君は少し泣いた


 船旅は順調そのもので、クラーケンが襲ってきたり、嵐に巻き込まれて氷の大地に放り出されたりはしなかった。明日には虹ノ岬に着くだろう、と船長は言った。なんでも毎日のように虹が出ているらしい。船長は若かりし頃、魔王城のある島まで行ってみようと挑戦したこともあったそうだ。しかし、島の周りは渦潮で囲まれており、危うく死にかけたぜ、と豪快に笑った。


 楽しそうな歓声が上がったので、声の方を見ると、たけしが乗組員の人たちと釣りを楽しんでいた。船酔いは治ったようだ。美味しい海鮮をよろしく頼む。ボブとリンスは元の世界に戻ってからのシミュレーションに余念がない。メールや電話でどうにもならない場合、俺がどうすればいいか、あらゆるパターンを二人で議論してくれている。途中までは一緒に聞いていたが、エリート二人の思考回路にはついて行けず、水晶玉を固定して、俺は抜けさせてもらった。


 甲板で海を眺めているエトワールちゃん。潮風に煌めく金髪が躍る。まるで絵画の様なその姿に俺は見とれてしまった。


「マーサー様、ほらあそこ」


 船に並走して鯨が泳いでいる。真っ白で美しい鯨だ。船と同じくらいの大きさがあるが、恐怖は感じない。神々しいとさえ感じる。


「白鯨は神様の使いと言われています。見た者に幸運をもたらすとも」

「ありがたや。どうか魔王が強くありませんように……」


 俺が鯨に願をかけると、鯨が潮を吹き上げた。願い、聞き届けたり、だったらいいなあ。俺とエトワールちゃんは結構な量の潮をかぶってしまう。エトワールちゃんの僧衣は一部が薄手の生地なのでスケスケに。俺は慌てて目をそらす。エトワールちゃんも腕を抑えて隠す。他に隠すべき部分はあるのに。


「お見苦しいものを……」

「いや、カッコいいと思うよ俺は。その紋章。聖なる紋章って感じで」

「これは聖なる紋章なんかじゃないんです」

「神の巫女の紋章とかでもなくて?」

「魔王を倒すために全てを捧げし者に与えられる紋章、いえ、烙印ですね」

「そりゃそうじゃない?神の巫女として。なんら恥じることはないと思うけど」

「私もそう信じていました。でも皆さんと旅をしていく中で……」


 俺達が元の世界に戻った時の事を考えずに魔王を倒せばどうなっていたか。召喚された俺達の事情を考えず、何を犠牲にしても魔王さえ倒せればよい。そう信じていた自分は咎人だと。うっすらと目に涙を浮かべている。


「俺だってそうだよ。この数カ月で大分考え変わったもん」


 最初はたけしをウザい糞ガキだと毛嫌いしていたこと。リンスとも距離があった。最初から印象が変わっていないのはボブくらいのものだ。それに、みんなの事や、この世界の事。全部ひっくるめて考えられるようになったのは、この旅があったから。みんなと過ごした時間があったからなんだ。シチュエーションがそうさせるのか、普段なら照れて言えないような事が自然に言える。


「エトワールちゃんは最初からめちゃくちゃ可愛いと思っていたし、はっ」


 そして、ポロっと本音がこぼれる。エトワールちゃんは赤面しているが、決して嫌そうではない。なんならまんざらでもない。俺はあたふたして、変な動きをする。その動きがツボに入ったらしく、エトワールちゃんはクスクスと笑った。


「まだ小さい頃、神の巫女に選ばれた時。将来、勇者様と結婚できたらなって」


 うお、爆弾発言。でもまあ、そう考えても仕方ない。女の子にとって、勇者以上の白馬の王子さまはいないだろう。たけしが聞いたら、この世界に残るんじゃないか?


「でも、勇者様が異世界から来る方だと知った時。それはあきらめました」

「たけしに言ったら残るかもしれないよ」


 げ。なにいいパス出してんだよ、俺。うつむくエトワールちゃん。たけしがそんなに好きだったとは。表情が見えない。


「マーサー様は勘違いしておられます。それに、たけし様は……」


 勘違い?エトワールちゃんによると、たけしはクラスに好きな女子がいるらしい。どうして俺に話してくれない。ボブは知っているのか?今日の夜は寝かさないぞ。


 エトワールちゃんが俺を見つめている。俺は何も言えない。もし、二人が相思相愛だったとしても。俺だけこの世界に残る事なんて出来ない。たけしとボブとリンスを犠牲にして実る愛などない。エトワールちゃんだってそれが分かっている。


「風が強くなってきた。甲板は危ないから船室に戻ってくれー」


 船長の号令が飛ぶ。正直、ありがたかった。船室に戻ろう。海の方を見ると、確かに荒れてきている。俺の心も穏やかではなかった。




 夜、男部屋でたけしに好きな子の話を振ると、素直に認めた。俺以外みんな知っていたらしい。どうして俺には教えてくれないのかと問うと、たけしは申し訳なさそうにこう言った。


「想い合ってるのにw叶わぬ恋をしている男ww言えねーっすwww」


 たけしは片想いらしいが、それでも可能性はある。俺には無い。







 

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