第19章 時間と空間

高山が話した顛末はこうだった。



 しかし、その真実は高山本人とマキオだけしか知らない事なのだ。

高山が全ての事実を語ったという核心も無いのだ。
多分全ては語っていないと思う。いまだに彼はこの件に関しては多くを語りたがらないからだ。



 あの満月の夜。
先行して発進したマキオのGPZを追って、高山の駆るZZRも追走を開始した。


マキオのマシンがホイルスピンした白煙が妙に月光に映えて青白く見えたと言う。
高山のZZRも、その巨大なパワーを全開にして軽々とパワーリフトを起こした。

しかし、その暴れるマシンを手なずけるのは高山にとってはお手のものだ。


ただ、パワーリフトは加速にロスを与えるだけだ、高山はリフトしながらマシンのギヤを繋ぎながらリフトを押さえ、マシンのカウルに身を伏せた。


前方を見ると、マキオの駆るマシンのテールランプが遠ざかって行くのが認められた。



 高山はスロットルを煽りマシンを加速させた。


さすがに最新鋭のカワサキのマシンは、なんの抵抗も無く加速をする。


<乗りやすいマシンだ>と高山は感じた。


普段レースで使用しているRS250に比べたら本当に楽で早いマシンだと改めて感じたのだ。
しかし、その時マキオの駆るGPZの事を高山は思い出していた。

つい、数日前に乗ったマシンの事だ。


あのレーサーよりも乗りずらいマシンを、あいつはよくコントロールしている。高山は、そう思った。
常に高回転をキープし続けなければ、あのマシンを早く走り続けさせる事は出来ない。


ターボの効く範囲は狭いし、パワーバンドも極めて狭い。
これから、アップダウンの続く高速の峠でシフトミスをすれば一気にパワーは落ちるはずだ。


<マキオの腕の見せ所だな...>


そう思い、改めて前方を見ると、マキオのテールが視界から消えていた。


<やばい、これは本気で行かないと...>


そう思うと同時に高山は改めてスロットルを絞り上げた。


月夜の高速が月光に照らし出されて、青白く浮き出ている。


関越はすでに渋川伊香保インターを遠に過ぎて、赤城山の裾野を行くアップダウンなコースに入っていた。


マシンのスピードメーターを見ると針が200キロの前後を行き来している。
レースでスピード感になれた丸山にとっては驚くべきスピードでは無いが、月明かりとマシンのライトに照らされるだけの深夜の高速での200キロ近い巡行は、精神をすり減らす走行となる。


緩いカーブも、この速度では気の抜けないカーブとして迫って来る。


そして、風圧も相当のものになっている。


<マキオも相当神経をすり減らす走行を強いられているはずだ...>


そう高山が思った時、先行するマキオのマシンのテールを捕まえた。


<見えた...>


高山は再びスロットルを絞り込んだ。


関越の登りはいったん緩やかになり、赤城高原地帯の直線が目前に迫っていた。


高山のZZRはマキオのGPZのテールを捕らえた。


そして、その距離は徐々に接近して来る。
高山のマシンはマキオのマシンの後方にピタッとついた。


マキオの姿が月夜にもハッキリと見える。


マキオはGPZのタンクにぴたりと身体を伏せている。
漆黒のマシンと、全身黒ずくめのマキオの身体が一体となり、無気味な塊となって高山の視界に有る。



 高山のZZRはマキオのGPZの一馬身ほど後方についた。


その瞬間、ふっとマシンが軽くなったような感じとなりスルスルと加速した。


マキオのマシンのスリップストリームに入ったのだ。


<行ける!>
高山は思った。

レースでは良く使うテクニックだ。


と、その瞬間マキオのマシンが高山の視界からフッと消えた。


ガクン!と風圧が瞬間増し高山のマシンが減速する。
その斜前方をマキオのGPZが加速して行くのを高山は認めた。


<俺がスリップに入ったのを認めて、あいつは瞬間進路変更したんだ!>


マキオのマシンは二車線の左路肩すれすれを凄まじい加速をしてゆく。


<なんてやつだ、ちょっと車体を傾けるどころじゃない、あんなにオーバーアクションで突然の車線変更をするなんて。それもこの速度で...>


マキオのドラッグマシンのようなマシンチューニングを体験している高山にとって、このマキオのアクションは一触即発的な行動だった。


<あいつのマシンで、あんな挙動をとったら確実にバランスを崩すはずだ...そして、そのままガードレールに張り付くのが関の山だ...なんてクレージーなやつなんだ...>


