第5章:「信仰と理性の狭間で - 中世の哲学者たち」
さて、前の章では古代ローマの哲学者たちについて学んだけど、今回は時代をさらに進めて、中世の哲学者たちについてお話ししていくね。中世というと、ヨーロッパではキリスト教の影響力が強くなった時代なんだ。そんな時代の中で、哲学者たちはどんなことを考えていたのかな?
まずは、アウグスティヌスという人物から見ていこうか。彼は354年に北アフリカの小さな町で生まれたんだ。
「アフリカで生まれたの? ヨーロッパじゃないんだ」
そう、驚くかもしれないけど、当時の北アフリカはローマ帝国の一部だったんだよ。アウグスティヌスは裕福な家庭で育ち、優秀な学生だったんだけど、若い頃はかなりやんちゃだったみたいなんだ。
「やんちゃ? 哲学者なのに?」
うん、面白いでしょ? アウグスティヌスって、私たちが想像する堅苦しい哲学者のイメージとは全然違うんだよ。若い頃の彼は、まるで今どきの大学生みたいだったんだ。
例えば、こんなエピソードがあるの。ある日、アウグスティヌスは友人たちと夜な夜な街に繰り出していたんだ。彼らはカルタゴの酒場を巡り歩き、深夜まで飲み明かしていたんだって。彼は特に梨酒が大好きで、「この甘美な味わいこそ、神の恵みではないか」なんて冗談を言いながら、グラスを重ねていたそうよ。
それから、女性関係でもいろいろあったみたい。彼には15年間連れ添った内縁の妻がいたんだけど、その関係は彼の母親に大反対されていたの。でも、アウグスティヌスは「愛こそが人生の真理だ」って言い張って、なかなか別れようとしなかったんだって。
そんな彼の葛藤が最もよく表れているのが、この有名な告白文なんだ。
「神よ、私を純潔にしてください。でも、今はまだです」
これ、アウグスティヌスが30歳くらいの時に書いたものなんだけど、なんだか現代の若者の悩みにも通じるものがあると思わない? 「けじめはつけなきゃいけないって分かってるけど、今すぐにはちょっと……」みたいな(笑)
実はね、この告白の後にも面白いエピソードがあるの。アウグスティヌスはある日、庭で子供の声を聞いたんだって。「取って読め、取って読め」っていう声。彼はそれを神からのお告げだと思って、近くにあった聖書を手に取ったんだ。そして、そこに書かれていた「宴楽と泥酔をやめなさい」っていう一節を読んで、ハッと悟るんだよ。
それから彼は、それまでの放蕩生活を改めて、まじめに哲学と信仰の道を歩み始めたんだ。
でも、若い頃の経験があったからこそ、人間の弱さや欲望について深く考えることができたんじゃないかな。
これ、なんだか身に覚えがある人もいるんじゃない? 若い時の悩みや迷いが、後になって人生の糧になるってことあるよね(笑) あ、お姉さんのことじゃないからね、念のため(笑)
アウグスティヌスは若い頃、マニ教という宗教に傾倒していたんだけど、後にキリスト教に改宗したんだ。この経験が彼の哲学に大きな影響を与えることになるんだよ。
彼の日課は、朝早く起きて祈りを捧げることから始まったんだ。そして、一日の大半を読書や執筆、そして人々との対話に費やしていたんだって。
「へぇ、忙しそう。でも、アウグスティヌスって何を考えていたの?」
うん、大きく分けて二つのことを考えていたんだ。一つは「悪」の問題。もう一つは「時間」の本質についてだよ。
まず、「悪」の問題。アウグスティヌスは「なぜこの世界に悪があるのか」ということをずっと考えていたんだ。彼は最終的に、悪は善の欠如であると結論づけたんだよ。つまり、悪そのものが存在するわけじゃなくて、善が足りないところに悪が生まれるって考えたんだ。
「うーん、ちょっと難しいかも」
そうだね、確かに難しい考え方かもしれない。でも、例えばこう考えてみるのはどうかな。暗闇って、それ自体が何かあるわけじゃなくて、光がないことを指すよね。アウグスティヌスは、悪も同じように、善がないことを指すと考えたんだ。
