第9章:「この世界は最善? - ライプニッツの楽観主義」

 柔らかい太陽の光が差し込む窓辺で、お姉さんは新しい章の話を始めました。私は期待に胸を膨らませながら、ソファに座りました。


「さて、今日はゴットフリート・ライプニッツについてお話しするわ。彼はロックと同時代に活躍した哲学者で、とても興味深い人物なの」


 お姉さんは、ライプニッツの生い立ちから話し始めました。


「ライプニッツは1646年、ドイツのライプツィヒで生まれたの。彼のお父さんは大学教授で、道徳哲学を教えていたのよ」


「へぇ、哲学者の家に生まれたんだ」


「そうね。でも、ライプニッツが6歳の時にお父さんが亡くなってしまったの。それで、彼は母親に育てられることになったわ」


 私は少し悲しそうな顔をしました。お姉さんは続けます。


「でも、ライプニッツは驚くほど早熟な子供だったの。8歳でラテン語を独学で習得したって言われているわ」


「えっ!  8歳で?  すごすぎる!」


 お姉さんは微笑みながら頷きました。


「そうなのよ。彼は子供の頃から、家にあった本を片っ端から読んでいたんだって。特に古代ローマの哲学者セネカの本を好んで読んでいたそうよ」


「子供の頃からそんな難しい本を?  私には想像もできないな……」


「確かに驚くべきことよね。でも、ライプニッツにとっては、それが楽しみだったんでしょうね。彼は後に『私は本を読むことで生きてきた』って言っているわ」


 私は感心しながら聞いていました。お姉さんは話を続けます。


「ライプニッツは15歳でライプツィヒ大学に入学したの。そこで哲学と法学を学んだわ」


「15歳で大学生?  やっぱり天才だったんだね」


「そうね。でも、ライプニッツにも悩みはあったのよ。彼は小柄で体が弱かったの。それに、人見知りで、初対面の人と話すのが苦手だったんだって」


「へぇ、意外。そんなに頭がいいのに、人見知りだったんだ」


 お姉さんはうなずきながら説明しました。


「そうなの。でも、ライプニッツはその弱点を克服しようと努力したのよ。彼は『人間関係も論理的に考えれば上手くいく』って考えたんだって」


「論理的に?  人間関係を?」


「そう。例えば、彼はこんなことを書いているわ。『相手の立場に立って考えれば、相手の行動の理由が分かる。そうすれば、適切な対応ができる』って」


「へぇ、なるほど。でも、それって難しそう」


 お姉さんは笑いながら答えました。


「確かに簡単じゃないわね。でも、ライプニッツのこういった考え方は、後の心理学にも影響を与えたって言われているのよ」


 私は感心しながら聞いていました。お姉さんは、ライプニッツの独特な日課について話し始めました。


「ライプニッツには面白い習慣があったのよ。彼は一日の大半をベッドで過ごしていたんだって」


「え?  寝てたの?」


 お姉さんは首を横に振りました。


「いいえ、起きてたの。ベッドに座って、本を読んだり、考えごとをしたり、手紙を書いたりしていたのよ」


「へぇ、なんでベッドなの?」


「ライプニッツは『横になっているときが一番集中できる』って言っていたそうよ。彼は『重力に逆らわずにリラックスしていると、思考が自由に飛翔する』って考えていたんだって」


