(3)


 ――えっ……?


 日曜日のショッピングモールで、信じられない光景を見た。

 何か言わなきゃ。そう思うのに、何も言えなかった。

 わたしは呆然と立ち尽くしていた。


 なんで、りんかちゃんが……?


 ☆


「こら、杏、いつまで寝てるのっ!」

 お母さんに叩き起こされて、わたしは目をこすりながらベッドから起き上がる。

「え~、まだ9時だよお」

「もう9時、でしょ。まったく、あんたは柚子ちゃんがいないとだらけっぱなしなんだから」

 両手を腰にあててため息をついている。

「だって……」

 柚子がアメリカに行ってしまってから、わたしはずっとこんな調子だ。

 いままで、いつも一緒にいたのだ。さみしくないはずがなかった。

 そんな娘の気持ちをちっとも察してくれないお母さんは、朝からせっかちに動き回っている。

「ほらほら、着替えて。お出かけするわよ」

「どこに?」

「ネオンよ。今日春物のセールなの。早く行かないといいのなくなっちゃうでしょ」

 布団から顔を出して見上げると、お母さんはすっかり着替えて、準備万端だった。


 大型ショッピングモールの1階にあるイベントスペースは、すでに人であふれかえっていた。

「終わったらいつもの雑貨屋に迎えに行くわ」

 お母さんはウインクをして言うと、あっという間に人の波にまぎれて見えなくなった。

 ネオンの3階にある雑貨屋は、わたしのお気に入りのお店だ。

 文房具やアクセサリー、鞄やハンカチ、かわいいものがたくさんある。

 かわいいものって、すごい。

 落ち込んでいるときでも、いろんなものであふれてる雑貨屋にいるだけで、楽しい気分にさせてくれる。

 このリュックかわいいなあ。この鞄も。まあ、わたしのお小遣いじゃ買えないけど……。

 ふと、見覚えのある後ろ姿を見つけた。

 さらさらの長い髪。りんかちゃんだった。

 りんかちゃんはどこか落ち着かない様子で、まわりをキョロキョロと見回している。

 どうしたんだろう?

 何か探してるのかな。声をかけようか迷っていたとき、わたしは目を見張った。


 ーーえっ?


 りんかちゃんが、お店の棚にあったものを、鞄の中にさっと入れたのだ。

 わたしは、見てはいけないものを見てしまった気がして、とっさに棚の陰に隠れた。

 りんかちゃんがわたしには気づいていない様子で、早足でお店を出ていった。

 何が起こったんだろう。

 考えなくても、わかっていた。

 りんかちゃんが、お店のものを盗んだんだ。

 ドクドクと心臓が鳴っていた。

 こういうときって、どうすればいいんだろう。

 走っていって呼び止めたほうがいいのか、それともお店の人に言うべきなのか。

 迷っているうちに、りんかちゃんの姿はどこにも見えなくなってしまった。

 お店の人が気づいて追いかける様子もない。忙しそうに、レジで作業をしている。

 誰も、気づいてないんだーー見ていたのは、わたしだけ。

 言わなきゃ、と思うのに、どうしても足が動かない。

「杏、おまたせー」

 両手に袋を抱えたお母さんがやってきて言った。収穫がたくさんあった様子で、上機嫌だ。

 いつもなら、ここぞとばかりにほしいものをおねだりするところだけど、さっきの衝撃で全部吹き飛んでしまった。

「ごはん食べに行こうか。杏、何が食べたい?」

 にこにこと上機嫌なお母さん。

「お母さん、さっき……」

「ん?」

 首をかしげるお母さんに、わたしは口をつぐんだ。

 言えない、と思った。

 さっき見たことを言ったら、りんかちゃんがどうなってしまうのか、考えると怖くなった。


 ☆


 次の日。

 教室に入ると、後ろのほうで女の子たちが盛り上がっていた。

「りんかちゃん、そのリボンかわいいー! 新しいの買ったの?」

「りんかちゃんっていつもおしゃれだよねー」

 りんかちゃんは、長い髪に新しいリボンをつけていた。

 すぐにわかった。昨日、お店で盗んだものだって。


 なんで?