さて、アウグスティヌスが取り組んだもう一つの大きな問題があるの。それは『時間』についてよ。
「時間? でも時間って、ただ過ぎていくものじゃないの?」
そう思うよね。でも、アウグスティヌスはそれをもっと深く考えたんだ。彼はこんなことを言っているんだよ。
お姉さんは本棚から一冊の本を取り出し、ページをめくりながら読み上げました。
「『時間って何だろう? 誰かが私に尋ねなければ、私は知っている。でも、誰かに説明しようとすると、私には分からない』」
「あ! 私も同じこと思ったことある!」
そうでしょ? 時間って、普段は当たり前に使っている言葉だけど、いざ説明しようとすると難しいよね。
私は考え込みました。確かに、時計を見れば時間は分かります。でも、時間そのものを説明しようとすると……。
「じゃあ、ちょっと実験してみようか」とお姉さんが提案しました。
「今から1分間、目を閉じて、何も考えずにじっとしていてみて」
私は言われた通りに目を閉じました。最初は何も考えないようにしていましたが、だんだんといろんなことが頭に浮かんできました。昨日の出来事、明日の予定...。
「はい、1分経ちました」とお姉さんの声。
目を開けると、お姉さんが不思議そうな顔で私を見ていました。
「どうだった? 1分って長かった? それとも短かった?」
「うーん……」と私は考え込みました。
「最初は長く感じたけど、いろいろ考えているうちにあっという間だった気がする」
お姉さんは満足そうに頷きました。
「そう、時間の感じ方って、その時の状況や気持ちによって全然違うよね。アウグスティヌスは、そこから時間について面白い考えに至ったんだ」
「どんな考え?」と私は興味深く聞きました。
「アウグスティヌスは、時間は人間の心の中にあるものだと考えたんだ。過去は記憶の中に、現在は注意の中に、未来は期待の中にあるって」
「え? どういうこと?」
お姉さんは説明を続けました。
「例えば、『過去』って今はもう存在しないよね。でも、私たちは記憶の中で過去を思い出すことができる。『未来』はまだ来ていないけど、私たちは期待や予想を持っている。そして『現在』は、私たちが今注目している瞬間なんだ」
私はゆっくりと頷きました。
「なるほど……。でも、それって時計の時間とは違うよね?」
「そうなのよ」とお姉さんは答えました。
「アウグスティヌスは、時計で測る『物理的な時間』と、私たちが心の中で感じる『心理的な時間』は違うって考えたんだよ。だから、楽しい時間はあっという間に過ぎるし、退屈な時間は長く感じるんだ」
「へぇ……」と私は感心しました。「時間って、思ったより複雑なんだね」
お姉さんは優しく微笑みました。
「そうなんだ。アウグスティヌスの時間についての考察は、今でも哲学や心理学の分野で議論されているんだよ。時間について考えることは、結局のところ、私たち自身の存在について考えることにもつながるんだ」
私は深く考え込みました。時間について考えることが、自分自身について考えることにつながる……。アウグスティヌスの言葉が、突然とても身近に感じられました。
二人で淹れたお茶を飲みながら、お姉さんはアウグスティヌスの話を続けました。
「ところで、アウグスティヌスの人生って、決して平坦なものじゃなかったんだよ」
私は興味深く耳を傾けました。
お姉さんは少し表情を曇らせて続けました。
「彼には私生児の息子がいたんだ。その子の名前はアデオダトゥス。『神から与えられた者』という意味なんだけど……」
「え? 哲学者にも私生児がいたの?」私は驚いて声を上げました。
お姉さんは優しく微笑みました。
「そう、驚くかもしれないけど、哲学者だって人間なんだよ。アウグスティヌスも若い頃は恋をして、子供を授かったんだ」
