第6章:「人間性の復興 - ルネサンス期の思想家たち」
さて、前の章では中世の哲学者たちについて学んだけど、今回はそれに続く時代、ルネサンスの哲学者たちについてお話ししていくね。ルネサンスって聞いたことあるかな?
「ルネサンス? 美術の教科書で見たよ! レオナルド・ダ・ヴィンチとか、ミケランジェロの時代でしょ?」
そうそう、よく知ってるね! ルネサンスは14世紀から17世紀にかけてヨーロッパで起こった文化運動なんだ。「Renaissance」というフランス語で「再生」という意味があるんだよ。
「再生? 何が再生したの?」
いい質問だね。ルネサンスでは、古代ギリシャ・ローマの文化や思想が「再生」したんだ。中世の間、教会の影響力が強くて、古代の文化はあまり顧みられなかったんだけど、ルネサンスの時代になって、人々は改めて古代の知恵に目を向け始めたんだよ。
そして、何より大切なのは「人間性の復興」っていう考え方なんだ。中世では「神」が全ての中心だったけど、ルネサンスでは「人間」が注目されるようになったんだ。
「へぇ、すごいね。でも、哲学はどう変わったの?」
うん、哲学も大きく変わったんだよ。今日は、そんなルネサンス期の哲学者の中から、特に面白い2人を紹介するね。まずはニコロ・マキャベリ、そしてミシェル・ド・モンテーニュっていう人たちだよ。
じゃあ、まずはニコロ・マキャベリから見ていこうか。
マキャベリは1469年、イタリアのフィレンツェで生まれたんだ。彼の家族は昔は貴族だったんだけど、マキャベリが生まれた頃にはそんなに裕福じゃなくなっていたんだって。
「お金持ちじゃなかったんだ。大変だったんじゃない?」
そうだね。でも、マキャベリはとても賢い子供で、若いうちからフィレンツェ共和国の役人として働き始めたんだ。彼の仕事は外交官で、いろんな国に行って交渉したりしてたんだよ。
「へぇ、外交官かぁ。かっこいいね!」
うん、でもね、マキャベリの人生はとってもドラマチックだったんだ。彼が30代の頃、フィレンツェの政治が大きく変わって、マキャベリは職を失っちゃったんだ。
「えー! せっかく頑張って働いてたのに……」
そうなんだ。しかも、新しい政権に反対したって疑われて、牢屋に入れられて拷問まで受けちゃったんだよ。
「えっ! 拷問!? 怖いよ……」
うん、本当に怖い経験だったと思う。でも、マキャベリはこの経験から多くのことを学んだんだ。牢屋から出された後、彼は田舎の自分の小さな農場に引きこもって、そこで哲学の本を書き始めたんだよ。
「へぇ、大変な経験をしたのに、めげずに本を書いたんだね」
そうなんだ。彼の一番有名な本が『君主論』っていう本なんだけど、この本の中でマキャベリは、政治家はどうあるべきかについて書いているんだ。
「ふーん。どんなことが書いてあるの?」
マキャベリは、政治家は時には道徳的でない行動をとることも必要だって言ってるんだ。例えば、約束を破ることや、嘘をつくことだってあるって。
「えっ? でも、それって悪いことじゃないの?」
うん、普通はそう思うよね。でも、マキャベリは「目的のためには手段を選ばない」っていう考え方をしたんだ。国や人々を守るためなら、時には悪いことをしてもいいって言ってるんだよ。
「うーん、でも、なんだか変な感じがするなぁ」
そうだね。実は、マキャベリのこの考え方は今でも議論になってるんだ。「マキャベリズム」って言葉があって、これは「目的のためなら手段を選ばない」っていう考え方のことを指すんだよ。
でもね、マキャベリの日常生活はそんなに冷酷な人じゃなかったんだ。彼は家族思いの人で、6人の子供たちをとても大切にしていたんだって。
「えっ? 意外!」
そうでしょ? マキャベリは手紙を書くのが好きで、友達や家族にたくさんの手紙を残してるんだ。その中には、子供たちへの愛情がいっぱい詰まった手紙もあるんだよ。
「へぇ、優しいお父さんだったんだね」
うん、そうなんだ。でも、マキャベリにも面白い癖があってね。彼は本を読むときに、必ず正装したんだって。
「正装? 家で本を読むのに?」
そう、変わってるでしょ? マキャベリは「古代の偉大な著者たちと対話するんだから、ふさわしい服装をしなきゃいけない」って考えてたんだって。
「ふふっ、なんだか面白い人だね」
そうだね。マキャベリは政治の理論家として有名だけど、実は詩や戯曲も書いていたんだよ。特に『マンドラゴラ』っていう喜劇は今でも上演されることがあるんだ。
「えー! 哲学者なのに劇も書いてたの? すごいね」
