第4章:「ストア派とエピクロス派 - 古代ローマの知恵」


 さて、前の章ではギリシャの哲学者たちについて学んだけど、今度は少し時代を下って、古代ローマの哲学者たちについてお話しするね。ローマ時代になると、哲学はより実践的な方向に進んでいったんだ。特に注目したいのは、ストア派とエピクロス派という二つの学派よ。


 まずはストア派から見ていこうか。ストア派の創始者は紀元前300年頃のゼノンっていう人なんだけど、ここではローマ時代の代表的なストア派の哲学者、セネカについて詳しく見ていくね。


 セネカは紀元前4年頃、現在のスペインにあたる場所で生まれたの。彼は若い頃から病弱で、特に喘息に悩まされていたんだって。でも、そんな苦しみを乗り越えて、ローマ帝国の重要人物にまでなったんだよ。


「お姉さん、セネカってどんな人だったの?」


 うん、セネカはね、とても賢くて雄弁な人だったんだ。彼は政治家として活躍する一方で、多くの哲学書や悲劇を書いたの。特に、後の皇帝になるネロの家庭教師を務めていたことでも有名なんだよ。


 セネカの日課は、朝早く起きて冷水浴をすることから始まったんだって。これは体を鍛えるためだけじゃなく、精神を引き締めるためでもあったんだ。そして、一日の終わりには必ず自省の時間を設けて、その日の行動を振り返っていたんだよ。


 セネカの一日をお姉さんが想像するとこんな感じかな?



 古代ローマのまだ暗い部屋の中で、セネカがゆっくりと目を覚まします。窓から差し込む薄明かりの中、彼は静かに起き上がり、深呼吸をします。


「さて、新しい一日の始まりだ」


 セネカは小声で呟きながら、寝台から降ります。彼は簡素な白いトゥニカを身につけ、庭に向かいます。


 庭の一角には大きな水盤が置かれています。セネカはその前に立ち、一瞬ためらいの表情を浮かべます。


「ふう……今日も頑張ろう」


 そう言って、彼は水盤に飛び込みます。


「はっ!」


 冷たい水が全身を包み、セネカは小さな悲鳴を上げます。しかし、すぐに表情が引き締まり、目に力が宿ります。


 水から上がったセネカは、タオルで体を拭きながらつぶやきます。


「冷水浴は苦しいが、これで心身ともに目覚める。苦難を乗り越えることで、人は強くなるのだ」


 朝食を済ませた後、セネカは書斎に向かいます。そこには多くの巻物や木板が整然と並べられています。彼は一冊の本を手に取り、ペンを執ります。


「今日は『怒りについて』の続きを書こう。怒りは最も危険な感情だ。しかし、それを理性でコントロールすることができるはずだ……」


 セネカは熱心に筆を走らせます。時折、考え込むように窓の外を見つめることもあります。


 そして夕方、政務を終えて帰宅したセネカは、再び書斎に向かいます。今度は小さな木製の箱を取り出し、そこから巻物を取り出します。


「さて、今日一日を振り返る時間だ」


 セネカは目を閉じ、その日の出来事を一つ一つ思い出します。


「今日、執務中に怒りを感じてしまった。しかし、10数えてから対応したおかげで、冷静に対処できた。これは進歩だ」


 彼は満足げに微笑み、巻物に今日の反省と明日への抱負を書き記します。


「明日はもっと良い一日にしよう。自分自身を少しずつ改善していくことが、真の哲学者の務めだ」


 セネカは巻物を丁寧に箱に戻し、静かに目を閉じます。彼の表情には、充実感と明日への期待が浮かんでいます。



 このように、セネカは日々の生活の中で哲学を実践していたんだ。彼にとって哲学は単なる理論ではなく、日々の生活に活かすべきものだったんだよ。冷水浴や自省の時間は、彼の哲学を体現する方法だったんだね。


「へぇ、毎日冷水浴って大変そう! でも、自分の行動を振り返るのは良いアイデアかも」


 そうだね。セネカは「自分の感情や行動をコントロールすることが大切だ」って教えたんだ。これがストア派の中心的な考え方なんだよ。


「でも、お姉さん。感情をコントロールするのって難しくない?」


 確かに難しいよね。でも、セネカはこんなことを言っているんだ。


「怒りは一時的な狂気だ。だから、怒りを感じたら10数えてから行動しなさい」


 つまり、感情に流されずに、ちょっと立ち止まって考える時間を持つことが大切なんだって。セネカはこれを実践していたんだね。


 でもね、セネカの最期はある意味とても悲劇的だったの。


「え? どういうこと?」


 セネカは65年に起きた、時の皇帝ネロの暗殺を企てた「ピソの陰謀」への関与を疑われて、そのネロから自害を強要されたの。


 セネカが本当に「ピソの陰謀」に加担していたかは諸説あるけれど、結局のところ疑心暗鬼になっていたネロが自分の権力を脅かすものをすべて排除しようとしたから……という説が有力だわ。