「でも、どうして結婚しなかったの?」と私は疑問に思いました。
お姉さんは深いため息をつきました。
「当時の社会的な事情もあったんだけど……アウグスティヌスは息子の母親と別れることになったんだ。その別れは、彼に大きな心の傷を残したんだって」
私は黙って聞いていました。哲学者の人生にもこんなドラマがあったなんて……。
「アデオダトゥスは才能豊かな子供だったらしいよ。アウグスティヌスは息子のことを本当に愛していたんだ。でも、キリスト教に改宗した後、彼は独身を貫くことを決意したんだ」
「それって、とても辛い決断だったんじゃない?」と私は思わず聞いてしまいました。
お姉さんは静かに頷きました。
「そうだね。でも、むしろこういった経験が彼の思想を深めたんだと思うんだ。人間の弱さや罪深さについての彼の考察は、自身の経験に基づいているんだよ」
私は少し考え込みました。
「つまり、自分の過ちや後悔が、彼の哲学の源になったってこと?」
「その通り」とお姉さんは答えました。
「アウグスティヌスは自分の人生を振り返って、こう書いているんだ。『主よ、あなたは私たちをあなたに向けて造られました。そして、私たちの心は、あなたのうちに安らぐまでは安らぎを得られません』って」
「それって、どういう意味?」と私は尋ねました。
お姉さんは優しく説明してくれました。
「人間は完璧じゃない。だからこそ、神を求める。アウグスティヌスは自分の弱さや過ちを認めることで、逆に神の偉大さを感じたんだと思うんだ」
私はゆっくりと頷きました。
「なるほど……。失敗や後悔も、人生には大切なんだね」
「そうだね」とお姉さんは微笑みました。
「アウグスティヌスの人生は、哲学が単なる理論じゃなくて、実際の人生の経験から生まれるものだってことを教えてくれているんだよ」
お茶を飲み終わると、私たちは再び書斎に戻りました。窓の外では夕日が沈みかけていて、部屋に柔らかな光が差し込んでいました。
「人間らしい哲学者の姿を知ると、なんだか哲学がより身近に感じられるね」と私は呟きました。
お姉さんは嬉しそうに頷きました。
「そうよ。哲学って、決して遠い世界の話じゃないんだ。私たちの日々の悩みや喜び、そういった経験の中にこそ、深い思索のタネがあるんだよ」
アウグスティヌスの人生について知ることで、哲学がより生き生きとしたものに感じられました。そして、自分の人生の中にも、何か大切な気づきがあるかもしれないと思えるようになりました。
お姉さんは話を続けます。
アウグスティヌスの死生観は、キリスト教の影響を強く受けているんだ。彼は、この世の人生は来世への準備期間だと考えていたんだよ。だから、現世での苦しみも、来世でのより良い生活のための試練だと捉えていたんだ。
「へぇ、そう考えると苦しいことも耐えられそう」
そうだね。でも、これは諸刃の剣でもあるんだ。現世での不平等や不正を正当化する理由にもなりかねないからね。
さて、ここでちょっと考えてみよう。
「あなたにとって『悪』ってなんだろう? 単に『良くないこと』じゃなくて、もっと深く考えてみて」
難しい質問かもしれないけど、こういうことを考えるのも哲学の醍醐味なんだよ。アウグスティヌスのように、当たり前だと思っていることに疑問を持ってみるのも面白いかもしれないね。
さて、アウグスティヌスの次は、中世哲学の最大の巨人と言われるトマス・アクィナスについて見ていこうか。
私は興味深そうに身を乗り出しました。
「トマス・アクィナスは1225年頃、イタリアの南部、ロッカセッカという小さな町で生まれたんだ。お城のような大きな屋敷で育ったんだよ」
お姉さんは、まるでその場面を想像するかのように目を細めました。
「彼の家族は貴族で、お父さんはランドルフ伯爵っていう偉い人だったんだ。でも、トマスが興味を持ったのは、家の権力や財産じゃなくて……」
