第5話 皇国への道中にて

「手をお貸ししましょうか?」


儀礼的に差し出された手に、緩く首を振り、ケイは一人で馬車に乗り込んだ。

まさか皇子と同じ馬車に乗せられるとはな、と思いつつ、示された場所に座る。

護衛兵を隣に座らせて平然としている皇子をヴェール越しに眺め、そして隣にお淑やかに座る皇国の侍女にちらりと視線を送った。


これは、どういう状況なのだろうか。



***



帝国の至宝と謳われる美貌を隠したまま、ケイは華やかな音楽に送られて、輿に乗せられ広間から馬車のある王宮の門まで連れられてきた。

下賜された宝物を誇り、スルタンにどれほど評価されたかを人に見せつけることは至極当然の話であったから、ケイは見世物のごとく運ばれることに、特に何とも思わなかった。

しかし辿り着いた先に、美しさより堅固さと実用性を重視した馬車が一台しかなかったことに、ケイは首を傾げた。

六人で乗ってもゆとりがあるであろう大きさではあったが、なぜ、一台しかないのであろうか。


「帝国の首都を出るまでは、同じ馬車に乗って頂きます」


居心地悪そうにそっと同乗者を伺っているケイの戸惑いを察したのか、皇子が自然に口を開いた。意味が分からず首を傾げるだけのケイに、皇子は困ったように苦笑する。


「馬車の数と警護の関係です。帝国の潤沢な人材と財力に比べ、我が皇国は余裕のある国ではありません。ですから、不要なものは極力削っておりますので、馬車は今回は一台しかないのです」