 関越は既にいくつかの短いトンネルを越え、沼田インターが近付く地点へと達していた。
前を行くマキオとそのマシンは微動だにせずに突き進んで行く。


高山と戯れるように、マキオは着いては離れのゲームを楽しんでいるかのように見えた。


<この高速走行があいつには何時まで持つんだ...?>


高山はそう考えながら、マキオのマシンを追っていた。


<これは、8耐よりもきついかもな...>

月夜野から水上インターを過ぎてもマキオのペースは落ちなかった。


<もう少しで、関越トンネルだ...こいつ何処まで行くつもりなんだ...>


さすがの高山も緊張の糸が厳しくなって来るのを感じていた。


彼が行っているレースにおいては、たしかに200キロ近い高速も存在する。しかしサーキットは直線だけでは無い。様々なターンも存在し、過減速が連続するものなのだ。
このように多少のコーナーがあるとは言え継続的に高速走行することはあり得ない。
高山はサーキットにおいては体験する事のない高速走行を強いられ始めていた。



 前方を確認するとイエローのライトに彩られた関越トンネルの入り口が見えた。
そう思った瞬間、マキオと高山のマシンは吸い込まれるようにトンネルに突入した。


突然、ドン!と言うような空気の衝撃が襲う。

閉ざされた空間に高速で突入した時の体感だ。
それとともに、今まで周囲にかき消されていたエキゾーストノイズがトンネル内に反響してきた。


前を行くマキオのマシンの抜けの良いサウンドが、高山の耳に木霊する。


ほの温かいトンネル内の大気が、一瞬緊張した神経を解きほぐすような気がした。
もう既にどのくらい走っているのだろう。高山はフッとそう思った。


何か、まだ数分のようでもあるし、もう既に何時間も走っているような気がする。
一瞬の緊張から解放された時、高山は強くそれを感じた。


<何か、時間感覚が薄れているような気がする...>


これは通常バイクに乗っている時も感じる事なのだが、今夜は特に強く感じたのだ。
極度の連続高速走行が、それを誘っているのか。


<これがマキオの言う時間と空間を超えると言う事なのか?>


 関越トンネルを後にして道は既に群馬県と新潟県の県境を越えていた。


<マキオ。おまえは何処まで行くつもりなんだ...>


高山は前を走るマキオの姿を見ながら、改めてそう感じた。


関越は新潟の山間部を抜けようとしていた。


このまま行けば関越は直線が続くコースになる。
高山は、その前にもう一度マキオにアタックしようと思った。一度はぶち抜いておかないと気がすまない。
高山のレーサー魂が燃え上がったのだ。


高山はZZRのギアをダウンさせた。

一瞬マシンはエンジンブレーキがかかったかのようになる。

そこでスロットルを目一杯絞り上げる。
エンジンが雄叫びをあげ、タコメーターの針が跳ね上がる。
ZZRのフロントが一瞬フッと軽くなるような感覚になる。

それを体重を移動して押さえカウルの中に身を納める。


風圧がヘルメットを小刻みに震わせ、マシンは加速して行く。


マキオのGPZが近付く。


今度は後ろには着かない。


風圧に耐えながらZZRをマキオのGPZの横に向ける。


マキオは微動だにしていない。


しかし高山が近付いているのは認識している。


マキオのGPZが小刻みに震えたように見え、加速を始める。


高山のZZRも加速を続ける。
高速の直線が視界に矢のように飛び込んで来る。


<並んだ!!>
高山は思った。


一瞬視界の片隅に飛び込んだZZRのスピードメーターは260キロ近辺を差している。



 その瞬間信じられない事が起った。


隣に並んだマキオのマシンがスルスルと加速して行くのだ。


<嘘だろ!>
と高山は一瞬心の中で思った。


そして、不可思議な現象が高山の視界を襲ったのだ。


視界の中で前を行くマキオの姿が制止して見えるのだ。


一瞬時間が止まったかのように平面的に。


高山は自分の眼を疑った。
それは一瞬の事だった。


それに反応して高山の肉体はスロットル握る手を緩ませた。


マシンの速度がガクっと落ちるのを感じた時、高山は前を行くマキオが一瞬後ろを振り向くのを認めた。


その時始めてマキオは後ろを振り返ったのだ。


それも一瞬だった。


マキオとマキオのGPZは再び加速を始め高山の視界から遠ざかっていった。


その時、高山はマキオとGPZがボーと一瞬ほの明るく輝く靄に包まれているように見えた。


高山の緊張の糸は切れた。
これが限界だった。


 スロットルを戻し、高山はZZRの速度を一気に下げ緩やかな巡行にもっていった。


緊張の糸が切れた中で高山は考えた。


<いったい俺は誰と走っていたんだ...>


<あの一瞬時間が止まったような感覚はなんなんだ...>


そして、こうも思い始めていた。


<あいつは、いったい誰と走っていたんだ...>


フッと我に帰った高山は高速の標識を見た。


その時、そこが新潟県の長岡市近郊だと言う事に始めて高山は気付いたと言う。



すでにマキオの姿は高山の視界から消えていた。

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