第5話 闇の中 by 沙紀

次の日の朝、私はいつもどおりジョギングをしていた。

蓮さんが安全な道を通っていけと言うので、治安のいい道を選んで走っているが。やはり朝なので人は少ない。治安が良いとか悪いとか関係なく物静かな雰囲気が漂っている。でも、私は意外とそういうのも好きだ。朝っていうのは何もかもがリセットされて新鮮な気分になれる。

走りながら私は昨日のことを考える。

如月さんと蓮さん、なんだかお互いを探り合っていたような感じだった。何かあったとか?

走るリズムと呼吸を合わせて、息を乱さずに。

タッタッタッという音が人気ひとけが少ない朝の道に響く。木の陰が地面に写っている。

少し遠くに雀が見えた。なにか道にあるものをつまんでいる様子だったがすぐに空へと飛び立った。それと同時に風が吹く。

もうそろそろ帰ろうかな・・。

私はそう思い、振り返った。

・・・・・・・・・・・その時「カッカッカッ」という足音が朝の薄暗い商店街の方から聞こえてきた。

その影をみた時、鳥肌が立った。どうやって言葉で表現すればいいのかわからなかった。顔は見えなかった。その人は深く黒い帽子を被り、こっちに向かって歩いてきた。金色の瞳が一瞬見えた。

「お前が闇野家の令嬢か?」

黒いマントを羽織っているせいかあまり見えないが、体格は大きく筋肉質だった。そのせいか、圧迫感がすごい。

「・・・・あなたは、誰ですか。」

名前も知らない相手に名乗るわけには行きかない。

私は眼の前の巨体を思いっきり睨む。自分の足が震えているのがわかる。

(まあ、俺がこいつを殺してぇわけじゃあねぇんだが。金のためだ。)

そう、私の頭の中で声が響いた。殺す・・・?

悪意と敵意を冷たい瓶に詰め込んだような声。なんの迷いもなく人を殺してしまいそうな声。

その人が笑顔のまま舌なめずりをしてジャケットの中から拳銃をだした瞬間、背筋がゾッとすると同時に、小さい頃、蓮さんが言った言葉を思い出した。


―お前の父親は、すごいことを成し遂げた人だ。だから狙われることも多い。その娘のお前もだ。


まさか、まさか、


・・・っ落ち着け、これは身代金目当ての誘拐じゃない。この男は、私を殺すつもりだ。いまの私じゃ、この男には勝てない。なら、逃げるしかない。

私は踵を返し地面を蹴って走り出した。全身が震える。上手く呼吸ができなかった。・・・走って走って、吹き付けてくる風を寒いと思う暇もないほどに私は走った・・・・・・体を鍛えていたからいつもはこれくらいじゃ息は切れないはずなのに、すぐ息切れしてしまう。

警察の居るところまで。

もし、殺されたらどうする?もう二度とお父様や蓮さんに会えなかったらどうする?まだ読み切ってない小説は?蓮さんはどこにいる?昨日は私の後をつけてくれていたはず。

「逃げても無駄だ。」

怖い、怖い、怖い。

「はあ、はあっ、はあっ」

息が切れて、思わず立ち止まって息をすると咳が出た・・。肺が空気を欲しがっているのがわかる。立ち止まっちゃダメだ、逃げなきゃ!私がまた足をあげようとしたその瞬間、曲がり角から手が伸びてきて、こちらに向かって手招きした。

「こっちです!早く来て!急いで!」

必死だった。だから、何も考えずにその手を掴んだ・・・・。



・・・それから何分ほどその手を握って走ったかもうわからない。今にもヘナヘナと床に倒れ込んでしまいそうだ。

気付いたらフカフカなソファーの上に座っていた。

そこは、なんだか懐かしい雰囲気が漂う場所だった。

羊の毛のように真っ白な壁に、レトロな感じでおしゃれなインテリアが少し飾られている。

一見地味だが、所々に、緑が咲いていて明るい雰囲気を醸し出していた。

私がしばらくぼーっとしているとドアが開き、そこから人が出てきた。見た感じお父様より若く、二十代後半といったところだろう。

「目が覚めましたか。大丈夫でしたか?」

その優しい声に体が反応した。私は思わず振り返った。

「・・・・え?」

この人が助けてくれたの?