「なるほど……。でも、腰とか痛くならないのかな」


 お姉さんはクスッと笑いました。


「そうね、健康面では問題があったかもしれないわね。実際、ライプニッツは晩年、痛風に悩まされていたそうよ」


「痛風?  それって何?」


「関節が腫れて激しく痛む病気よ。運動不足や偏った食生活が原因だって言われているわ」


「あ、やっぱりベッドで過ごすのは良くなかったんだ」


 お姉さんは少し考え込むような表情をしました。


「そうかもしれないわね。でも、ライプニッツはその痛みさえも哲学的に捉えようとしたのよ」


「え?  どういうこと?」


「彼は『痛みは、私たちに体の状態を教えてくれる大切な信号だ』って考えたの。『痛みがなければ、もっと深刻な事態になっていたかもしれない』って」


「へぇ、前向きに考えるんだね。哲学者ってそういう人多いよね」


「そうね。ライプニッツは『この世界は可能な限り最善の世界だ』って主張していたの。だから、痛みさえも意味があると考えたのよ」


「最善の世界?  でも、世の中には悪いことがたくさんあるよね?」


 お姉さんはうなずきながら答えました。


「鋭い指摘ね。これはライプニッツの哲学の中でも特に議論を呼ぶ部分なの。彼の考えをもう少し詳しく説明するわね」


 お姉さんは、ゆっくりと話し始めました。


「ライプニッツは、神は全知全能で完全に善良な存在だと考えていたの。だから、神が創造した世界は、可能な限り最善のものでなければならないって」


「うーん、でも……」


「待って、まだ説明が続くわ。ライプニッツは、この世界には確かに悪いことや苦しみがあるけど、それらは全体としての調和のために必要なものだと考えたの」


「全体としての調和?」


「そう。例えば、雨が降ることは農作物にとっては良いことだけど、ピクニックに行きたい人にとっては悪いことよね。でも、雨が全くないと、もっと大きな問題が起きるでしょう」


「あ、なるほど……」


「ライプニッツは、私たちには世界の全体像が見えていないから、部分的には悪く見えることでも、全体としては最善になっているんだって考えたのよ」


 私は少し考え込みました。そして、ふと思いついたように言いました。


「でも、それって『何があっても仕方ない』って諦めちゃうことにならない?」


 お姉さんは嬉しそうに微笑みました。


「素晴らしい質問ね。実は、これはライプニッツの哲学に対する重要な批判の一つなの。特に、ヴォルテールという哲学者が『カンディード』という小説の中で、ライプニッツの考えを痛烈に批判しているわ」


「へぇ、哲学者同士で批判し合うんだ」


「そうよ。哲学は常に対話と批判の中で発展していくものなの。ライプニッツの考えは、確かに問題点もあるけど、『世界の全体像を考える』という視点を私たちに与えてくれたという意味で、とても重要なのよ」


 私は少し考えてから、こう言いました。


「なんだか、ライプニッツって面白い人だね。すごく頭がいいのに、ベッドで過ごすのが好きで、痛みさえも前向きに考えるなんて」


 お姉さんは楽しそうに笑いました。


「そうね。哲学者って、一見変わった人に見えるかもしれないけど、そういう独特な視点があるからこそ、新しい考え方を生み出せるのよ」


 お姉さんは、ライプニッツの学問的な業績についても話し始めました。


「ライプニッツは哲学だけでなく、数学や物理学、言語学など、様々な分野で重要な業績を残しているの」


「えっ、そんなにたくさんの分野で?  すごいね」


「そうなのよ。特に数学では、微分積分学を独自に発見したことで有名よ」


「微分積分?  あ、高校で習うやつだ!」


 お姉さんはうなずきました。


「そうよ。実は、ニュートンも同じ頃に微分積分を発見していて、二人の間で大きな論争になったのよ」


「え?  どっちが先に発見したかってこと?」


「そうね。でも、この論争は単なる優先権争いじゃなかったの。二人の考え方の違いが、そこに表れていたのよ」


「考え方の違い?  どんな風に?」


 お姉さんは少し考えてから、ゆっくりと説明し始めました。


「ニュートンは物理学者だから、微分積分を主に物体の運動を説明するために使ったの。一方、ライプニッツは哲学者だから、微分積分を世界の本質を理解するための道具として捉えていたのよ」