うん、マキャベリは多才な人だったんだ。でも、彼の人生は決して平坦じゃなかったんだよ。政治の世界から追放されて、最後まで復帰できなかったことを彼はとても残念に思っていたんだ。
「そっか……。でも、その経験があったからこそ、『君主論』みたいな本が書けたんじゃないのかな」
その通り! マキャベリの苦い経験が、彼の鋭い政治観察眼を育てたんだと思うんだ。彼の死生観についても少し触れておこうか。マキャベリは、人間の運命は「運」と「徳」によって決まると考えていたんだ。
「運と徳?」
うん、「運」は自分ではどうしようもない外的な要因のことで、「徳」は自分の能力や判断力のことだよ。マキャベリは、成功するにはこの二つのバランスが大切だと考えていたんだ。
「なるほど……。でも、運が悪かったら、どうしようもないってこと?」
いい質問だね。マキャベリは、運が悪くても、自分の「徳」を磨くことで、ある程度は運を切り開くことができると考えていたんだよ。だから、彼は常に学び続けることの大切さを説いていたんだ。
さて、ここでちょっと考えてみよう。
「マキャベリの『目的のためには手段を選ばない』っていう考え方について、あなたはどう思う? 完全に間違っていると思う? それとも、場合によっては正しいこともあると思う?」
難しい質問かもしれないけど、こういうことを考えるのも哲学の醍醐味なんだよ。現代社会でも、政治家の行動を見ていると、マキャベリの考え方が生きているのを感じることがあるんじゃないかな。
「うーん、確かに難しい問題だね。でも、考えてみる価値はありそう」
その通り! 哲学って、簡単に答えが出ない問題について考え続けることなんだ。マキャベリの思想は、今でも政治学や倫理学の分野で議論され続けているんだよ。
◆
さて、次はミシェル・ド・モンテーニュっていう哲学者について話そうか。モンテーニュは1533年、フランスの裕福な家庭に生まれたんだ。
「モンテーニュ? なんだか難しい名前だね」
うん、フランス語の名前だからね。でも、モンテーニュはとってもユニークで面白い人なんだ。彼は、哲学を難しい理論としてではなく、日常生活の中で実践するものとして考えた人なんだよ。
「日常生活の中の哲学? それってどういうこと?」
うん、いい質問だね。モンテーニュは、自分自身の経験や考えを深く観察して、それを書き留めることを大切にしたんだ。彼の代表作である『エセー』は、まさにそんな日常の観察や思索を書き記した本なんだよ。
「エセーって、学校の授業で書くあれ?」
そうそう、その「エッセイ」の元になった言葉なんだ。モンテーニュが初めて使った言葉で、フランス語で「試み」っていう意味があるんだよ。
モンテーニュの日常生活はとてもユニークだったんだ。彼は自分の城の塔の3階に書斎を作って、そこで毎日思索にふけっていたんだって。
「えー、お城に住んでたの? すごいね!」
うん、モンテーニュの家族はお金持ちだったからね。でも、彼の書斎は決して豪華なものじゃなかったんだ。丸い形をした部屋で、壁一面に本棚があって、真ん中に彼の机があったんだって。
「丸い部屋? なんで丸いの?」
モンテーニュは「角のある部屋は思考の邪魔になる」って考えてたんだって。面白いでしょ? 彼はその部屋の梁に、ギリシャ語やラテン語で格言を書いていたんだ。例えば「人間よ、汝自身を知れ」とか「判断を保留せよ」なんていう言葉をね。
「へぇ、毎日それを見ながら考えてたんだ」
そうなんだ。モンテーニュは毎日、この部屋で読書や執筆をしていたんだけど、彼には面白い習慣があったんだ。
「どんな習慣?」
彼は考えごとをするときに、必ず歩き回っていたんだって。部屋の中をぐるぐる歩きながら思索にふけるんだ。
「あ、私も考えるとき歩き回ることあるよ!」
そう? じゃあ、モンテーニュと同じだね。彼は「最良の考えは歩いている時に浮かぶ」って言ってたんだよ。
でもね、モンテーニュにも悩みはあったんだ。彼は若い頃から腎臓結石に苦しんでいたんだって。
「腎臓結石? 痛そう……」
うん、すごく痛い病気なんだ。モンテーニュは、この病気のせいでしょっちゅう激しい痛みに襲われていたんだよ。でも、彼はこの苦しみを哲学的に捉えようとしたんだ。
「哲学的に? どういうこと?」
モンテーニュは、痛みを通じて自分の身体や人生について深く考えるようになったんだ。彼は「健康な時には気づかない、人生の真実が病気の時には見えてくる」なんてことを書いているよ。
「へぇ、すごいな。私だったら痛くて何も考えられないかも」
そうだよね。でも、モンテーニュはこの経験を通じて、人間の弱さや限界について深く考えるようになったんだ。彼の哲学の中心にある「懐疑主義」っていう考え方も、こういった経験から生まれたんだと思うんだ。
