第3話 *

飯島さんに連れられて行ったお店は地下にあって、洞窟のような造りの店内は薄暗く、凝った照明が幻想的な雰囲気を感じさせる。

席に案内される時目に入ったカウンター席には、見えるようにお酒の瓶が並べられていたけれど、全て海外のものらしく、ラベルは読めなかった。



名前だけの当たり障りない自己紹介をぼんやりと聞いていると、正面に座っていた男性が「青葉です」と名乗った。

渡瀬さんだったかが「青葉?」と聞き返したので、その声につられて、目の前に座る男性の顔を初めて真っ直ぐ見た。

青葉さんは聞き返されたことに対して、ただ「はい」とだけ短く返事をした。


「青葉」は職場の店舗名と同じ名前だった。



やがて、「休日は何をして過ごすのか」という、ありふれた会話が始まったけれど、わたしの興味は目の前に置かれた海老とアボカドのサラダだった。


取り分けた方がいいのかな?


そう思って見渡したけれど、誰も料理には見向きもせず、箸すら持っていない。

それで、ひとり取り皿にとって食べようとしたところで、斜め向かいの男性に話しかけられた。


「名前、『オウガイ』って言ったよね? どこかで聞いたことがあるんだけど……」



ずくっと、胸に鈍い痛み。



「ほら、森鴎外の鴎外!」


そう言ったのは飯島さんだった。


「ああ! 『舞姫』書いた人! 道理で聞いたことあると思った。もしかして漢字も同じ?」

「はい、同じです」

「めずらしい苗字だよね」

「そうですね」

「そんな鴎外さんの趣味は何?」

「趣味……ですか……」


少し考える。

「趣味」と言えるものはない。


「旅行でしょうか」

「旅行、いいねぇ。どんなとこへ行くの?」

「山です」

「山?」

「登山をするために旅行してます」



国公有地限定の登山。

私有地だと……迷惑がかかるから。



「えーっと、何だっけ? 山ガールってやつだ」


そう言われて、ただ微笑み返した。


それ以上会話が膨らまないことに、男性は諦めて他の人に視線を移した。



早く帰りたい……



そんなふうに思いながら、目の前の料理を自分の取り皿にとった。


そう言えば、唯一名前を覚えた青葉さんは、名前を名乗ったきり誰とも口をきいていない。


だからといって話しかける気もなかったので、ひとり黙々と料理を食べ続けた。

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