第41話 役割を果たすために

 二週間経ってもウィリアムが屋敷に戻ってくることはなかった。相変わらず会社の宿舎で寝泊まりをしているそうだ。その間、秋穂とトヨは食事の差し入れを続けていた。


 ウィリアムが屋敷に戻らないのは、先日の吸血衝動が原因だろう。千晃の血を吸い尽くそうとしたウィリアムは、今にも泣き出しそうな表情をしていた。屋敷を離れたのも、千晃に対する罪悪感からだろう。


 屋敷の主はウィリアムなのに、自分がいるせいで戻って来られないというのは忍びない。とはいえ、以前のように勝手に屋敷を飛び出すわけにもいかない。ウィリアムと触れ合った際、「もう、どこにも行かない」と約束したからだ。それを反故にして勝手に屋敷を離れたら、余計にウィリアムを傷つけるような気がした。


 罪悪感に駆られる一方で、別の心配事も浮上する。


(もう随分血を吸っていないけど大丈夫なのか?)


 前回血を吸ってから、既に二週間以上経過している。こんなに血を与えなかったのは初めてだ。


 ウィリアムは、他者から生気を与えられなければ生きていけない。血の供給が絶たれることは、ウィリアムにとって死活問題だ。彼の健康状態が心配でならなかった。


 もしかしたら秋穂から血を得ているのかとも想像したが、彼女の首元には傷一つない。秋穂からは血を吸っていない証拠だ。念のため、滝沢やトヨの首元も確認したが、どちらにも噛み痕は存在しなかった。


 千晃は傷だらけになった首筋に触れる。ウィリアムは、千晃以外からは血を得ていない。そう考えると余計に心配になった。


◇◆


 ウィリアムが屋敷から離れた後も、千晃の送迎は滝沢が担っていた。大学に向かう車内で、ウィリアムの容態をそれとなく尋ねてみる。


「あの、ウィルはお元気ですか? その……体調を崩しているとか……」


 滝沢はハンドルを握りながら淡々と答える。


「仕事はいつも通りこなしていますが、体調は最悪ですね。日に日にやつれているような気がします。ここ最近は、執務室に籠って人との関わりを絶っています。私もどうしたものかと頭を悩ませていたところです」


「そう、なんですね……」


 やはり思った通りだ。血の供給が絶たれたことで憔悴しているのだろう。このままではウィリアムの生命が危ぶまれる。


 ウィリアムは、千晃の血を大層気に入っている。他の人間の血を口にする気がないなら、自分が血を捧げなければ。たとえ、花嫁にはなれなかったとしても。


「滝沢さん、今日ウィルに会いに行ってもいいですか?」


 沈黙が走る。千晃の発言がよっぽど意外だったのか、滝沢はハンドルを握りながら言葉を失っていた。


 ウィリアムに血を捧げることを滝沢に告げる訳にはいかないが、どうにか会わせてもらえるように訴えた。


「心配なんです。僕にできることがあるなら、何でもしてあげたいんです」


 傷つきたくないから会えないなんて言っている場合ではない。今会いに行かなければ、取り返しのつかないことになるような気がした。


 千晃からの訴えを聞いた滝沢は、運転を続けながら頬を緩ませる。滝沢が笑った顔を初めて見た。


「アキさんは、社長のことを大切に思われているのですね」


「はい」


 たとえ一緒にいられなくても、ウィリアムを想う気持ちは変わらない。彼のことを何よりも大事に想っていた。


 車は大学前で停車する。礼を告げて降りようとしたところ、滝沢から茶封筒を渡された。


「社長からこちらをお預かりしました。アキさんにお渡しするようにと」


「これは、なんですか?」


「開封していないので、私も分かり兼ねます。ただ、アキさん以外は絶対に開封しないようにと念を押されました」


 茶封筒は書類が入っているのか分厚く膨らんでいる。口の部分には、封蝋が施されていた。未開封の証拠だ。中身に心当たりはないが、ひとまずは受け取ることにした。


「ありがとうございます」


 封筒を受け取ると、滝沢はいつも通り淡々と告げる。


「授業が終わったら、お迎えに上がります。社長にもアキさんが面会を望んでいることを伝えておきますので」


 その言葉に千晃は安堵する。今夜ウィリアムに会えれば、血を供給できる。そうすれば、彼の命を繋ぐこともできるだろう。千晃は受け取った茶封筒を鞄に収めてから、車から降りた。


◇◆


 講義が終わり、正門前で滝沢を待つ。今日は普段よりも講義が早く終わったため、滝沢はまだ到着していなかった。


 通り過ぎていく学生達を眺めながら立ち尽くしていると、正門前に一台の車が停車する。瑛国式のガソリン自動車だ。ウィリアムの保有しているものとは種類が異なるが、珍しいものであることには変わりなかった。


 周りの学生達は、興味深そうに車を眺めている。千晃もまじまじと眺めていた。


(やっぱり瑛国式の自動車は格好良いなぁ)


 なんて呑気に眺めていると、運転席からスーツ姿の男性が降りてきた。年齢は三十代前後だろうか。品の良さを感じさせることから、どこぞの資産家が雇っている運転手であることが想像できる。


 呆然と眺めていると、男は迷いない足取りで千晃のもとまでやって来た。まさか自分のもとにやって来るとは思わなかったから驚いた。


 目の前までやって来た男は、胸に手を当てながらお辞儀をする。


「私は九条家にお仕えしております、平塚と申します。旦那様の命で、小宮千晃様をお迎えに上がりました」


「迎え?」


 そんな話は聞いていない。今朝だって、滝沢が迎えに行くと話していた。それに相手は九条家の人間だ。どう考えても怪しい。千晃は警戒心を強めて、男を見上げた。


「そのような話は伺っておりません。同行は致しかねます」


 きっぱりと断ると、男は小さく溜息をついた。


「そうですか。あまり手荒なことはしたくなかったのですが、仕方がありませんね」


 千晃が眉を顰めた直後、男は片手を上げる。すると助手席から恰幅のいい男が現れた。ただならぬ気配を感じて後退りするも、目の前の男に腕を掴まれて逃亡を阻まれる。


 恰幅のいい男が背後に回った直後、躊躇いもなく首元を強打された。脳がぐらりと揺れる。前方によろけると、目の前の男に抱きかかえられた。


「少し、お休みになっていてください」


 その言葉を最後に、千晃は意識を手放した。

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