「懐疑主義? それって何?」
簡単に言うと、「何事も疑ってかかる」っていう態度のことだよ。モンテーニュは、人間の知識や判断力には限界があるから、何かを絶対的に正しいと決めつけるのは危険だって考えたんだ。
「なるほど……。でも、何でも疑うってことは、何も信じられなくなっちゃうんじゃない?」
いい質問だね。確かに、全てを疑うと何も確信が持てなくなるように思えるよね。でも、モンテーニュの懐疑主義は、ただ何も信じないっていうことじゃないんだ。
むしろ、自分の考えや他人の意見を常に批判的に検討して、より良い理解を得ようっていう姿勢なんだよ。彼は「私は何を知っているか?」っていう問いを常に自分に投げかけていたんだ。
「へぇ、そうなんだ。でも、そんな風に考え続けるの、疲れそう……」
うん、確かにね。でも、モンテーニュはこう言ってるんだ。「私は他人を教えるためではなく、自分を知るために書いている」って。
つまり、彼にとって哲学は自分自身を理解するための道具だったんだよ。だから、彼の『エセー』には自分の癖や欠点についての率直な記述がたくさんあるんだ。
「自分の欠点? 恥ずかしくないのかな」
そこがモンテーニュのすごいところなんだ。彼は「人間は完璧じゃない。だからこそ面白い」って考えていたんだよ。例えば、彼はこんなことを書いているんだ。
「私は物忘れがひどい。友人の名前すら忘れてしまうことがある。自分の書いた本でさえ、書き終えてしまえばすぐに忘れてしまう」
「えー! そんなに忘れっぽかったの?」
うん、でも彼はそれを隠そうとはしなかったんだ。むしろ、そういった自分の弱点をユーモアを交えて書くことで、読者に「人間らしさ」を伝えようとしたんだよ。
モンテーニュの結婚生活についても少し触れておこうか。彼は33歳の時に、フランソワーズ・ド・ラ・シャッセーニュっていう女性と結婚したんだ。
「へぇ、結構遅い結婚だったんだね」
そうなんだ。当時としては珍しく遅い結婚だったんだよ。実は、モンテーニュはあまり結婚に積極的じゃなかったんだって。
「えっ? どうして?」
彼は「結婚は魂の自由を奪う」なんて考えていたんだ。でも、家族や社会的な理由で結局結婚することになったんだよ。
「へぇ……。じゃあ、奥さんとの仲はあまり良くなかったの?」
実はそうでもないんだ。モンテーニュは妻のことを尊重していたし、彼女のことを「良き伴侶」だって書いているんだよ。ただ、彼は結婚生活と知的な活動を完全に分けていたみたいなんだ。
「どういうこと?」
つまり、家庭生活は家庭生活、思索は思索って感じで、奥さんに自分の哲学的な考えを話すことはあまりなかったんだって。今の時代から見るとちょっと寂しい感じもするけど、当時としては珍しくなかったんだよ。
モンテーニュには一人娘がいたんだけど、彼女のことはとても大切にしていたみたいだね。教育にも熱心で、ラテン語を教えようとしたこともあったんだって。
「へぇ、いいお父さんだったんだね」
うん、そう言えるかもしれないね。でも、モンテーニュの人生にも悲しい出来事はあったんだ。彼には5人の子供が生まれたんだけど、娘一人以外は幼くして亡くなってしまったんだよ。
「えっ、そんな……。すごく悲しかっただろうな」
そうだね。モンテーニュはその悲しみについても『エセー』の中で書いているんだ。でも、彼はこう言っているんだよ。
「悲しみに打ちのめされるのではなく、それを通して人生の無常さを学ぶべきだ」って。
「無常さ?」
うん、何事も永遠ではなく、全てのものは変化し、消えていくっていう考え方だね。モンテーニュは、そういった人生の厳しい現実を受け入れることで、逆に今この瞬間をより大切に生きることができるって考えたんだ。
「へぇ……。なんだか深いね」
そうだね。モンテーニュの哲学は、まさに人生の喜びや悲しみ、全てを含めた「生きること」そのものについての思索なんだ。
彼の死生観も面白いんだよ。モンテーニュは「死」についてもたくさん書いているんだ。彼はこう言っているんだ。
「哲学することは、死ぬことを学ぶことである」
「えっ、なんだかこわい……」
そう思うかもしれないね。でも、モンテーニュが言いたかったのは、死を恐れるのではなく、死を意識することで今の人生をより豊かに生きようってことなんだ。
お姉さんは、モンテーニュの若い頃の危険な経験について語り始めた。彼が落馬事故で死の瀬戸際まで行ったこと、そしてその経験が彼の「死」についての考え方に大きな影響を与えたことを説明した。
「へぇ、怖い経験だったんだろうな」
