第39話 ぜんぶ、あげる
ウィリアムが結婚。何故そんな話が出てくるんだ? 理解の追い付かないまま、千晃は乾いた笑いを浮かべる。
「え……結婚? 秋穂さんと? どうして急に?」
訳が分からない。つい先日、花嫁は千晃だけと宣言されたばかりだ。昨日だってキスをされた。それなのに、どうして?
動揺を隠せずにいると、ウィリアムは涼し気な顔で答える。
「もともと秋穂さんは、私の花嫁として屋敷に来たんだ。アキだって、秋穂さんと結婚すればいいと言っていたじゃないか」
確かに秋穂と結婚すればいいとは口にしたが、あれはただの照れ隠しで、本心で言ったわけではない。だけど、それを訂正することは今の今までしてこなかった。
それだけじゃない。昨日だって酷い事を言ってしまった。不用意な発言でウィリアムを傷つけてしまったのは、紛れもない事実だ。
(なんだ、全部僕のせいじゃないか……)
ウィリアムの心が離れてしまった原因は、千晃自身にある。素っ気ない態度を取り続けてきたせいで、ウィリアムの心は秋穂に向いてしまったのだろう。
ぼんやりとした頭で、千晃はこれまでのことを振り返る。
帝都に来たばかりの頃は、全てを捧げても構わないと思えるほど誰かを愛したいと願っていた。だけど実際には、ウィリアムに与えられてばかりで、こちらからは何一つ返すことはできなかった。これでは見放されて当然だ。
どうしてもっと寄り添ってあげられなかったのだろう? 自分の気持ちより、相手の気持ちを思いやれるような人間だったら、こうはならなかったのかもしれない。傷つくことを恐れて、一番大切なものを見失っていた。
ふと、昼間に立ち聞きした秋穂とトヨのやりとりを思い出す。あの時秋穂は、二人のことを千晃に打ち明けられると言っていた。もしかしたら、水面下では結婚の話も進んでいたのかもしれない。
もう何もかも遅い。一度離れてしまった心は、元には戻らない。ウィリアムは、秋穂を花嫁にする道を選んだのだ。
それがウィリアムの出した答えなら、尊重すべきだろう。頭ではそれが最善の策だと分かっていながらも、心はどうしたって追い付かなかった。
(ああ、やっぱり無理だ。僕は、二人を祝福することなんてできそうにない)
二人が夫婦になる姿を想像するだけで、目の前が真っ暗になる。ひびの入った器が地面に叩き落とされ、温かなものがすべて地面に零れていった。
呆然と立ち尽くす千晃を前にして、ウィリアムは口元に手を添えながらくすりと笑う。
「どうした? 私が結婚するのは嫌か?」
言葉は通り過ぎていくばかりで、まるで頭に入って来ない。千晃は虚ろな瞳でウィリアムを見上げた。
もう、ウィリアムの傍にはいられない。たとえ離れたとしても、一緒に過ごした日々を忘れることなんてできない。それは、前回屋敷を飛び出した時に思い知らされた。この先もウィリアムと過ごした甘い日々を思い出しては、何度も後悔するのだろう。
それならいっそ、すべてを終わらせてほしかった。
千晃は覚束ない足取りでベッドに向かう。ギシッとスプリングを軋ませながら腰掛けると、着物の合わせを左右に開いた。
「アキ?」
突如脱ぎ始めた千晃を前にして、ウィリアムは目を見開く。こんな行動を取るのは予想外だったのだろう。驚くウィリアムに千晃は微笑みかける。
「ぜんぶ、あげる」
どうせこの先も傍にはいられないのだ。それならいっそ、彼の手で終わらせてほしかった。
「僕の血を吸ってよ。空っぽになるまで、吸い尽くしていいから」
目の前で佇むウィリアムの顔は、次第に青ざめていく。薄い唇は、小刻みに震えていた。千晃の変貌ぶりに困惑しているのだろう。
だけど本能には抗えないようだ。唇の端からは鋭い犬歯が覗いている。血の味を思い出したのか、千晃の真っ白なうなじを見つめながら、ごくりと喉を鳴らした。
「アキ、駄目だ。今すぐ服を着なさい」
ウィリアムは浅い呼吸を繰り返しながら、服を着るように促す。そんな彼を後押しするように、両手を広げて誘った。
「来て」
理性が崩壊するのは、あっという間だった。
ウィリアムはベッドに近付き、千晃を押し倒す。紅玉の瞳は、獣のようにギラギラと光っていた。先ほどまでの余裕は、一切見られない。
ウィリアムが首元に顔を埋めると、すぐさま痛みが走る。苦痛で顔を歪ませながらも、千晃はその身を委ねた。
ゾクゾクと全身の血が首元に集まる。心なしかいつもより多く吸われているように思えた。手足に痺れが走り、体温が一気に奪われていく。死が目の前に迫っているような感覚だ。
命の危険に晒されているというのに、必死に血を啜るウィリアムの姿はどうしようもなく愛おしく思えてくる。千晃は震える手を持ち上げて、ウィリアムの頭をそっと撫でた。
「我慢しなくていい。全部吸い尽くして」
柔らかな髪の質感が、手の平から伝わる。いつもとは立場が逆転している状態に、少し笑えてきた。
反対側の手には、お守りが握られている。結局渡すことはできなかった。だけどこうなってしまったら、もう仕方がない。
金糸雀色の髪を指で梳いていると、ウィリアムが我に返ったかのように首元から離れる。霞んでいく視界の中でも、ウィリアムの表情は視認できた。
鮮血で染まった口元は、化け物そのものだ。ウィリアムがただの人間ではないことを思い知らされた。
だけど紅玉の瞳は、涙で潤んでいた。どうしてそんな顔をしているのか分からない。
「違う……。こんなことをしたかったわけではない……」
まるで悪事を働いた子供のようだ。悪いことなんて、何もしていないはずなのに。ウィリアムは唇を震わせながら言葉を続ける。
「私は、ただ、アキに――」
その言葉の続きを聞く前に、千晃は意識を手放した。もう二度と目を覚まさないことも、覚悟していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます