第48話 誰にも渡さない
聖堂内では、青みがかったステンドグラスが神秘的な輝きを放っている。木製の長椅子は、洋装に身を包んだ参列者で埋まっていた。千晃も後方の席について、息を潜める。
もうしばらくすれば、結婚式が始まる。千晃は心臓を抑えながら、その時を待っていた。
トヨに事情を明かした後、千晃は滝沢の運転する車に乗せられて一度屋敷に戻った。そこでウィリアムに買ってもらったブラックスーツに袖を通す。
ネクタイの結び方には、またしても苦戦したが、滝沢に教えてもらいながらどうにか結ぶことができた。さらに変装と称して、眼鏡と帽子まで身につけさせられた。
鏡に映った自分は、いつもより大人びて見える。洋装をしているせいだろうか? これなら式場に紛れ込んでいても、すぐには気付かれることはなさそうだ。
身支度を整えると、急いで教会に戻った。二人の結婚式は、大勢の参列者を招いていたこともあり、正装さえいれば紛れることは容易かった。
ちなみにトヨは、秋穂の付き添いのために控室にいる。まさか秋穂も、千晃がこの場にいるとは夢にも思っていないだろう。覚悟は決めたものの、秋穂に対する罪悪感は重く圧し掛かった。
花婿奪還作戦を成功させるためにも、トヨからは行動を起こす時機まで指示されていた。式の最中に、聖堂内の灯りが一斉に消える場面があるそうだ。そこで祭壇まで駆け出して、ウィリアムを奪う作戦だ。
灯りがいつ消えるのかは分からないが、ひとまずはその時を待つことにした。
式の開始時刻になると、聖堂内にパイプオルガンの音が響く。神々しい調べと共に後方の扉が開いた。振り返った途端、胸が熱くなる。
扉の前には、タキシード姿のウィリアムがいた。邪気を祓うような純白のジャケットは、金糸雀色の髪と調和が取れており、気品が溢れていた。すらりと伸びている脚は、驚くほど長く見える。西洋の王族のような佇まいに、千晃は息をすることすら忘れていた。
華やかな装いとは対照的に、ウィリアムの顔色は思わしくない。紅玉の瞳は虚ろで、頬は血の気が失せていた。これから式を挙げる新郎の顔には見えない。
ウィリアムは、虚ろな瞳のまま祭壇へ向かう。本当は今すぐ駆けだしたいところだが、その時が来るまでは耐えることにした。
しばらく経つと、新婦が入場する。秋穂は、純白のウェディングドレスを身に纏っていた。
女性の婚礼衣装と言えば白無垢が一般的だ。ドレスで式を挙げるというのはかなり珍しい。このような派手な演出をしたのも、九条家の財力を見せつけるためだろう。
ウェディングドレス姿の秋穂は、目を瞠るほど美しい。参列者も、秋穂の美しさに見惚れていた。しかしベール越しから見える表情は、お世辞にも幸せそうには見えない。
秋穂は九条社長と腕を組みながら、バージンロードを歩く。祭壇の手前で父の手を離し、新郎の隣に並んだ。
二人が並んだ姿は、まさしく美男美女だ。会場からも、あちこちで感嘆の溜息が漏れた。
焦燥と嫉妬に飲み込まれそうになりながらも、どうにか正気を取り戻す。その間にも式は進行した。讃美歌を歌い、牧師が聖書を朗読する。教会での式に参列するのは初めてだったため、儀式の一つひとつが物珍しかった。
祭壇で向かい合う二人に、牧師が問う。
「病めるときも、健やかなるときも、死が二人を分かつまで、愛をもって互いに支えあうことを誓いますか?」
キリッと胸が痛む。まるで神の前で永遠の愛を誓っているようだ。見ていられなくなって、千晃は目を伏せた。
俯いて時が過ぎるのを待っていると、牧師が信じられないことを口にする。
「誓いのキスを」
その言葉で、千晃は頭が真っ白になる。咄嗟に顔を上げて、ウィリアムの反応を伺った。
(キス? こんなに大勢の前で?)
