第44話 ヴァンパイア・ロード

※残酷描写あり。苦手な方はご注意ください。


 伯爵家の三男として生まれたロードは、二十七歳の若さで生涯を終えようとしていた。霧の濃い夜のことだった。


 恋人から納屋に呼び出されたロードは、背後から短剣で突き刺された。焼けるような痛みに襲われながら、冷たい床に伏す。振り返ると、返り血を浴びた恋人がこちらを見下ろしていた。


 どうして……。声を発することはできなかったものの、口の動きだけで伝わったようだ。


「貴方のすべてが欲しかったの。身も心も、ぜんぶ」


 彼女は恍惚とした表情で白状する。どうやらロードは、歪んだ愛に殺されたようだ。


 彼女を歪ませてしまった原因には心当たりがある。両親から関心を持たれずに育ったロードは、異様なまでに愛を求める大人へと成長していた。言葉巧みに女性に近付き、依存させ、愛の言葉を引き出してきた。恋人の数も一人や二人ではない。現にロードを刺した彼女も、三番目の恋人だ。


 結局は、寂しさを埋めるための道具に過ぎなかった。彼女のことも、本当の意味では愛していたわけではない。


 彼女は床に跪き、血溜まりの中でロードを抱きしめた。


「これでようやく貴方が手に入った。愛しているわ、ロード」


 自業自得だ。そう割り切って、死を受け入れれば良かった。


 だけどこの時のロードは、どうしても死を受け入れられなかった。自堕落に生きてきたロードが、ようやく星を掴みかけた時期だったからだ。


 気まぐれで書いたロマンス小説を知り合いに見せたところ、思いがけず絶賛された。それ以来、寝る間も惜しんで物語を書き綴った。


 ようやく生きる道を見つけたのだ。こんな所で生涯を終わらせるわけにはいかない。


 煮えたぎるような悔しさに苛まれていると、彼女は背中に突き刺さった短剣を抜こうとする。しかし深く刺さっているせいか、抜くことはできなかった。彼女は焦点の合わない瞳で立ち上がる。