肩をすくめ、整った容姿に芝居掛かった戯けた表情を浮かべて、皇子は笑う。


「まさか人数が増えるとは思っておりませんでしたので、来る時に他の者を乗せて共に来た馬車は、返してしまいまして。

皇国との国境で、待っていて貰っております。帝国への入国は、かなりの税が掛かりますし、条件も厳しいですから」


懐事情を含めてあっさりと説明してみせた皇子は、ごく自然な流れで馬車の窓に手をかけ、窓を開いた。

すぅっと、温い風が吹き込んでくる。

地面を駆ける蹄の音と、馬の嘶きの音が、大きくなった。


「皇国の男達は、歩くより先に馬に乗り、歩くことと同じように馬を駆けさせます。今回も、皆馬に乗っております。私も、馬の方が具合が良いほどですよ」


馬を駆けさせる男達を少し羨ましそうに眺める皇子に軽い驚きを感じながらも、ケイには気になることが出来た。


そうだとしても、他の女達は、どうしたのだろうか。

不思議に思ったケイが、ちらり、と隣の侍女に目をやると察したように皇子がまた口を開いた。


「あぁ、基本的に侍女は連れてこなかったのです。

我が国の女性は家を守るべきとされ、あまり外に出ることを良しとされておりません。

それに、留学生として連れてきた中に侍女として働いていた者もおりましたので、この度は彼女達にぎりぎりまで働いて貰いました」


なるほど、とケイが納得をして頷いていると、柔らかな表情を端麗な美貌に乗せていた皇子が、瞳にふいに辛辣な光を浮かべた。


「ふふっ、声も出すことが出来ぬほど、緊張してみえますか?それとも……北の蛮族とは、口もききたくありませんか?」

「いえ、まさか!」


慌てて口を押さえるが、既に時は遅く。

思わずといったように溢れたケイの高い否定の声に、皇子は少しだけ怪訝そうに眉を動かした。


ケイの喉は細く、喉仏もない。

その喉から飛び出てくるのは、女にしては低く、けれど、男にしては高い、少年のような声だ。

性を感じさせない声は、閨房でも悦ばれた。

だが、皇子は違和感を感じたように眉を寄せている。


「スルタンの至宝の方よ、失礼ながら、……」


一度言葉を飲み込み、皇子は再度口を開いた。


「お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」


皇子は、ケイの名前も性別も年齢も、何も知らない。

気になっていることは、幾らでもあるだろう。

けれども、最初に名前を聞いてきたところが、ケイには好ましく感じた。

おそらく別のことを尋ねたかったのだろう、と思いながらも、ケイは笑みを浮かべる。


「ケイ、と」


先ほどより少し甘く、とろりと媚びるような声で囁くと、護衛役の兵士の瞼がピクリと動いた。

横の侍女の頬も、少し赤くなっている。

聡く有能な者なのだろう。ケイが声に込めた色の気配に、気づいたのだ。

けれど。


「ケイ、ですか。東を想起させる響きですね」


皇子は何にも気付かなかったかのように、ただ社交的に、にこやかに会話を進めるばかりだ。


「あなたにお似合いの、軽やかなお名前でいらっしゃる」


熱の込もらぬ瞳で、思ってもいないことを口から放り出す皇子に、ケイはどこかしら苛立ちを覚えた。

慇懃無礼なほど丁寧すぎる口調が、いっそ違和感と不快感を煽る。

ケイは、演じられた良き皇子の仮面を剥ぎたくて、仕方なくなった。


あぁ。

この男の、本物の姿が見たい。


その想いは、昼食のための休憩地点で、限界を迎えた。



***



「それでは、食事に致しましょうか」


礼儀正しく、まるで賓客をもてなすように、皇子はケイを扱った。

手を取って、見晴らしの良い草原に用意された食事のテーブルにエスコートする。

ここ十年、王宮から出たことのないケイにとっては随分と心浮き立つことだった。


そして、何よりも。

今、ケイは、皇子と二人だった。


「それでは、帝国の美食に慣れた方には物足りな味かもしれませんが、どうかご容赦下さい」


朗らかに振る舞う皇子は、ケイの目の前に座っている。

護衛兵達は距離を置いて二人を取り巻いており、侍女は給仕のために控えているが少し離れた場所に立っている。


これは、好機かもしれない。

ケイは、微笑んだ。


「……ありがとう、存じます」


馬車の旅の最中とは思えぬ見事な料理を前に、感謝の意を伝え、ケイはふわりとヴェールに手をかけた。


「お優しい皇子様……ヴェールを外す許可を、頂けますか?」

「え?」


完璧に適切な表情を選び続けていた皇子の目が少し開き、質問の意図を飲み込もうとして瞬く。

その反応にケイは吹き出しそうになりながら、説明をした。


「帝国では、妾妃であった私は、スルタン以外の方に肌も、顔も、見せるわけには参りませんでした。今、私の主は皇子様にございます。このような場所でヴェールを外せば、ふしだらにも多くの方の目にこの身を晒すことになります。しかし……、もしともにお食事をと仰って頂けるのでしたら、どうか、御許可を」


滑らかに言葉を続け、柔らかく許可を願ったケイの言葉に、皇子は鷹揚に笑って頷いた。


「もちろんです。あなたがご不快でないのなら、ヴェールを外して、ともに食事を致しましょう」

「嬉しく存じます」


にこり、と笑って、ケイはヴェールを留めていた飾りに手をかける。


細い金の鎖と真珠で作られた紐飾りを外した時、ふわり、と風が吹いた。

ケイを覆っていた薄い夜の布が、空に靡いて太陽に透ける。


「……っ、な!」


驚愕に息を飲む音が聞こえるが、返事をする暇もなく、ケイはすっと伸ばした右手でヴェールを掴み取り、するりと纏めて畳んだ。


ケイの目は、ずっと皇子を捉えていた。

ヴェールが外れた瞬間、幽霊にでも遭遇したかのように目を見開いて硬直した皇子の、随分と美しい間抜け面を。


「昨日、庭の……!」


驚愕のあまり単語でしか言葉を発せなくなってしまったらしい皇子に、くすくすと溢れる笑いを左手で隠しながら、ケイは唇に刻まれた笑みを深めた。



「えぇ。昨日はお見逃し下さり、ありがとうございました。

本日より、何卒よろしくお願い申し上げます。


どうか可愛がって下さいませ。

私の、新しい主」

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