「なに?」と私は聞きました。
「知識だよ」とお姉さんは笑顔で答えました。
「トマスは幼い頃から、とにかく質問好きだったんだ。『なぜ?』『どうして?』って、周りの人をうるさがらせるほどね」
私は笑いながら言いました。
「へぇ、お父さんは困っただろうなぁ」
お姉さんは頷きながら、「そうなんだよ。例えばこんなエピソードがあるんだ」と言って、話を続けました。
「ある日、5歳くらいのトマスが、お城の中庭で遊んでいたんだ。突然、大きな雷が鳴って、みんなびっくりしたんだけど、トマスは違ったんだよ」
「え? 怖くなかったの?」
「うん、むしろ興奮していたんだって。トマスは庭師さんに走り寄って、『なぜ雷は鳴るの? 神様が怒っているの? それとも天国で何か祝い事があるの?』って矢継ぎ早に質問したんだ」
私は思わず笑ってしまいました。
お姉さんは続けます。
「庭師さんは困って『さぁ……』って言うだけだったんだけど、トマスは満足しなくて、今度は家庭教師のところに走っていったんだって。『先生、雷はどうして光って音がするの? 雲の中で何が起きているの?』って」
「すごいね、その好奇心」と私は感心しました。
「そうなんだ。でも、周りの大人たちは困っちゃって。ある時なんか、お母さんが『トマス、あなたはいつも'なぜ'ばかり言って。もう少し静かにできないの?』って言ったんだって」
「トマスはどう答えたの?」と私は興味深く聞きました。
お姉さんは少し声を落として、トマスの口調を真似るように言いました。
「『でも、お母さん。'なぜ'って聞かなければ、どうやって物事を理解すればいいの? 世界には不思議なことがいっぱいあるんだよ。それを知りたいんだ』って」
「へぇ……」と私は感心しました。「小さい頃から哲学者だったんだね」
お姉さんは嬉しそうに頷きました。
「そうなんだ。この好奇心が、後にトマスを大哲学者に導いていくんだよ。彼の質問は、単なるおしゃべりじゃなくて、世界の真理を知りたいという強い欲求から来ていたんだ」
「でも」とお姉さんは続けました。「トマスの質問癖は、時には彼を困った状況に陥れることもあったんだよ」
「どんな風に?」と私は聞きました。
「ある日、トマスが7歳くらいの時かな。家族で教会のミサに参加していたんだ。神父さまが『神は全知全能です』って説教していたんだけど……」
お姉さんは少し間を置いて、「突然、トマスが大きな声で『でも、神様は自分より重い石を作れるの? 作れたら、それを持ち上げられるの?』って聞いたんだって」
私は思わず吹き出してしまいました。「え! ミサの最中に!?」
お姉さんも笑いながら頷きました。「そう。会衆はシーンとなって、トマスの両親は顔を真っ赤にしたんだって。でも、神父さまは怒らなかったんだ。むしろ、『なんて鋭い質問だろう』って感心したらしいよ」
「へぇ、すごいね」と私は言いました。「でも、そんなに質問ばかりしていて、トマスは友達とか作れたのかな?」
お姉さんは少し考えてから答えました。
「実はね、トマスは静かで内向的な子供だったんだ。質問は好きだけど、大勢の前で話すのは苦手だったみたい。だから、『沈黙の牡牛』っていうあだ名がついていたんだよ」
「えっ、牡牛?」と私は驚きました。
「うん、体格ががっしりしていたからね。でも、その『沈黙の牡牛』が、後に教会の教えを守る『雄弁な牡牛』になるんだ」とお姉さんは微笑みました。
私はトマス・アクィナスの幼少期の話を聞いて、哲学者たちも最初から完璧な大人だったわけじゃないんだなと感じました。彼らも私たちと同じように、好奇心や疑問を持ち、時には周りの人を困らせながら成長していったんだと思うと、なんだか親近感が湧いてきました。
「ねえ、お姉さん。私も『なぜ』って聞くの、やめないほうがいいのかな?」と私は聞きました。
お姉さんは優しく微笑んで答えました。