「待っててね。貴方一人にはさせないわ」


 そう言い残すと、フラフラと納屋から出ていった。どうやら彼女もロードを追いかけようとしているらしい。


 彼女が納屋を離れたところで、生の執着が湧きあがる。どんな手を使っても、生き延びたかった。


 そんな時、小説の資料として借りたとある書物の存在を思い出す。その書物には悪魔召喚の儀式に関する記述があった。


 ロードは一縷の望みにかけて、自らの血で魔法陣を描く。描きながら、何度も生きたいと願った。


 視界が霞み、意識が朦朧としてきた頃、異変が起きた。扉の閉められた納屋に、荒々しい風が吹き荒れる。唸りをあげる風音に交じって、地を這うような低い声が響いた。


『ほう……私を呼べるとは、珍しい人間もいたものだな』


 姿は見えないが、禍々しいものが存在する。どうやら成功したらしい。


『生きたいか?』


 悪魔の問いに、ロードは声を振り絞って答える。


「生きたい」


 願望を伝えると、けたたましい笑い声が聞こえた。脳に直接響くような不快な声だ。


『そこまで生に執着する男は珍しい。いいだろう。お前を生かしてやる』


 まさか本当に助けてもらえるとは思わなかった。安堵したのも束の間、悪魔はさぞかし面白そうに告げた。


『生きながらえる代償として、お前の身体に枷をかけた。いずれお前は、生きていることを後悔するだろう』


 風の音と共に、不快な笑い声が響く。一瞬意識が遠のいたが、ハッと我に返った時には、背中の傷が塞がっていた。先ほどまでの痛みもない。どうやら本当に復活したようだ。


 しかし、大量の血を失ったせいで、視界がぐらぐらと揺れる。額を抑えながら、何とか立ち上がった。そんな中、短剣を持った恋人が戻ってくる。


「どうして立っていられるの?」


 彼女は信じられないものでも前にしたかのように、目を剥いている。そんな反応になるのも無理はない。つい先ほどまで、瀕死の状態だったのだから。


 彼女の青ざめた顔から視線を落とすと、白くて華奢な首筋が視界に飛び込む。それはやけに美味しそうに見えた。


 あの首筋に噛みつきたい。ロードは抑えきれないほどの衝動に駆られた。興奮を抑えながら、ロードは紳士的に微笑む。


「君は私のすべてを欲しいと言ったね。私も同じだ。君のすべてを奪いたい」


 にじり寄るロードに、彼女は恐怖の色を滲ませる。逃げようとしたものの、血溜まりで足を滑らせて尻もちをついた。その隙をロードは見逃さなかった。


 ロードは彼女の首筋に噛みつく。柔らかい肉を抉ると、口の中に生温かい血が流れ込んできた。錆びた鉄の匂いと塩辛い味が広がって、反射的にえずく。人の血を吸っているという行為にも嫌悪感を抱いた。


 だけど、やめることはできなかった。


 夢中で血を吸い続け、気付いた時には吸い尽くしていた。人形のように真っ白になった恋人を見て、ロードは狂ったように絶叫した。


 ロードは悪魔の力によって生きながらえることに成功したが、人ならざるものに成り果ててしまった。これではまるでヴァンパイアだ。


 もう二度とあのようなことはしない。そう胸に誓った。


 しかしロードは再び吸血衝動に襲われることとなる。屋敷に仕えるメイドの首筋がやけに美味しそうに見えた。このままでは、また人を殺めてしまう。自らの加害性に怯えたロードは、屋敷を飛び出した。


◇◆


 ロードはひたすら夜の小道を走る。領地を抜けたところで、ある女性と出会った。彼女は橋の上から身投げしようとしていた。危機を察したロードは、咄嗟に彼女を押さえ込む。


「馬鹿なことはやめなさい」


 思いとどまらせようとしたものの、彼女は虚ろな瞳でロードを見上げた。


「とめないで」


 そう呟く彼女の首筋は、やけに美味しそうに見えた。ロードはごくりと喉を鳴らす。


 彼女は自らの意思で生を手放そうとしている。それなら奪ったって構わないだろう。欲にまみれた思考で、そんな都合の良い解釈をしていた。


 吸血衝動に駆られながら、ロードは紳士的に微笑む。


「濁流に飲まれたら、苦しい思いをするに違いありません。それならいっそ、私の腕の中で死んでみませんか?」


 女性の瞳に、ほんの少しだけ光が宿ったような気がした。彼女は淡く微笑む。


「ああ、死神って本当にいるのね」


 ロードは彼女を抱き、血を吸った。最中に「愛してる」と口にしてくれたことが印象的だった。一時の高揚感からくる言葉だったとしても、愛を捧げてくれたことは嬉しかった。


 血の味は、相変わらず最悪だ。だけどもう、こういう生き方しかできなかった。


◇◆


 ロードは、住む場所を転々としながら生きながらえた。驚くことに彼の身体は年老いることなく、悪魔と契約をした齢の二十七歳を維持していた。


 美麗な容姿は衰えることなく、ロードの周りには人が集まった。彼は紳士的な笑顔を振りまきながら、密かに血の供給者を探していた。


 ロードとて無差別に血を奪うわけではない。血を奪うのは、希死願望のあるものだけと決めていた。その条件さえ満たせば、性別は問わなかった。


 希死願望のある人間を言葉巧みに惑わし、血を奪う。それがいつものやり口だった。亡骸は自死に見せかけて葬り去った。


 罪悪感がないわけではない。自分に身を委ねてくれた人を殺めるのは、心苦しいことだ。


 せめてもの償いとして、ロードは殺めた人をモデルに小説を書いた。不遇な彼女達が、せめて物語の中では救われるように。


 幸か不幸か、ロードの書いた小説は世間で評価され、ロマンス作家としての地位を築き始めた。しかし、時代の流れと共に綻びが現れ始める。


 ロードの周囲で不審死が相次いでいることが発覚し、ヤードから取り調べを受けるようになった。


 この国にはもういられない。ロードは海を越え、遠く離れた異国へ旅立った。


 新天地でやり直そうと決意した時、現地の商人に気に入られ、商売をしないかと誘われた。時代の影響もあり、ロードの始めた事業は瞬く間に利益を上げた。


 とはいえ、血を分けてもらわなければ生きられない身体であることには変わりはない。人を殺さずに生きながらえる術を探したところ、男性から合法的に生気を分けてもらう方法を思いついた。過去の経験から、血以外の物質からも僅かながら生気を補うことができると知っていたからだ。