「え? 自殺を強要されたの? 怖いね……」


 そうだね、怖いことだよ。でも、セネカはその時でさえ冷静だったんだって。彼は友人たちに


「悲しまないでくれ。私の人生の教えを思い出してくれ」


 って言って、静かに息を引き取ったんだ。


 ここからは想像力を働かしてみてね。


 紀元後65年、ローマの静かな夜。セネカの邸宅に、突然皇帝の使者が訪れたの。


「セネカ先生、申し訳ありませんが、皇帝ネロの命令です。自害なさってください」


 部屋は一瞬、凍りついたような静寂に包まれます。セネカの妻パウリナは悲鳴を上げそうになりますが、セネカは静かに彼女の肩に手を置きます。


「パウリナ、落ち着いて。これは避けられないことだ」


 セネカの声は驚くほど落ち着いていて、少しも震えていません。彼は使者に向き直ります。


「分かりました。少し時間をいただけますか?」


 使者が頷くと、セネカは友人や家族を集めます。彼の弟子たちも駆けつけてきました。皆の顔には悲しみと恐れが浮かんでいます。


 セネカは穏やかな表情で皆を見渡し、話し始めます。


「皆、悲しまないでくれ。これは人生の一部なんだ。私たちはいつかこの日が来ることを知っていた。大切なのは、どう生きたかだ」


 彼は少し間を置いて、続けます。


「私の人生の教えを思い出してくれ。感情に流されず、理性を保つこと。そして、今この瞬間を大切に生きること。これが本当の強さなんだ」


 セネカの言葉に、部屋にいる全員が静かに頷きます。涙を流す者もいますが、セネカの冷静さに励まされているようです。


 セネカは最愛の妻パウリナの手を取ります。


「パウリナ、君と過ごした日々は私の人生最高の贈り物だった。でも、君はまだ若い。生きて、私たちの教えを広めてほしい」


 パウリナは涙ながらに頷きます。


 セネカは静かに立ち上がり、医者を呼びます。彼は自ら血管を切開し、毒を飲みます。その過程で、彼は最後まで哲学的な会話を続けます。痛みや恐れを感じているはずなのに、その表情は穏やかなままです。


「見てくれ、私の最後の行動が、私の教えと一致していることを」


 セネカの呼吸が弱まっていく中、彼は最後の言葉を残します。


「人生は短い。でも、正しく生きれば、それは十分に長い」


 そして、哲学者セネカは、自らの教えを体現するかのように、静かに息を引き取りました。


 部屋に残された人々は悲しみに包まれていましたが、同時にセネカの生き方、そして死に方から大きな教訓を得たのです。彼の最期は、ストア派の教えそのものだったのです。


 この出来事は確かに怖いものかもしれないね。でも、セネカが教えてくれたのは、どんな状況でも自分の信念を貫くことの大切さなんだ。彼は最後の瞬間まで、自分の哲学を実践し続けたんだよ。


「死」というのは誰もが避けられないものだけど、セネカは「どう生きるか」が大切だと教えてくれたんだ。彼の生き方から、私たちも多くのことを学べるんじゃないかな。


 セネカの死生観は、「死は人生の一部であり、恐れる必要はない」というものだったんだよ。彼は生きている間に、どう生きるべきかを考え抜いた人なんだ。


 さて、ここで少し立ち止まって考えてみよう。


「あなたが怒りや不安を感じた時、どうやってその感情と向き合う? セネカの教えを参考に、自分なりの方法を考えてみよう」


 難しい質問かもしれないけど、こういうことを考えるのも哲学の一つだよ。


 次に、エピクロス派について見ていこうか。エピクロス派の創始者はエピクロスという人なんだけど、ここではローマ時代のエピクロス派の代表的な哲学者、ルクレティウスについて詳しく見ていくね。


 ルクレティウスは紀元前99年頃に生まれたと言われているんだ。彼の生涯についてはあまり多くのことが分かっていないんだけど、『物の本性について』という長編詩を書いたことで有名なんだよ。


