、どうやっても明日に進めない!」
「はぁ?」
急に何を言い出したかと思えば、急にポエムか?
だが次の瞬間、鼻で笑うような俺の生温い考えや嘲笑は打ち砕かれた。
「頭から離れないんです。夢の中で、並べられたお父様お母様お兄様お姉様の首……それが全部、私に恨み言を言ってくるんです」
静かだった。
興奮してはいるが、それはそれは静かで、味気のない語り部だった。
「……で、その怨念じみた家族の無念を果たすために魔女を殺したいってことか? そんなあやふやな理由で──」
「違う。これは全部、私が生み出した都合の良い妄想」
ぽろぽろ、と。
溢れる涙を抑えようともせず、アウニルは語る。
「恨んでくれたらいいなって、憎んでてくれたらいいなって……そうだったら楽なのになって、思ってしまった私の甘えなんです。そんなことをあの人達が言うはず無いって、私が一番わかってるのに、私は」
ようやく涙を拭った。
「……私は魔女を殺さないといけない。でもそれは、復讐のためだけじゃない」
片手で、眼球に傷がつくのではないかと心配になるぐらいに力強く。
「私を、辛い現実から逃げようとした私に……ケジメを付けたいんです」
前言撤回だ。
こいつは、俺とは違う。俺みたいな、終わるための復讐を志しているようなつまらない人間ではない。──逆だ、むしろ逆なんだ。こいつは、未来を歩む自らの後ろ髪を引く全てを片付けるつもりなんだ。
「……はぁ」
ここまでの覚悟を見せられてしまっては、流石に負け逃げはできない。
「マジで死ぬぞ」
「お互い様ですよ、そんなの」
「……言ってくれるじゃねぇか」
パンチの効いた皮肉を受け、俺は少しだけ口の端を釣り上げた。
「いいぜ、その話乗った」
「──それっ、て」
俺は、俺の真反対の道を歩もうとする復讐者に右手を差し出した。
「俺はお前を餌として利用する。お前は俺から魔女を殺すための術を学ぶ。──どうだ? 悪くない話だろ」
「……はい!」
迷わず躊躇わず、俺の手を両手で掴んでくるアウニルは笑顔だった。
不安も恐怖も、一点の曇りすらない純粋な笑顔。それは彼女が固く結んだ覚悟の質を、ただの人間が踏み入ってはならないような狂気が桁違いだということを示していた。
「絶対に成し遂げましょう。お互いに、前に進むために!」
「……そうだな」
やっぱりこいつは、俺とは違う。
半端な覚悟で殺してる俺とは、断じて違うのだ。
──ぞわり。生温い吐息のような気味の悪い悪寒が、鳥肌をすり抜ける。
「あれ、馬車が止まりましたね?」
様子がおかしいことに気づいたアウニルが外に出ようとする。
「待て」
俺はそれを静止し、恐る恐る窓の外へと目をやる。
馬車は既に森を抜けていた。窓の外からではよく見えないが、手入れのされた木のようなものが見える……既に屋敷の敷地内に入った。──いいや、縄張りに入ったと言うべきだろう。
「馬の様子を見てくる」
「あっ、私も」
「駄目だ、待ってろ。妙な気配がする」
アウニルは一瞬口を噤んだが、すぐに飲み込んだ。
「……分かりました」
「うし、行ってくる」
アウニルの頭を粗雑に撫で、俺は外に出た。
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