第38話 想いを込めて

 屋敷に戻ると、さっそくお守り作りを始めた。サンルームに移動した千晃と秋穂は向かい合わせに座る。テーブルの上には、先ほど購入したはぎれと紐、さらに秋穂が嫁入り道具として持ってきた木製の裁縫箱が用意された。


 材料を選んでいる最中は楽しそうにしていた秋穂だったが、今は気落ちしているように見える。恐らく周作と鉢合わせたことが原因だろう。


「秋穂さん、大丈夫ですか?」


 虚ろな瞳ではぎれを裁断している秋穂に声をかけると、ハッとしたように我に返った。


「え、あっ、なんでしょう、アキさん」


 わざとらしく笑顔を取り繕う姿は、やけに痛々しく見えた。秋穂が傷心するのも無理はない。想い人と再会しても、言葉を交わすことすらできなかったのだから。


 今はそっとしておいた方が良いのかもしれない。千晃は裁断の終わったはぎれを秋穂から奪い取った。


「ここを二つ折りにして、両側を縫い合わせればいいんですよね?」


「そうですね。袋の口の部分は角を内側に折り込むと、お守りらしくなりますよ」


「分かりました。それなら僕一人でもできると思うので、秋穂さんはゆっくりしていてください」


「えっ……ですが……」


 秋穂は、はぎれと千晃の顔を交互に見ながら戸惑いを露わにする。そんな彼女を安心させるように笑って見せた。


「裁縫はあまり得意ではないですが、最低限はできるので大丈夫ですよ」


 故郷にいた頃は、ほつれた着物を自分で直すこともあった。針と糸で縫い合わせることくらいはできる。千晃の言葉を聞いても心配そうにしている秋穂に、冗談めかして伝えてみた。


「今の秋穂さんだと、指に針を刺して怪我をしてしまいそうなので」


「まあっ、私これでも女学校ではお裁縫の名人って言われていたのですよ。そんなヘマはいたしませんわ」


 むっと膨れながら訂正する秋穂は、やけに子供っぽく見えた。千晃は思わず笑ってしまう。


「そうとは知らず失礼いたしました。ですが名人の手を煩わせることでもないので」


 秋穂の調子に合わせて返すと、くすくすと笑われた。


「ふふっ、アキさんったら面白い」


 ひとまずは笑顔が戻って安心した。緊張感が和らいだところでもう一押しする。


「僕は本当に大丈夫なので、秋穂さんはゆっくり休んでいてください」


「そういうことでしたら、お言葉に甘えて……。もし分からないところがあれば、何でも聞きに来てくださいね」


「はい。そうします」


 秋穂は戸惑いながらも重たい腰を上げた。秋穂が二階の自室に向かうのを見届けてから、千晃は針と糸を手に取る。


 お守りを作るのは初めてだけど、教わった通り縫い合わせればできるはずだ。人のために何かを作るのも初めての経験だ。手作りの品を渡すのは緊張するが、ウィリアムなら喜んでくれるに違いない。


 ちくちくとはぎれを縫い合わせながら、千晃は想いを馳せる。


(最近は自分が傷つきたくないことばかり考えていて、ウィルの気持ちを考えていなかったなぁ)


 屋敷を飛び出したのも、素っ気ない態度を取ってしまったのも、九条家との会談でウィリアムからの質問をはぐらかしてしまったのも、全部傷つきたくないという一心からだった。ウィリアムがどう思うかは、まったく考慮していなかった。


 自分の軽はずみな言動で、たくさん傷つけてしまった。そのことに今更ながら反省していた。


(もっと寄り添わないと。そのための一歩としてこれを渡そう)


 ウィリアムに会ったら、昨日の謝罪をして、これまでのお礼を伝える。きちんと気持ちを伝えることで、大事に思っていることを伝えたかった。


 願わくば、好きという言葉も伝えたい。これまで明確に好意を口にして伝えたことはなかったからだ。


 改まって伝える必要もないだろうと思っていたが、先日の秋穂とのやりとりで考えが変わった。口にしないことが不安に繋がっているのなら、はっきり伝えなければ。


(だけど本当に言えるのか? 好き、なんて……)