「お姉さん、哲学者が詩を書くの?」


 そう、面白いよね。ルクレティウスは、難しい哲学的な考えを美しい詩の形で表現したんだ。これは当時としては珍しいことだったんだよ。


 ルクレティウスの日常生活については詳しいことは分かっていないんだけど、彼の作品から推測すると、自然観察を好んでいたみたいなんだ。例えば、彼は蜂の群れの動きや、花々の香りなどを細かく描写しているんだよ。


「へぇ、自然をよく観察していたんだね」


 そうなんだ。ルクレティウスは、自然界の現象を観察することで、世界の真理を理解しようとしたんだよ。彼は、世界はとても小さな粒子(原子)でできていて、それらが様々な組み合わせで結びついて、私たちの目に見える世界を作っていると考えたんだ。


「え? それって現代の科学の考え方に似てない?」


 そう、鋭い指摘だね! 確かに、ルクレティウスの考え方は、現代の原子論の先駆けとも言えるんだよ。彼は2000年以上も前に、今の科学に近い考え方をしていたんだ。すごいと思わない?


 でも、ルクレティウスの人生にも苦悩があったんだ。彼は精神的な病に悩まされていたと言われているんだよ。


「病気だったの? それって大変だったんじゃない?」


 そうだね。実際、ルクレティウスの死因については諸説あって、自殺説もあるんだ。でも、そんな苦しみの中でも、彼は美しい詩を書き続けたんだよ。


 想像してみましょうか。


 紀元前1世紀のローマ、静かな書斎。そこにルクレティウスが座っています。彼の前には羊皮紙が広げられ、手には羽ペンを持っています。でも、その手は少し震えていて、顔には苦痛の色が浮かんでいます。


「ああ、また来たか……」


 ルクレティウスはペンを置き、深く息を吐きます。彼の目は虚ろで、何か見えない恐怖と戦っているようです。これが、彼を苦しめる精神的な病の症状なのです。


 部屋に入ってきた召使いが心配そうに声をかけます。


「ご主人様、お薬の時間です」


 ルクレティウスは小さく頷き、差し出された薬草を飲みます。苦い顔をしながらも、彼は再びペンを手に取ります。


「ありがとう。でも、まだ書かねばならない。この真理を、人々に伝えねば……」


 彼の声は弱々しいですが、目には強い決意の光が宿っています。ルクレティウスは再び詩作に没頭し始めます。


「自然の真理を知れば、人は恐れから解放される。死さえも、恐れる必要はないのだ」


 彼はそうつぶやきながら、美しい韻文を紙に綴っていきます。時折、激しい頭痛に襲われて顔をしかめることもありますが、それでも筆を止めることはありません。


 数時間後、疲れ果てたルクレティウスは椅子に深く身を沈めます。彼の表情には苦悩と達成感が入り混じっています。


「今日も良い仕事ができた。でも、この苦しみはいつまで続くのだろう……」


 彼はそうつぶやきながら、書き上げた詩の断片を見つめます。その中には、後に『物の本性について』として知られることになる壮大な哲学詩の一部が含まれているのです。


 ルクレティウスの生涯は、このような日々の繰り返しだったのかもしれません。精神的な病との闘いと、真理を追求する情熱が交錯する日々。そして、ある日……。


 彼の書斎は静まり返っていました。机の上には完成間近の詩が置かれ、その傍らにはルクレティウスの冷たくなった体が……。


「ご主人様! ご主人様!」


 召使いの悲痛な叫び声が邸内に響き渡ります。ルクレティウスの人生は、こうして突然の幕を閉じたのです。


 彼の死因については、今でも議論が分かれています。病のために自ら命を絶ったという説もあれば、単なる事故死だったという説もあります。真相は藪の中です。


 しかし、一つだけ確かなことがあります。ルクレティウスは、その苦しみの中にあっても、最後まで真理の探求をやめなかったということです。彼の残した『物の本性について』は、彼の苦悩と情熱の結晶なのです。


「ねえ、お姉さん。ルクレティウスはどうして最後まで詩を書き続けたの?」


 そうね、きっと彼は、自分の考えを後世に残すことが使命だと感じていたんだと思うわ。彼の詩は、単なる美しい言葉の羅列ではなく、世界の真理を解き明かそうとする壮大な試みだったの。


 彼は自分の苦しみを、哲学的な思索によって乗り越えようとしたのかもしれないわね。「自然を理解すれば、不必要な恐れから解放される」という彼の考えは、自分自身に対する励ましでもあったのかもしれないの。


 ルクレティウスの人生は、苦悩と創造性が表裏一体であることを教えてくれているわ。彼の生き方から、私たちは「困難があっても、自分の信じることを追求し続けることの大切さ」を学べるんじゃないかしら。