 なんでそんなことしたの?

 モヤモヤした気持ちのまま、チャイムが鳴ってみんなが席につく。

 りんかちゃんはいつも女の子のグループと一緒にいて、声をかけるタイミングがなかった。

 わたしは、いつもこうだ。

 声をかけたいのにかけられなくて、悩んでばかり。

 ほんの少しでも勇気が出せれば、あのとき言えたはずのに。

 ……言わなきゃいけなかったのに。


 ☆


 グラウンドから、サッカーをしている男の子たちの声が聞こえる。

 わたしは机に突っ伏して、4時になるのを待った。

 玲央名くんなら、ああいうとき、きっとすぐに行動するんだろうな。

 だめなことはだめって、はっきり言えるんだろうな。

 わたしは、どうすればよかったんだろう。

 誰に何て言えばよかったんだろう。

 家庭科室の扉を開けると、瑠璃ちゃんがにっこり笑って、

「いらっしゃい」

 と言った。

 その笑顔を見たとたん、心の中のモヤモヤが一気にあふれだした。

「瑠璃ちゃん……」

「わっ、どうしたの?」

 わたしは昨日のことを話した。

 お店の人にも、お母さんにも、りんかちゃんにも言えなかったこと。

 柚子になら、言えたんだろうか。

 やっぱり、言えないと思った。

 だけど、りんかちゃんのことを知らない瑠璃ちゃんになら。

 それに、わたしよりひとつ下なのにどこか大人びた雰囲気のある瑠璃ちゃんには、なんでも相談したくなってしまうのだった。

「瑠璃ちゃんならどうする?」

 瑠璃ちゃんは少し考えてから言った。

「私が住んでるところではね、盗みはすごく重い罪になるの。盗んだものによっては、死刑になっちゃうこともあるのよ」

「し、死刑……!?」

 瑠璃ちゃんが住んでるところは、やっぱりわたしたちとは全然違う世界なんだ。

 物を盗んだら死刑だなんて……

 考えたただけで、ぞっとした。

「こっちの世界でもそうなの?」

「ないないない! ……たぶん」

 お店のものを盗むのは、いけないことだ。それはわかる。

 だけど、どれくらい重いことなのか、わたしはよく知らなかった。

「許してもらえるかはわからないけど、まずは謝って、それから……」

 盗んだことを言ったら、りんかちゃんはどうなっちゃうんだろう。

 わたしが何も言わなかったら、何もなかったことになるのかな。

「……やっぱり、わたしにはできないよ」

「でも、見なかったことにはできないんでしょ?」

 瑠璃ちゃんの言葉に、はっとした。

 そうだ。

 ほかの誰が見てなくても、わたしは見てしまったんだ。

 何も知らなかったことには、できないと思った。

「それなら、本人に聞いてみればいいんじゃない?」

 顔をあげると、瑠璃ちゃんはにっこり笑ってそう言った。


 ☆


 次の日。

 りんかちゃんは、教室にいると、りんかちゃんがいなかった。

「りんかちゃん今日休みだってー」

 りんかちゃんと仲のいい女の子が言った。

「りんかちゃんって、すぐ自慢するよね」

「そーそー。こっちがかわいいって言うの待ってるよね」

 いつもりんかちゃんと楽しそうにおしゃべりをしている子たちが笑いながら悪口を言うのを聞いて、心の中がズキンと痛んだ。

 りんかちゃんは、かわいくて、おしゃれで、流行りのものもいっぱい持っていて。