 血の味は最悪だか、こちらも最悪だ。だけど生きながらえるには、こうする他なかった。


 血を得られないせいで、時折激しい吸血衝動に駆られる。道行く人の首筋が視界に入るたびに、噛みつきたい衝動に駆られた。


 悪魔の言っていたことは本当だった。ロードは、生きながらえていることに後悔していた。


 そんな中、世話になっていた商人から婚姻話が持ちかけられた。結婚なんて今まで考えたこともなかった。断ろうと思ったが、ある考えが過る。


 特定の人間から血を得られるのであれば、もう誰も殺さなくて済むのかもしれない。これまでは誰のことも信用していなかったから、正体を明かすことはなかった。


 だけどもし、ロードの正体を知ってもなお、血を捧げてくれる人がいるのなら……。そんな淡い期待を抱きながら、婚姻に承諾した。


 ロードのもとに現れたのは、痩せ細った小柄な少年だった。花嫁というからには女性が来るとばかり思っていたから、拍子抜けした。


 だけど、彼の白くて華奢な首筋はとても美味しそうだ。


 血に飢えていたロードは、衝動のままに彼の首筋に噛みつく。肉を抉って血を含んだ瞬間、驚くべき感覚に包まれた。


 血を美味しいと感じたことは一度もなかったが、彼の血は違った。


 まるで新鮮な果実にかぶりついているような感覚だ。内側からじゅわりと甘い蜜が溢れ、喉をさらりと通り抜けていく。あまりの美味しさに夢中で吸い続けた。


 彼が意識を失ったところで、ハッと思い留まる。彼を殺してしまったら、もう二度とこの味を堪能できなくなる。名残惜しさを感じながらも、ロードは彼を解放した。


 彼は意識を失っているが、呼吸はある。血を吸っても殺さなかったのは初めてだった。


 夜間に容態が急変することを案じて、ロードは彼をベッドに招き入れる。着物を脱がせると、彼の細さが余計に際立った。良家の子であるはずなのに、どうしてこんな身体付きになるのか不思議でならなかった。


 すやすやと眠っている彼は、まるで子供のようだ。思わず髪を撫でてみる。艶やかな黒髪は絹のような触り心地で、いつまでも触れていたくなった。


 髪を撫で続けていると、寝返りを打った彼がこちらに手を伸ばす。細くて華奢な腕がロードの腕にしがみついた。


「あったかい」


 その瞬間、愛おしさが溢れかえった。


 寝ているとはいえ、血を吸われた相手に擦り寄るなんてどうかしている。呑気に寝息を立てながらロードの腕を抱く彼を見て、呆れてしまった。


 だけど、肌が触れ合う感覚は心地よい。凍てついた心が溶かされた。


 彼のことは殺したくない。そう、強く願った。


 共に過ごす中で、ロードは彼に惹かれていった。最初は子供のような彼を守りたいという庇護欲だったのかもしれない。だけど次第に、人としての魅力に惹かれていった。


 何より自分のような化け物に、躊躇いなく血を差し出してくれることが嬉しかった。




 しかし、ロードはやはり化け物だった。ふとしたきっかけで激しい吸血衝動に駆られ、彼の血を吸い尽くそうとしてしまった。


 以前、吸血鬼に関する文献で読んだことがある。吸血鬼は、心から愛した人の血は全て奪いたくなる習性があるそうだ。


 ロードは彼のことを、心から愛している。だからいずれ、彼の血を吸い尽くしてしまうだろう。

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