 ルクレティウスの死生観は、エピクロス派の考え方を反映していて、「死を恐れる必要はない」というものだったんだ。だから彼はこう言っているんだよ。


「死んでしまえば何も感じない。ゆえに、死を恐れる必要はないんだ」


「でも、それって少し怖い考え方じゃない?」


 そうだね、最初は怖く感じるかもしれない。でも、ルクレティウスが言いたかったのは、「死を恐れるよりも、今この瞬間を大切に生きることが大事だ」ということなんだ。


 ルクレティウスの哲学の中心にあるのは、「快楽」なんだ。でも、ここでいう「快楽」は単なる肉体的な喜びじゃなくて、心の平和や精神的な満足のことを指すんだよ。


「心の平和か……難しそう」


 確かに難しく聞こえるかもしれないね。でも、ルクレティウスは、自然の仕組みを理解することで、不必要な恐れや心配から解放されると考えたんだ。例えば、雷は神様の怒りじゃなくて自然現象だと理解すれば、雷を恐れる必要はなくなるよね。


 さて、ここでちょっと考えてみよう。


「あなたにとっての『心の平和』って何だろう? どんな時に心が落ち着くかな?」


 難しい質問かもしれないけど、こういうことを考えるのも哲学の一つだよ。ルクレティウスのように、自然や世界のことをよく観察して、自分なりの答えを見つけてみるのも面白いかもしれないね。


 さて、ストア派のセネカとエピクロス派のルクレティウス、二人の哲学者について見てきたけど、この二人の考え方には共通点もあれば、違いもあるんだ。


「お姉さん、どんな共通点や違いがあるの?」


 うん、良い質問だね。共通点としては、どちらも「心の平和」を大切にしていたことが挙げられるわ。セネカは感情をコントロールすることで、ルクレティウスは自然を理解することで、心の平和を得ようとしたんだ。


 でも、違いもあるの。ストア派は virtue(徳)を重視して、社会的な義務を果たすことを大切にしたんだ。一方で、エピクロス派は個人の幸福を追求することを重視したんだよ。


「へぇ、同じ時代なのに考え方が違うんだね」


 そうなんだ。これは面白いところで、同じ問題に対して異なるアプローチがあることを示しているんだよ。哲学って、一つの正解があるわけじゃないんだ。


 さて、ここで古代ローマの哲学者たちと現代の私たちとのつながりについて考えてみよう。


「え? 古代ローマと私たちがつながってるの?」


 そう、不思議に思うかもしれないけど、彼らの考え方は今でも私たちの生活に影響を与えているんだよ。例えば、ストア派の考え方は現代の認知行動療法という心理療法に影響を与えているんだ。


「認知行動療法って何?」


 簡単に言うと、自分の考え方を変えることで感情や行動をコントロールしようという方法なんだ。セネカが言っていた「怒りを感じたら10数えてから行動する」というのも、似たような考え方だよね。


 また、ルクレティウスの原子論的な考え方は、現代の科学の基礎になっているんだ。彼らの考えが、2000年以上の時を超えて、今の私たちの生活に影響を与えているんだよ。すごいと思わない?


「へぇ、古代の哲学者の考えが今でも役立ってるんだ!」


 そうなんだよ。だから、古代の哲学を学ぶことは、単に過去のことを知るだけじゃなくて、現在の自分自身や社会のことをより深く理解することにもつながるんだ。


 さあ、ここでまた考えてみよう。


「セネカやルクレティウスの考え方で、あなたの日常生活に活かせそうなものはある? 例えば、怒りをコントロールする方法とか、自然をよく観察することで得られる気づきとか」


 難しく考えなくていいからね。日々の小さなことから始めてみるのもいいかもしれないよ。


さらに調べてみよう:

1. ストア派の他の哲学者、例えばマルクス・アウレリウスについて調べてみよう。彼は皇帝でありながら哲学者でもあったんだ。

2. エピクロス派の創始者であるエピクロスの「快楽」の概念について詳しく調べてみよう。現代の「快楽主義」とどう違うのかな?

3. 古代ローマの哲学が現代の心理学や科学にどのような影響を与えているか、もっと詳しく調べてみよう。


 古代ローマの哲学者たちは、私たちに「どう生きるべきか」という大切な問いを投げかけてくれているんだ。彼らの考えを知ることで、自分の人生をより深く考えるきっかけになるかもしれないね。


 次の章では、中世の哲学について見ていくよ。キリスト教の影響を強く受けた中世の哲学者たちは、また違った角度から「人生」や「世界」について考えていくんだ。楽しみにしていてね!

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