 あこがれだった。

 わたしもりんかちゃんみたいに、自分に自信を持ちたいって思ってた。

 だけど、そう思っていない子もいるんだ。

 この子たちがりんかちゃんがしたことを知ったら、どう思うだろう。

 りんかちゃんは、学校に来られなくなってしまうかもしれない。

 やっぱり、誰にも言えないよ……。


『それなら、本人に聞いてみればいいんじゃない?』


 瑠璃ちゃんの言葉を思い出す。

 わたしは、ほかの誰よりも、りんかちゃんと話したかった。

 りんかちゃんに会って、どうしても聞きたいことがあった。


 帰りのホームルームが終わるとすぐに、教室を飛び出した。

 りんかちゃんの家は、学校の近くにあるマンションの7階だ。

 前に発表で同じグループになったとき、りんかちゃんの家に一度来たことがあった。

 エントランスの扉を開けようとしたけど、鍵がかかっていて開かなかった。

 どうしよう……。

 中に入れずにマンションの前でうろうろしていると、内側から扉が開いた。

 あっ、と声をあげる。

 出てきたのは、りんかちゃんだった。

「杏ちゃん、何してるの?」

「りんかちゃんに聞きたいことがあるの」

「聞きたいこと……?」

 わたしは手をぎゅっと握りしめる。

 こんなこと、言いたくない。だけど、やっぱり見なかったことにもできない。

「日曜日、雑貨屋さんで、りんかちゃんがリボン盗むところ、見ちゃったんだ」

 りんかちゃんちゃんは目を見開いて、わたしを見た。

「どうしてそんなことしたの?」

「……決まってるじゃん。ほしかったからだよ」

 りんかちゃんの目は、真っ赤だった。さっきまで泣いていたみたいに、腫れている。

「言うなら言えばいいじゃん」

 顔をそむけて中に入っていこうとするりんかちゃんの腕を、思わずがしっとつかんだ。

「待って……!」

 まだ、言いたいこと、何も言えてない。

 りんかちゃんのほんとうの気持ちを、何も聞けてない。

 ただほしかった、ってだけじゃ、ない気がした。

 でも、何て言えばいいのか、どんな言葉なら伝わるのか、わからない。

 だからーー

「りんかちゃん、学校行こう!」

「へっ?」

 りんかちゃんが目をぱちぱちさせる。

「一緒に行きたいところがあるの。りんかちゃんが行けるかどうかはわかんないんだけど……」

「何言ってんの? 意味わかんないんだけど。行けるわけないじゃん、風邪で学校休んだのに」

「あ……」

「絶対嫌。みんな知ってるかもしれないし、先生たちにももうバレてて怒られるかもだし」

「大丈夫。誰にも言ってないし、わたししか知らないから」

 りんかちゃんがはっとしてわたしを見た。そして、さっと目をそらした。

「誰にも言わないなら、いいけど……何しに行くの?」

 りんかちゃんがしぶしぶ言った。

「それは、行ってからのお楽しみ」

 そう言うと、りんかちゃんは意味わかんない、ともう一度つぶやいた。


 廊下の突き当り、家庭科室の扉がぽうっと光っているのを見て、りんかちゃんがぽかんとする。

「なにあれ。なんか光ってるんだけど」

 りんかちゃんにも見えるんだ。

「行こ、りんかちゃん」

 わたしはりんかちゃんの手をとって言った。

「えっ!? ちょっと待ってよ」

 その場所に引っ張られるみたいに、足が自然と速くなる。