「もちろんよ。『なぜ』って聞くことは、世界を理解する第一歩なんだから。ただ、トマスのように、時と場所は少し考えたほうがいいかもね」
私たちは笑い合いながら、次のトマス・アクィナスの話に耳を傾けました。
さて、お姉さんの話は続きます。
トマスは若くしてドミニコ会という修道会に入ったんだけど、これが両親の大反対にあったんだよ。
「え? どうして反対されたの?」
そうだね、不思議に思うよね。実は、トマスの家族は彼に別の修道会に入ってほしかったんだ。貴族の家の子どもだから、もっと裕福で有力な修道会を望んでいたんだよ。家族は彼を1年近く軟禁したんだけど、最終的にはトマスの意志の強さに負けちゃったんだ。
トマスの日課は、朝早く起きて祈りを捧げ、それから一日中勉強と執筆に没頭するというものだったんだ。彼は常に忙しく、休む暇もないほどだったんだって。
「ふぇ~、疲れそう……」
お姉さんは、トマス・アクィナスの興味深いエピソードを語り始めました。
「トマスには面白い癖があってね。考え込むと周りが見えなくなっちゃうんだ」
私は首を傾げて聞きました。
「周りが見えなくなる? それって、どういうこと?」
お姉さんは笑いながら説明を続けました。
「そう、完全に思考の世界に入り込んじゃうの。例えば、こんなエピソードがあるんだ」
お姉さんは、まるでその場面を目の前で見ているかのように話し始めました。
「ある日のこと、トマスはフランス王ルイ9世に招かれて、王宮で晩餐会に参加することになったんだ。華やかな宮殿の大広間で、王様を含む貴族たちが集まっての正式な晩餐会だったんだよ」
私は目を丸くして聞いていました。
「へえ、すごい。でも、トマスは緊張しなかったのかな?」
お姉さんは首を振りました。
「それが、トマスの頭の中はもう別のことでいっぱいだったんだ。その日、彼はマニ教という宗派の教えについて深く考えていたんだって」
「マニ教?」と私は聞き返しました。
「うん、善と悪の二元論を説く宗教なんだけど、それは説明すると長くなるから今はいいわ」とお姉さんは軽く手を振って続けました。
「とにかく、トマスは食事の間中、ずっとそのことを考えていたんだ」
お姉さんは声色を変えて、その場面を再現し始めました。
「テーブルには豪華な料理が並び、宮廷人たちは優雅に会話を楽しんでいます。王様もトマスに話しかけようとしていたんだけど……」
「トマスは返事もしなかったの?」と私は驚いて聞きました。
「そう、トマスはまるで周りが見えていないかのように、じっと考え込んでいたんだ。そして突然……」
お姉さんは大きな声を出しました。
「『やった! マニ教徒を論破する方法を思いついた!』」
私は思わず吹き出してしまいました。
「えー! 王様の前で? 恥ずかしくないのかな」
お姉さんも笑いながら答えました。
「うん、普通なら大問題だよね。でも、トマスの頭の中はいつも哲学でいっぱいで、そんなことはどうでもよかったみたい」
「それで、王様は怒ったの?」と私は心配そうに聞きました。
「それが面白いところなんだ」
お姉さんは目を輝かせて言いました。
「むしろ王様の方が彼の情熱に感心しちゃったんだって。ルイ9世は、『なんと素晴らしい洞察力だ! すぐに書記を呼んで、トマスの言葉を書き留めさせなさい』って命じたんだ」
「へえ!」と私は感心しました。「王様、すごく理解がある人だったんだね」
お姉さんは頷きました。
「そうなのよ。ルイ9世は学問を尊重する王様として知られていたんだよ。彼はトマスの真剣さと知性に感銘を受けて、むしろ彼を高く評価したんだ」
「でも」と私は少し考えて言いました。「いつもそんな風だったら、日常生活は大変じゃなかったのかな?」
お姉さんは優しく微笑みました。
「そうだね。実際、トマスの弟子たちは彼の世話で大変だったみたい。例えば、歩きながら急に立ち止まって考え込んじゃうから、ぶつかりそうになる人もいたんだって」