私の言葉に、お姉さんは少し意外そうな表情を浮かべた。彼女は、実はモンテーニュがその経験を「心地よかった」と書いていることを明かした。その言葉に、私は驚きの声を上げた。
「えっ? 死にそうになるのが心地よい?」
お姉さんは微笑みながら頷いた。彼女は、確かにそれが不思議に聞こえることを認めた上で、モンテーニュの言葉を詳しく説明し始めた。彼が死の間際に不思議な平安感を感じたこと、そしてこの経験から「死は恐れるほどのものじゃない」という考えに至ったことを語った。
お姉さんの話を聞きながら、私は窓の外を見た。空には白い雲が浮かんでいて、ゆっくりと形を変えていく。その様子を見ていると、なぜかモンテーニュの言葉が少し分かるような気がした。死というのは怖いものだけど、もしかしたら、雲が形を変えるように、私たちの存在の形が変わるだけなのかもしれない。
お姉さんは続けて、モンテーニュの落馬事故の詳細を語り始めた。それは1569年、モンテーニュが36歳の時のことだった。彼は馬に乗って散歩をしていたときに、突然別の馬に激しくぶつかられたのだという。
お姉さんは、モンテーニュ自身の言葉を引用しながら、その時の様子を生き生きと描写した。モンテーニュは馬から放り出され、意識を失った。周りの人々は彼が死んだと思い、家まで運ぼうとした。しかし、彼は途中で意識を取り戻し、自分の手で胸の上の血を拭おうとしたという。
お姉さんは、この経験がモンテーニュにとってどれほど衝撃的で、同時に啓示的なものだったかを説明した。彼は死の間際に恐怖ではなく、むしろ心地よさと平安を感じたのだ。お姉さんは、モンテーニュの言葉を静かに引用した。
「それは言葉にできないほどの軽やかさと平安だった。痛みも恐れも感じず、ただ存在しているという感覚だけがあった」
私は息を呑んで聞いていた。死というものがそんな風に感じられるなんて、今まで考えたこともなかった。お姉さんは、この経験がモンテーニュの哲学に与えた影響について語り続けた。彼は死を恐れるのではなく、むしろ生きることの貴重さを再認識したのだという。
お姉さんの話を聞きながら、私は自分の人生について考えていた。毎日の小さな出来事や悩みが、突然とても些細なものに思えてきた。モンテーニュの経験は、生きることの意味や、日々をどう過ごすべきかについて、深く考えさせられるものだった。
話し終えたお姉さんは、優しく微笑んで私の反応を待っているようだった。私は少し考え込んでから、ゆっくりと口を開いた。
「へぇ……。でも、私には難しそう」
お姉さんは頷いてから続けます。
そうだね、簡単なことじゃないよ。でも、モンテーニュが伝えたかったのは、死を恐れるあまり人生を楽しめなくなるのはもったいないってことなんだ。
彼は「人生の目的は死ぬことではなく、生きることだ」って言っているんだよ。
「なるほど……。生きることが大切なんだね」
その通り! モンテーニュの哲学は、まさに「どう生きるか」についての探求だったんだ。
さて、ここでちょっと考えてみよう。
「モンテーニュは自分の欠点や弱さを隠さず書いていたって言ったけど、あなたなら自分のどんな面を率直に人に話せる? それとも、やっぱり恥ずかしくて言えないかな?」
難しい質問かもしれないけど、こういうことを考えるのも自分を知る一つの方法かもしれないね。モンテーニュは「自分を知ること」が哲学の出発点だと考えていたんだ。
「うーん、確かに難しいけど、考えてみる価値はありそうだね」
そうだね。哲学って、こういう風に自分自身や人生について深く考えることなんだよ。モンテーニュの思想は、今でも多くの人に影響を与え続けているんだ。
さらに調べてみよう:
1. マキャベリの『君主論』を読んでみよう。現代の政治とどんな共通点があるか考えてみるのも面白いよ。
2. モンテーニュの『エセー』から好きな章を一つ選んで読んでみよう。彼の率直な語り口に触れてみるのもいいかもしれないね。
3. ルネサンス期の他の思想家や芸術家についても調べてみよう。例えば、エラスムスやレオナルド・ダ・ヴィンチなんかはどうかな。
ルネサンス期の哲学者たちは、人間性を重視し、個人の経験や観察を大切にしたんだ。彼らの思想は、現代の私たちの考え方にも大きな影響を与えているんだよ。
次の章では、近代哲学の始まりと言われるデカルトについて見ていくね。彼の有名な言葉「我思う、ゆえに我あり」の意味や、彼の人生について詳しく見ていこう。楽しみにしていてね!
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