 扉を開けると、

「いらっしゃい」

 色鮮やかな小物たち、そして瑠璃ちゃんがにっこり笑って出迎えてくれる。

「ごめんね、瑠璃ちゃん。誰にも内緒って言ってたのに……でも、どうしてもりんかちゃんに来てほしかったの」

 教えてあげたかった。

 学校の中にこんなに素敵な場所があるんだよって、知ってほしかったんだ。

「そう」

 瑠璃ちゃんがうなずいた。

「誰でもここに来れるってわけじゃないの。きっと、あなたが必要としてくれたから来れたのよ」

 りんかちゃんをまっすぐに見て言う。

「どういうこと? なんなのここ? 家庭科室じゃないの?」

 りんかちゃんがキョロキョロと家庭科室をみまわしている。

「ここは瑠璃色雑貨店」

 瑠璃ちゃんは言った。

「あなたは何がほしい?」

 初めてわたしがここに来たときと同じように、大人びた顔でにっこり笑って。

 りんかちゃんは吸い寄せられるように、机に向った。

「かわいい……小さいとき、おばあちゃんが作ってくれた小物みたい」

 りんかちゃんがピンク色の花の髪飾りを手にとって言った。

「お代は、あなたのリボン」

「えっ、これ?」

 りんかちゃんがおどろいて自分の髪についているリボンをさわった。

「これ、百円のだけど……」

「それなら高級品ね」

 瑠璃ちゃんは言った。

 りんかちゃんは戸惑いながら、自分の髪についているリボンをとって、はい、と瑠璃ちゃんに渡した。

 瑠璃ちゃんが目をキラキラさせてピンク色の布でできたリボンを見つめた。

「かわいい……っ!」

 ぽかんと見ていたりんかちゃんが、ちょっと笑った。

「変なの」

 そう言うのと同時に、涙がこぼれ落ちた。

「りんかちゃん……?」

「怖かった。昨日からずっと、バレたらどうしようって、怖くて、寝れなくて、学校にも行けなかった……」

 大きな目から、涙がどんどんあふれてくる。

「どうしてそんなことをしたの?」

 瑠璃ちゃんが言った。

 りんかちゃんがはっとしたように瑠璃ちゃんを見て、目を泳がせた。

「新しいものを持ってくたびに、みんながかわいいって言ってくれるのが嬉しかったの。もっと褒めてほしくて、どんどん新しいのがほしくなって、お小遣いじゃ足りなくて……」

 りんかちゃんの言葉が、まっすぐ心の中に届いた。

 すごく、よくわかった。

 ほしいものはたくさんある。まわりにはかわいいものがあふれてる。だけど、ほしいものが全部手に入るわけじゃない。

 いつも、我慢してた。

 そんなとき、このお店に出会った。

 かわいいものが、教室いっぱいにあふれてる。

 学校の中にあるのに、見慣れた教室とは全然違う場所。

 ここでは、お金はいらなかった。

 ほしいものを、自分がいま持ってるものと交換できた。

 我慢しなくてよかった。

 りんかちゃんがどうしてお店のものを盗んだのかわからなかったけど、だから、教えたかったんだ。

 もしかしたら、わたしと同じなのかも。そう思ったから。

 でもね、とりんかちゃんが続ける。

「盗んだリボンをかわいいって褒められても、全然うれしくなかった。悪いことをしたんだって気持ちでいっぱいで、ほしかったはずなのに、かわいいなんて思えなくて……でも、やっぱり怖くて、お店に返しにも行けなくて、家から出れなかった」