私たちは笑いながら、トマスの不思議な癖について話し合いました。
「でも」とお姉さんは締めくくりました。「そんなトマスの姿勢が、彼を偉大な哲学者に導いたんだと思うんだ。常に真理を追求し、それ以外のことは気にしない。そんな姿勢が、彼の哲学を深めていったんだよ」
私はトマスの話を聞いて、哲学者の生き方の一端を垣間見た気がしました。世間体や形式にとらわれず、真理の探究に全身全霊を捧げる。そんな生き方に、憧れと尊敬の念を抱きました。
「ねえ、お姉さん。私も何か夢中になれることを見つけたいな」と私は言いました。
お姉さんは優しく頷きました。
「そうだね。でも、王様の前で叫ぶのはほどほどにね」
私たちは再び笑い合い、トマス・アクィナスの哲学についてさらに学び続けました。
お姉さんの話はまだまだ続きます。
さて、トマスの哲学の特徴は、キリスト教の教えと古代ギリシャの哲学、特にアリストテレスの考え方を調和させようとしたところにあるんだ。
「え? でも、宗教と哲学って相いれないんじゃないの?」
そう思うよね。実際、当時もそう考える人が多かったんだ。でも、トマスは「信仰と理性は矛盾しない」って考えたんだよ。彼は「神様が創造した世界を理性的に考察することは、神様の偉大さを知ることにつながる」って主張したんだ。
トマスの代表作に『神学大全』というものがあるんだけど、この中で彼は「神の存在証明」を試みているんだ。
「神様の存在を証明しようとしたの?」
そう。例えば、「この世界には動くものがある。でも、全てのものが動いているわけじゃない。だから、最初に動きを与えた何かがあるはずだ。それが神様だ」みたいな論理を展開したんだ。
「うーん、ちょっと難しいかも」
確かに難しいよね。でも、トマスはこういった論理的な思考を通じて、信仰と理性の橋渡しをしようとしたんだ。彼の考え方は、今でもカトリック教会の公式な教えの基礎になっているんだよ。
トマスの人生にも苦労はあったんだ。彼の新しい考え方は、当時の保守的な人たちから激しい批判を受けたんだよ。一時期は彼の教えが禁止されたこともあったんだ。
「えー、せっかく一生懸命考えたのに……」
そうだよね、辛かったと思う。でも、トマスは最後まで自分の信念を曲げなかったんだ。そして、最終的には彼の考え方が広く受け入れられるようになったんだよ。
トマスの死生観は、アウグスティヌスと似ているところがあるんだ。彼も、この世の人生は来世に向けての準備だと考えていたんだよ。でも、トマスはこの世界での知的探求も大切だと考えていた点が特徴的だね。
さあ、ここでまた考えてみよう。
「あなたにとって、信じることと理解することはどう違う? 何か信じているけど理解できていないこと、あるいは理解しているけど信じられないことはある?」
難しい質問かもしれないけど、トマスのように、信仰と理性の関係について考えてみるのも面白いかもしれないね。
さらに調べてみよう:
1. アウグスティヌスの『告白』を読んでみよう。彼の内面の葛藤や成長が生々しく描かれていて、とても興味深いよ。
2. トマス・アクィナスの「五つの方法」という神の存在証明について調べてみよう。現代の視点から見るとどう評価できるかな?
3. 中世の修道院での生活について調べてみよう。哲学者たちはどんな環境で思索を重ねていたんだろう?
中世の哲学者たちは、信仰と理性のバランスを取ろうと苦心したんだ。彼らの思索は、現代の私たちにも多くのことを教えてくれるんじゃないかな。次の章では、ルネサンス期の哲学者たちを見ていくよ。人間性の復興を謳ったこの時代、哲学はどう変わっていったのかな? 楽しみにしていてね!
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