「第二話」来客は魔女 

 「ただいまぐらい言ったらどうなんだ」


 照明の明かりが漏れた扉を開けるやいなや、重めの声が店内に響き渡る。

 ボサボサの黒髪、柘榴のような赤い目、長く細い手足。吸血鬼を連想させるような色気と美しさを醸し出す彼女は、いつ見ても三十過ぎの女とは思えない。


 そんな美しいこの店の店主エメットはなにやら大変ご立腹らしい。その証拠にワインの瓶をしつこいぐらい布で磨き続けている。昔からそうだ、彼女は不機嫌な時は決まって何かを異常なぐらい磨くのだ。


 「何故一時間も遅れて帰ってきた」

 「長引いたんだよ。逃げるし、しぶとかったからな」

 「私がこの店にお前を住まわせ、そして仕事を与えているのは慈悲ではなく契約に基づくものだ。……それを分かった上で、お前はそんな態度を取るのだな」


 やれやれ、これは思った以上にキレている。参ったな、今このクタクタの状態でコイツと戦うのは正直しんどい……どうにかしてなだめるしかないか?

 

 「今すぐ表に出ろ。……と、言いたいところだが」

 

 そう言って、エメットは握り締めた拳を開き、俺を指さしてきた。 

 正確には、俺の後ろに隠れたアウニルを。


 「どういうことか説明してもらおうか」

 「魔女に襲われてたから助けた。行くアテも無いらしいし、仕方ないから連れて帰ってきた……他に質問は?」

 「……」


 エメットは感情の抜けきった表情でしばらく俺とアウニルを見つめ、その上で懐から一粒の噛みタバコを取り出し、その中身を口に運ぶ。──どうやら、ひとまず許してもらえるらしい。


 「そこに晩飯で作ったカルボナーラの余りがある。……が、門限破った罰としてお前は飯抜きだ」


 私はこれを噛み終えたら寝る。 

 そう言って、エメットは自分の部屋である二階への階段を登って去っていった。


 カウンターの奥、端っこらへんに目をやるとそこには確かに麺が盛り付けられた皿が置いてあった。


 「……おい、カルボナーラだってよ。食うか?」


 そう言って俺は料理が乗った皿を差し出す。なんだか作り置きにしては温かいし麺も美味そうだななんて思っていた。──その、瞬間。


 「……っぅ!」


 アウニルは皿を奪い取り、その上に乗っている料理を手づかみで食べ始めたのだ。


 「!? おい、フォーク……」

 「んんんっ、んんっっ!!!!」


 半狂乱にでもなったかのような勢いと迫力で皿の上の麺を噛みちぎり飲み込み、また咀嚼し飲み込んでいく。俺も死ぬぐらいの空腹を味わったことは何度かあったが、流石にこのがっつき具合は異常だと思った。

 

 「……おいしい」


 でも、それはすぐに妥当な反応なんだということが分かった。


 「おいしいよぉ……」

 「──」


 ポロポロと涙を零しながら、顔を真っ赤にしながら。

 返り血塗れの俺にしがみついて、助けてくれと頼ってくるぐらいに肝が据わっているくせに。


 ──大丈夫だ。

 ──ここにはもう、お前を殺そうとする奴らはいない。

 ──だから、食え。食って生きろ、死んだお前の大切な人たちの分まで。


 「……」


 生きるために食べている。

 後で死なないためにじゃなくて、未来を生きるために食べている。

 

 あの時の俺とは違って。

 とにかく死にたくないと怯え震えていた俺とは、真逆だった。


 「おいしかったです! ああ、いつぶりでしょう……まともにご飯を食べるのは」

 「は? 久しぶりって?」

 「……私、昨日まで魔女に捕まってたんです」


 驚かないでくださいね? 

 アウニルは朗らかな笑みを少しだけ崩し、俺の問いにゆっくりと答え始めた。


 「私って魔女から見ればすごく貴重っていうか、希少らしいんです。だから魔法の実験とか、素材とか、そういうのにするために……」

 「そう、なのか。一人で逃げてきたのか?」

 「ええ、はい」


 平静を装っていたが、俺は内心とても驚いていた。魔女に捕まってもなお五体満足で生きているこの少女……その生存力と神がかった運に対して。


 「逃げなきゃ、何度も殺されるだけですから」


 アウニルの表情は、埃を被った人形のようだった。


 想像する。

 死なない身体というものを、その上で何度も殺されるという日々を。──それを表せる言葉が、地獄以外にあるだろうか?


 「もしもあの時あなたが助けに来てくれなかったら、多分また連れ戻されてました」


 ありがとう、と。

 これ以上の詮索をしないでくれと言わんばかりの、ホッとしたような顔だった。


 「すっごく、スッキリしました」

 「……」


 別に、コイツに直接確認したわけではない。

 魔女に囚われているという絶望的な状況で彼女が受けていたのは想像通りか、それよりはマシか……もしくは、それらを遥かに上回る地獄を味わっていたのかもしれない。


 「まぁその、なんだ?」


 でも、これでハッキリした。

 やはり魔女は、あの外道共は……俺が皆殺しにしなければならないのだ、と。 


 「魔女共は、俺が殺す」

 

 だから、安心していいぞ。──そう言ってアウニルの方を見ると、こいつはぽろぽろと涙を流していた。


 「お、おい」

 「ごめんなさい。でも悲しいとか、痛いとかじゃないんです」


 ゴシゴシと目元を擦り、鼻水を啜り。


 「嬉しいなって、すっごく幸せだなって思って」


 安堵だった。

 心からの安堵、自分の命が脅かされないのだということへの安心感。彼女はそれを、本来保証されるべき至極真っ当な権利を手にしたことで、大いなる喜びに包まれているのだ。


 「……そりゃあ、よか──」


 店の、外。

 窓の奥、電灯に照らされた外に見えた何かが、俺に剣を握らせた。──だが、間に合わない。


 「──アウニル」


 その名を言い終える頃には、既に赤い花が真っ赤に飛び散っていた。

 脇腹の下辺り、彼女の小さなそこに何かが飛来し……確実に貫いた。血液、肉片、それ以外の生々しい色彩が、床に倒れ伏せながら虫の息をしている彼女を中心に広がっている。


 「っ……」


 何か、湧き煮立つような感情が吹き出そうになるが、抑えた。

 既にこの場は戦場、殺し合いの場……ならば、敵はすぐそこにいる。


 『店を汚してすまないねぇ』

 

 まるで客のように、何事もなかったかのように入ってくる人の形をした化け物。

 黒いドレスのような格好に、洒落た尖り帽子を被った女……その異様に整った顔の均衡を崩すかのように、鼻は異常に長く高かった。

 

 『せめてもの詫びだ。──そのガキを寄越せ、見逃してやろう』





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