「へぇ、同じものでも見方が違うんだね」


「そうよ。ライプニッツは『世界は無限に小さな要素(モナド)から成り立っている』って考えていたの。微分積分は、そのモナドの働きを数学的に表現する方法だったのよ」


「モナド?  なんだかSFみたい」


 お姉さんは笑いながら答えました。


「確かにそう聞こえるかもしれないわね。でも、この考え方は現代の量子力学にも通じるところがあるって言われているのよ」


「えっ、本当?  すごいね」


「そうなの。ライプニッツの考えは、当時としては本当に先進的だったのよ」


 お姉さんは、ライプニッツの人間関係についても触れました。


「ライプニッツは、多くの哲学者や科学者と文通していたの。特に、イギリスの女性哲学者、アン・コンウェイとの文通は有名よ」


「女性哲学者?  その時代にもいたんだ!」


「そうよ。アン・コンウェイはとても賢い人で、ライプニッツの考えに大きな影響を与えたと言われているわ」


「へぇ、どんな風に?」


「例えば、ライプニッツの『モナド』の考え方は、アン・コンウェイの影響を受けていると言われているのよ。彼女は『全ての存在は霊的な本質を持っている』という考えを持っていたの」


「なるほど……。でも、二人は会ったことはあるの?」


 お姉さんは首を横に振りました。


「残念ながら、二人が直接会ったという記録はないわ。でも、お互いの著作を読んで、手紙のやり取りを通じて影響を与え合っていたのよ」


「手紙だけで?  すごいね」


「そうね。当時は今のようなインターネットはなかったけど、手紙を通じて活発に意見交換が行われていたのよ。ライプニッツは特に、たくさんの人と文通していたわ」


 私は感心しながら聞いていました。そして、ふと疑問が浮かびました。


「ねえ、お姉さん。ライプニッツって結婚はしたの?」


 お姉さんは少し悲しそうな表情を浮かべました。


「ライプニッツは生涯独身だったのよ。彼は一度、結婚を考えたことがあったんだけど……」


「え?  どうしたの?」


「ライプニッツが50歳の時、ある女性と結婚の話が持ち上がったの。でも、彼は『3日間考えさせてください』って言って……」


「3日間?  そんなに悩むことなの?」


 お姉さんはクスッと笑いました。


「そうね。ライプニッツらしいわよね。で、3日後、彼はこう言ったんだって。『結婚は重大な決断です。もう少し時間をください』って」


「えー!  それって断ったってこと?」


「そうね。結局、その話は立ち消えになってしまったの。ライプニッツは後に『私の人生は思索のためにあるのであって、結婚生活には向いていない』って書いているわ」


「へぇ、なんだか寂しそう……」


 お姉さんは少し考え込むような表情をしました。


「そうね。でも、ライプニッツにとっては、思索こそが人生の喜びだったのかもしれないわ。彼は『私は一日中考えていないと、生きている気がしない』って言っていたそうよ」


「う~ん、私には分からないな。でも、そういう生き方もあるんだね」


 お姉さんはうなずきました。


「そうよ。人それぞれ、幸せの形は違うものね。ライプニッツの場合は、思索することが最大の幸せだったのよ」


 お姉さんは、ライプニッツの晩年について話し始めました。


「ライプニッツは、晩年になるにつれて孤独を感じるようになったの。彼の思想があまりにも難解で、周りの人に理解されなかったからよ」


「え?  そんなに難しかったの?」


「そうね。例えば、彼の『予定調和説』っていう考え方があるんだけど、これはとても理解するのが難しいのよ」


「予定調和説?  なんだかカッコいい名前だね」


 お姉さんは微笑んで説明を始めました。


「ライプニッツは、この世界の全ての出来事は、あらかじめ神によって調和されていると考えたの。例えば、私が腕を上げようと思った瞬間に、実際に腕が上がる。これは、心と体が別々に動いているのではなく、神があらかじめそうなるように調和させているからだって」