「一緒に返しに行こうよ。それで、謝ろう」

 りんかちゃんが目を丸くしてわたしを見た。

 許してもらえるかはわからないけど、まずは、そうしなきゃいけないと思った。

 りんかちゃんは、涙でぐしゃぐしゃになった顔でうなずいた。


 ☆


「杏ちゃん、おはよう」

「おはよう」

 わたしは顔をあげて、ぱっと目を丸くした。

 りんかちゃんの長い髪に、瑠璃色雑貨店で買った花の髪飾りがついている。

 薄いピンク色が、よく似合っている。

「かわいい!」

「ありがとう」

 りんかちゃんが嬉しそうに笑って言った。

「りんかちゃん、めずらしいのつけてるね」

 女の子たちがすかさず言った。

「たまにはこういうのもいいかなって」

 そう言うりんかちゃんは、すっきりとした顔をしていた。


 昨日、りんかちゃんと一緒に、雑貨屋にリボンを返しに行った。


『ごめんなさい!』


 深く頭を下げるりんかちゃんに、お店の人は言った。

『あなたが来るの待ってたの』

 えっ、とわたしたちはおどろいてお店の人を見た。

『来なかったら、おうちの人にも警察にも言うつもりだった。何歳でも、悪いことは悪いことだからね。でも、二度としないって約束するなら、今回だけは許してあげる』

 りんかちゃんは、ありがとうございます、もうしません、と約束して、何度もお礼を言った。

 お店を出るとき、来るときよりもずっと、足が軽くなったのを感じた。

 それはきっとりんかちゃんも同じだったと思う。


「この前、聞いちゃったんだ。あの子たちが陰で悪口言ってるの」

 廊下で、りんかちゃんがぽつりと言った。

 昨日、女の子たちがりんかちゃんの悪口を言っていたのを思い出して、またズキリと胸が痛んだ。

 自分のことを言われているわけじゃないのに、嫌だった。

 りんかちゃんは、自分がそんなふうに言われてるって知って、ショックだっただろうな……。

 わたしの顔を見て、りんかちゃんがぷっと吹き出す。

「杏ちゃん、すぐ顔に出るよね。知ってたんでしょ」

「えっ」

 ぎくりとした。

「そういうとこ、いいと思うよ」

 にっと笑うりんかちゃん。

 かわいくて、おしゃれで、自信たっぷりなりんかちゃんにあこがれていた。

 そして勝手に、苦手意識を持っていた。

 だけど、りんかちゃんのほんとうの気持ちを聞いたから。

 わたしと同じなんだって知ったから。

 仲良くなれるかもしれないって思ったんだ。


 ☆


「そう。よかった」

 昨日、お店に謝りに行ったことを話すと、瑠璃ちゃんはほっとしたように言った。

 りんかちゃんが死刑になったらどうしようと本気で心配していたらしい。

 やっぱり瑠璃ちゃんは、わたしたちとはべつの世界に住んでるんだろうか。

 言葉は通じるけど、いつも着物姿で、わたしたちとはどこか違う。

 それに瑠璃ちゃんは、


“私の住んでるところでは”


 そう言った。

 それは、ここじゃないどこかべつの世界に住んでいるってことだ。


 ーー瑠璃ちゃんはどこから来たの?


 毎日、放課後の教室で、4時になるのをワクワクしながら待つ。

 だけどときどき、不安になる。

 ある日突然、ここに来られなくなったらどうしようって。

 家庭科室がふつうの家庭科室のままで、瑠璃ちゃんもこのお店も、突然なくなってしまったらどうしようって。

「瑠璃ちゃん、ずっとここにいてね」

 わたしはお願いするように言った。

 もちろん、わたしだってずっと小学生のままではいられないけれど。

 だけど、卒業するまでは、毎日だってここに来たい。

 瑠璃ちゃんは、さみしそうに言った。

「私、あと半年で、学校を卒業するの」

「半年?」

「この学校を卒業したら、べつの学校に行くのよ。だからここには、あと半年しかいられないの」

 わたしはわけがわからなくて、瑠璃ちゃんの顔をじっと見つめた。

 半年で卒業って、どういうことだろう。

 瑠璃ちゃんは4年。それなら、卒業まであと2年はあるはずなのに。

「そしたらもう、このお店はできない。私の家は呉服屋をやっててね、高学年になったら家の手伝いをしなきゃいけないから」

「ゴフクヤ……?」

「着物を売ってるお店のことよ」

 4年生までの学校なんて、聞いたことがない。

 ゴフクヤって言葉も初めて聞いた。

 いったい、どこの世界の話をしてるんだろう。

「瑠璃ちゃんは……」

 ほんとうは、どこにいるの?

 どこから来たの?

 この学校に通っているのに、どこにもいない。

 放課後の家庭科室にだけあらわれる不思議な女の子。

 もうわかってた。瑠璃ちゃんは、この学校には通っていない。

 だけどやっぱり、瑠璃ちゃんが嘘を言っているようにも思えない。

「私は、ずっと遠いところから来たの。どうなってるのか、自分でもよくわからないの」

 瑠璃ちゃんはそう言った。

 そして、いつもみたいににっこりと笑う。

「でも、それまでは、ここにいるから」

 大好きな場所がいつまでもそこにあるとは限らない。

 そのことをわたしは知っていた。

 すぐ近くにあると思っていた場所が、人が、突然いなくなってしまうことがあるってこと。

 だけどこのお店は、ずっとここにあるって思っていた。

 瑠璃ちゃんには、瑠璃ちゃんの世界の事情があるんだ。

 それはわかっているはずなのに。

 わたしはショックで何も言えなくなってしまった。

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