千晃の常識では考えられないことだ。西洋の結婚式では、そんな儀式があるなんて初めて知った。参列者からもざわめきが起こる。
祭壇に立つウィリアムは、空虚な瞳で秋穂を見下ろしている。牧師に促されても、行動には移さなかった。
これから起こることを想像すると、血の気が引いていく。ウィリアムとは、これまで何度もキスをした。羽のようなキスも、啄むようなキスも、息ができなくなるようなキスも。それを秋穂にもすると考えると、気が狂いそうになった。
頭を抱えて俯くと、変装用の眼鏡が床に落ちる。拾う余裕はなかった。秋穂に笑いかけるだけでも嫉妬をしてしまうくらいなのだから、キスなんて見せつけられたら心が壊れてしまいそうだ。
(もう、見ていられない)
千晃は椅子から立ち上がる。その直後、バチンと大きな音を立てて、会場内の照明が落ちた。聖堂内は、暗闇に包まれる。
会場は騒然とする。照明が落ちたのは、予想外だったようだ。混乱に包まれる中、千晃はハッと気付く。動き出すとしたら、今だ。
走り出そうと祭壇を見据えた直後、またしても驚くべきことが起こる。後方の扉が音を立てて開く。参列者のほとんどは注目していなかったが、千晃には見えた。
バージンロードを一人の男が駆けていく。スーツにカンカン帽と普段の装いとは異なるが、見間違うことはない。
あれは、周作だ。
周作は祭壇を駆け上がると、秋穂の手を掴む。二人は顔を見合わせると、躊躇いなく後方の扉へと駆け出した。
何が起こっているのか分からない。去り行く二人の背中を、ウィリアムは微動だにせず眺めている。花嫁が強奪されたというのに、まるで動じていないようだ。
目を凝らして表情を確認すると、ウィリアムの口元が安堵したように弧を描いていることに気付いた。まるでこうなることを予期していたかのように。
参列者は花嫁が強奪されたことには、まだ気付いていない。喧騒に包まれる中、トヨのよく通る声が聖堂内に響いた。
「機材故障のせいで照明が落ちたそうです。緊急の御用がない方は、その場から動かないでください」
周囲への警告だが、千晃には別の意味に聞こえた。これは、トヨからの合図だ。
(行かなくちゃ)
参列者の間を潜り抜け、千晃はバージンロードに躍り出る。ふかふかとした絨毯を踏みしめながら、祭壇まで走った。
一直線に走っていると、ウィリアムと目が合う。彼は信じられないものを見るように、目を見開いていた。千晃がこの場に来るなんて、想像もしていなかっただろう。
祭壇を登ってウィリアムと向き合うと、愛おしさが溢れかえる。
――もう、誰にも渡さない。
そんな独占欲から、普段では考えられないような大胆な行動に出た。
千晃は背伸びをして、ウィリアムとの距離を縮める。互いの視線が交わった後、ウィリアムの唇を強引に奪った。
柔らかな感触と、ぬくもりが伝わる。悲しみも、不安も、寂しさも、嫉妬も、全部吹き飛んで、幸福感に包まれた。
キスの感覚に浸っていると、頬に温かなものが零れ落ちる。閉じた瞼を開けると、それがウィリアムの涙だと気付いた。空虚だった瞳には、光が宿っている。
その光景を目にした途端、空っぽになった器に温かなものが流れ込んだ。もう二度と注ぎ込まれることはないと思っていたから、嬉しくて堪らなかった。
唇を重ねながら、千晃は胸の内で誓う。
(これからは、僕がウィルを幸せにする)
暗闇に包まれた聖堂内で、誓いのキスを交わす。その事実は、誰にも知られることはなかった。唇を離すと、千晃はウィリアムの手を掴む。
「行こう」
凛とした声と合図に、二人は聖堂内から飛び出した。
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