「えっ?  ちょっと分からない……」


「そうよね。これは本当に難しい考え方なの。当時の人々にも、なかなか理解されなかったわ」


「そっか。じゃあ、ライプニッツは寂しかったんだね」


「そうね。彼は晩年、こんなことを書いているわ。『私の哲学を本当に理解してくれる人は、まだ生まれていないのかもしれない』って」


「なんだか切ないな……」


 お姉さんは優しく微笑みました。


「でも、ライプニッツの考えは、後の時代になってようやく評価されるようになったのよ。彼の思想は、現代の哲学や科学にも大きな影響を与えているわ」


「へぇ、すごいね。でも、生きてる間に認められなかったのは悲しいな」


「そうね。でも、ライプニッツは最後まで思索を続けたのよ。彼は死の直前まで、新しいアイデアをノートに書き綴っていたんだって」


「えっ、最後の最後まで?」


「そう。ライプニッツにとって、考えることは生きることそのものだったのね」


 お姉さんは、ライプニッツの死生観についても触れました。


「ライプニッツは、死をどう考えていたと思う?」


「うーん、難しそう……。でも、きっと前向きに考えてたんじゃない?」


 お姉さんは嬉しそうに頷きました。


「そうね。ライプニッツは、死を恐れるのではなく、むしろ新たな段階への移行だと考えていたのよ」


「新たな段階?」


「そう。彼は『死は魂がより高次の存在へと進化する機会だ』って考えていたの。彼にとって、死は終わりではなく、新たな始まりだったのよ」


「へぇ、なんだかロマンチックだね。哲学者ってそういう人、多いよね」


「そうね。ライプニッツは、人生全体を一つの大きな学びの過程だと捉えていたの。だから、死もその過程の一部だと考えていたのよ」


 私は少し考え込みました。そして、ふと思いついたように言いました。


「ねえ、お姉さん。ライプニッツの考え方って、今の私たちの生活にも活かせるかな?」


 お姉さんは嬉しそうに微笑みました。


「素晴らしい質問ね!  そうよ、ライプニッツの考え方は今でも十分に意味があるわ。例えば、『この世界は最善の世界だ』という考え方。これは、現状に甘んじろということじゃなくて、どんな状況にも意味があり、そこから学べることがあるって捉えることができるのよ」


「なるほど。確かに、そう考えると前向きになれそう」


「そうね。それに、ライプニッツの『モナド』の考え方。全てのものが互いにつながっているっていう考え方は、今の環境問題を考える上でも重要よ」


「え?  どういうこと?」


「例えば、私たちの些細な行動が、地球の裏側の環境に影響を与えるかもしれない。そう考えると、一人一人の行動が大切だってことが分かるでしょ」


「あ、なるほど!  確かにそうだね」


 お姉さんは満足そうに頷きました。


「このように、哲学者の考え方は、時代を超えて私たちに示唆を与えてくれるのよ」


 お姉さんは、最後にこう言いました。


「さあ、ここでちょっと考えてみましょう。ライプニッツは『全ては最善のために調和している』と考えたけど、あなたはどう思う?  日常生活の中で、そう感じることはある? それとも、違和感を感じる?」


 私は少し考え込みました。そして、おずおずと答えました。


「うーん、難しいけど……。でも、確かに『これがあったから、あれが起こった』みたいなことはあるかも。悪いことが起こっても、後から見ると『あれがあったからこそ、今がある』って思えることもあるし……」


 お姉さんは満足そうに頷きました。


「いい答えね。哲学っていつも、こういう風に日常を振り返り、考え続けることが大切なの」


さらに調べてみよう:

1. ライプニッツの「モナド論」を読んでみよう。難解だけど、世界の見方が変わるかもしれないわ。

2. ライプニッツとニュートンの微分積分をめぐる論争について調べてみよう。科学の発展の過程が見えてくるはずよ。

3. 現代の複雑系科学とライプニッツの思想を比較してみるのも面白いわ。意外な共通点が見つかるかもしれないわね。


 お姉さんは、次回の予告をしました。


「次は、18世紀のスコットランドの哲学者、デイヴィッド・ヒュームについて話すわ。彼は、人間の知識や道徳について、とても斬新な考え方をした人なのよ」


 私は期待に胸を膨らませながら、次の章を楽しみに待つことにしました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る