モデル並みに高い背と、そのツーブロック×マッシュパーマがよく似合っている。コニコと笑っていて愛想の良さそうな笑顔は、カフェなどの優しい店員さんを連想させた。

「あなたは、誰ですか?」

喉が詰まっていてうまく声が出なかった。

「ああ、自己紹介が遅れてすみません。私の名前はカイ・エバーズ。ここの探偵事務所の探偵です。」

笑顔でそう言う彼からは、私に対する悪意や敵意は感じ取れなかった。

敵ではないようだけど。

それを実感し、ほっと胸をおろしたとき。私はハッとしてカイさんの方を見た。そして口を開く。

「ありがとうございます。」

「いえ、気にしないでください。」

あの怪物じみた男から助けてくれたんだ。感謝しかない。

少しの沈黙の後、カイさんは立ち上がって言った。

「お茶入れますね。ダージリンティーとアッサムティー、どちらがいいですか?それとも水?」

「・・ダージリンを頂いてもよろしいでしょうか?」

私はカイさんが指定してくれた椅子に腰掛けた。

高そうな椅子だ、見た目はシンプルだが座り心地がすごくいい。

他の家具もそうだ。パッと見シンプルだが、全て高級そうなものばかりだ。

少し心が落ち着いてきたとき、ふと疑問が浮かんできた。

「そういえば、なぜカイさんはあの場にいたのですか?人が少ない場所で早朝だったのに。」

カイさんはお湯を沸かしながらこっちを少し見た。そして少し微笑むと口を開く。

「ああ。それは・・・最近、近所で不審な人物が目撃されていて。それで見回りをしていたんです。」

見回り、なるほど探偵だからか。

私はうなずいた。カイさんが目の前にダージリンティーを置いてくれる。

私はそのカップをそっと口元まで持っていった。

「・・・。」

そのダージリンは暖かくて。ほんのりと空気が優しい香りに包まれた。ぽかぽかしていて、心を温めてくれているようだった。

私はすこしずつ落ち着いてきたので私は深く息を吐いた。

それにしても、近所で不審な人物?さっきの怪物のこと?他にもいるの??なんだか悪い予感がする。

「ここで待っていれば近くの学校のチャイムが鳴ります。それまで休憩されてはいかがでしょう?今回の事件について詳しくお聞きしたいのですが、今日はお疲れだと思うので、もしよければ、後日うちに来てください。あと、今日は家に帰ってください。学校には行かないほうがいいと思います。」

「わかりました。学校には行かず、家に帰ります。ご忠告ありがとうございます。」

私はコクリと頷いた。

カイさんはニッコリと笑うと、ソファーから立ち上がり、そのまま資料らしきものがが山積みに置かれているデスクに座って読み始めた。

チッチッチッ、と控えめに時を刻む時計の音とともに、時間がゆっくりと過ぎてゆく。

でも少し力を抜くと、手に持っているカップが落ちてしまいそうで。まだ、指先が震えている。情ない。私は指先に力を入れた。

しばらくの間、心地よい、静かな時間が流れていた。でも、数秒後、その沈黙はドオオオオオンという音により、断ち切られた。

何かが壊れたような大きな音が響く。

「・・・・蓮さん?」

「力加減を間違えた。」

かろうじて壊れてはいないが少し角度が曲がっているドアを見てしかめっ面をした蓮さんは、何食わぬ顔でドアを元の角度に戻してこちらを向いた。

「カイ・エバーズさんですね。この度は闇野沙紀様のことを助けて頂き、ありがとうございました。心から感謝申し上げます。」

蓮さんは申し訳無さそうにカイさんに頭を下げた。

私も慌てて立ち上がり、頭を下げる。

「やめてください。当然のことをしたまでですから。」

カイさんは慌ててそう言った。それにしても、どうして蓮さんは私の居場所がわかったんだろう?蓮さんに尋ねると、「いくつかGPSを仕掛けてある」と当然のように言われた。どこに??「靴底に、とりあえず一つ」なるほど。今の今まで気づかずにいたとは、私もまだまだ未熟だ。


蓮さんに事の顛末を話しながら紅茶を飲み終わった頃、私の心拍はだいぶ落ち着き、冷静さを取り戻していた。それと同時に、悔しさが滲んできた。そんな私を見て、「沙紀、もうそろそろ家に帰ろう」と蓮さんが静かに言った。二人でカイさんに丁重にお礼をいったあと、蓮さんに続いて外へ出た。

カイさんがいなかったら、私は今日、死んでいたかもしれない。

改めて言葉にするとすごく恐ろしいことだった。

頭が真っ白になってしまう。今まで必死に訓練してきたのに、あそこで私は逃げることしかできなかった。なんて無力だったんだろう。あの頃から何も変われてないのではないかと思えてくる。

思わず下を見ると、視界の隅に蟻が見えた。その蟻はどこかの子供が落としたであろうかりん糖を運んで歩いていた。あんなに小さい体で大きい食べ物を担いでいる。天敵もたくさんいる。人間にいつ踏み潰されるかだってわかったもんじゃない。蟻にとっては、毎日が命がけ。

私がうつむいていると蓮さんが私の肩に手をおいた。

「なあ、昔お前さ、自分が真白さんの代わりに死ねばよかったって言ったこと、あったよな?」

それは・・・覚えている。お母様が死んでしまったすぐ後に、自暴自棄になって言った台詞だ。

なんで、その話を?

顔を見上げると、蓮さんがまっすぐと私の方を見ていた。私がその台詞を言ったときの、蓮さんの辛そうな表情を思い出した。今も少し、辛そうな顔をしている。どうしてそんな苦しそうな表情をしているの?

「お前が、落ち込んでる理由、何となく分かる。悔しいんだろ?逃げることしかできなかったことが。落ち込んでんだよな。でも、お前はなんのために毎日必死で頑張ってるんだ?」

私に問いかけてくるその声は少しやさしくて、でも、少し怒ったような声だった。

私は下を向いたまま口を開く。

「それは・・・自分の無力さが嫌で。みんなに守られているだけの自分が、いやで。悔しかった。怖かった。守れないのが・・嫌だったからです・・・。一人でも多くの人を助けたくて。」

「そうか。お前が真白さんの代わりに自分が死ねばよかったって言った時、俺が言った言葉覚えてるか?」

その質問に私は頷く。しっかり覚えてる。

・・・・忘れる、はずがない。

蓮さんの声が優しくて。目頭が熱くなった、けど。ここでは泣きたくないと思った。

私は口を開けて大きく息を吐いた。

それから上を向き、涙がこぼれないようにする。

涙が溢れそうなときにこれをやると、泣かなくてすむと聞いたことがあった。

そう、私は・・・強くなりたい。

みんなに守られているだけなんてまっぴらごめんだ。

私は思わず走り出す。蓮さんは私についてきてくれる。

坂を駆け上り、街全体が見えるところまで走った。走って走って。

坂のてっぺんに付いた時、私は眼の前に広がる空に向かって叫んだ。

「無為無能のまま生きるのはイヤッ!私も、強くなりたあああああい!」

柄にもなく叫んだので、蓮さんに笑われたけど。

もっと強くなって。もっといっぱいの人を助けたい。

だから、私は・・・・。

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