第10話 *

一緒に住んでいるけれど、律とは恋人でも何でもない。


杠葉さんに説明した通り。


律は、昔住んでた家の、隣に住んでいたお兄ちゃん。

小さな頃から知っていて、わたしのことをかわいがってくれている人。


今こうして、わたしを家に住ませてくれてるのは、同情……というより、贖罪。




「できたけど、そこで食べる?」

「うん」


ローテーブルの上にお皿を並べると、律は床に座って、手を合わせた。


「いただきます」


隣に膝を抱えて座った。

律が食べている間、律にもたれかかった。



許されるのはここまで。

兄を慕う妹に許される分だけ。



律は何も言わずに、野菜炒めとご飯を食べ続ける。


もっとちゃんと時間をかけて作ったものを食べてもらいたかったな。

ありあわせの物なんかじゃなくて。

お味噌汁も、鰹で出汁をとったものを作りたかった。


そんなことを思いながら、律が粉末の出汁で作ったお味噌汁を飲むのを見ていた。




「美味くて一気に食べた。ごちそうさま」


その声に、お皿を片付けようと手を伸ばすと、律が制した。


「片付けくらいやるよ」

「やらなくていい。律に任せたら洗い残しとかありそうで気になる」

「じゃあ、流しに持ってくだけ」

「持って行くだけね」


お皿を持って、わたしに後姿を見せた状態で律が言った。


「『律』とか呼び捨てしてたら、誤解されるから、いい加減やめろよ」

「律は、律でしょ。子供の頃からそう呼んでるのに、今更、『さん』とか『くん』とか無理」

「10も年上の人間つかまえて呼び捨てか」


そう言いながらも、こっちを向いた律は優しい顔をしていた。


「まぁ、いいけどさ」



こんな時、律に抱きつきたくなる。

だけど、そんなことはできない。


こうして、一緒にいる時間だけを大切にしなくてはいけない。



「お風呂、先に入って。耳の後ろもちゃんと洗うんだよ」

「母親かよ!」




律がお風呂に入ったのを確認して、忘れないうちにさっきの話をメモするためスマホのメモアプリを開いた。


画面をスクロールして、一番最後に付け加える。



『岬はダメ。漁師さんに迷惑をかけてしまう』



律と暮らし始めてから書き留めたメモ。


『賃貸住宅はダメ。事故物件になってしまったら、持ち主の人に迷惑をかけてしまう』

『列車に飛び込むのはダメ。あまりにもたくさんの人に迷惑をかける』

『飛び降りはダメ。低いと目的が達せられない。その建物に関わる人に迷惑がかかる。下に人がいたら何の罪もない人に迷惑をかけてしまう。後片付けをする人のことも考えて』



途中まで読み直していていたところで、バスルームのドアを開ける音が聞こえたので、アプリを閉じた。



リビングに戻って来た律は、いつものように、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出すと、その場でごくごくと飲み干す。


律はわたしの前で決してアルコールを口にしない。

家にも持ち込まない。



そんな姿を見ながら、「舞姫」のラストを思い出していた。


森鴎外が書いた小説「舞姫」のラストは、ハッピーエンドとは程遠い。

エリート官僚の主人公と貧しい踊り子が恋に落ちる話だけれど、最後、主人公は踊り子との別れを選ぶ。


初めて読んだ時は、主人公が出世のために恋人を捨てることを酷いと思った。


でも、今は、少し違った見方をしてしまう。

自分の気持ちだけではどうしようもないことがある。



小説の中の踊り子は、自分の愛する人が自分のせいで仕事も家族も友人も、全てを失って自分を選ぶことを、本当に望んだのだろうか?


わたしなら望まない。

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