 考えただけでも顔が熱くなる。悶々としながはぎれをら縫っていると、チクッと針で指を刺してしまった。


「いたっ」


 指先から血が滲んでいく。咄嗟に口に咥えて止血をした。口の中に鉄のような味が広がっていく。これを好き好んで飲んでいるというのは、いまだに理解できなかった。


 だけどウィリアムが望むなら、血くらいいくらだって差し出すつもりだ。時折立ち眩みがすること以外は、害はないのだから。


 あげられるものは全部あげたい。今まで与えられ続けてきた分、恩返しがしたかった。


 両端を縫い合わせ、穴をあけて、紐を通すとお守りは完成した。初めてにしてはなかなかの出来栄えだ。


 黒と黄の格子模様はやや地味だが、桜の柄が程よく主張しており洒落ていた。これならウィリアムも喜んでくれるはずだ。


 ひとまず完成したお守りを、秋穂とトヨに見てもらうことにした。サンルームを出ると、台所から二人の話し声が聞こえる。浮足立つ気持ちで二人のもとへ向かった。


 扉の前まで来ると、二人が声を潜めながら話していることに気付く。


「今回の件が上手くいけば、アキさんにもお二人のことを打ち明けられますね」


「ええ。何とか間に合いそうで良かったです。私、アキさんに申し訳ない気持ちでいっぱいだったので」


「お気持ちはお察ししますわ。旦那様には口止めされていたので、不用意に明かすわけにもいきませんでしたからね」


「そうなんですよ! エイデン様も人が悪いですよね。人の心を弄ぶような真似をして。あの方の花嫁になるのは、相当骨が折れるでしょうね」


「うふふ、間違いないですね」


 二人が何の話をしているのか全く分からない。千晃にも関係がある話のようだが、断片的に聞いた情報では皆目見当がつかなかった。扉の前で立ち尽くしていると、トヨが千晃の存在に気付く。


「あ、あら、アキさん、いつからそちらに?」


 トヨは明らかに動揺している。千晃は手元でお守りを揺らしてみせた。


「つい先ほどです。お守りができたので見ていただこうかと思いまして」


「まあっ、上手に出来ましたね! これなら旦那様もさぞかしお喜びになることでしょう」


 トヨの調子に合わせるように、秋穂も大きく頷く。


「本当ですね! アキさん、手先が器用なんですね。縫い目もとても丁寧で素晴らしいです」


 どうにも気を遣われているように思えてならない。違和感を覚えつつも、二人からの賞賛は素直に受け取った。


「ありがとうございます。今夜、ウィルに渡そうと思います」


 千晃の言葉を聞くと、二人は安堵したように胸を撫で下ろした。

 部屋に戻ろうとしたところで、肝心なことを思い出す。


(お守りの中に入れる手紙は、まだ書いてなかった)


 空っぽのままではお守りとしての効力は期待できないかもしれない。部屋に戻ってから、さっそく手紙をしたためた。手紙と言ってもたったの一言だったが、千晃にとっては勇気のいる言葉だった。


◇◆


 ウィリアムが屋敷に戻ってからは、そわそわしながらお守りを渡す機会を伺っていた。


 帰宅した直後は腹を空かせているかもしれない。疲れているだろうから風呂に入りたいかもしれない。今日中に片付けておきたい仕事があるかもしれない。なんてずるずる先延ばしにした結果、あっという間に就寝時間になってしまった。


 滝沢の言っていた通り、ウィリアムがいつもより覇気がないことも声をかけづらい要因だった。夕食の時間もほとんど口を利かず、食事が終わるとすぐに書斎にこもってしまった。


 気落ちしている原因が昨日の一件なら、今日中には謝った方が良さそうだ。


(今から渡しに行っても大丈夫か?)


 千晃はお守りを握りしめながら、二階の廊下をうろうろと歩き回る。ウィリアムの部屋の扉を叩きかけては手を引っ込め、思い直して扉を叩こうとしては引っ込めという行動を繰り返していた。


 今日の用件は、お守りを渡すだけではない。昨日の謝罪をし、これまでの感謝の気持ちを伝え、あわよくば好意を伝えなければならないのだ。翻訳原稿を見てもらう時とはわけが違う。


 扉の前で葛藤する千晃の様子を、秋穂が階段下からそわそわと見守っていた。目が合うと、秋穂は鼓舞するようにぐっと拳を握る。その姿を見て、千晃もようやく決心がついた。


 深呼吸をしてから、ウィリアムの部屋の扉を叩く。


「ウィル。話がしたいんだけど、良いかな?」


 扉越しに声をかけると、数秒遅れてウィリアムが出てきた。突然の訪問に驚いていたが、すぐに表情を消して部屋の中に招き入れた。


「構わないよ。ちょうどこちらも話をしたいと思っていたからちょうどいい」


 表情ひとつ変えず淡々と告げる。いつもとは明らかに様子が違っていた。これは早々に謝った方が良さそうだ。


「ウィル、昨日は傷つけるようなことを言ってごめんなさい」


 素直に告げた謝罪は、驚くほどあっさり受け流される。


「ああ、そのことか。こちらこそ勝手に触れてしまって申し訳なかった。アキが嫌がるなら、ああいうことは二度としない」


 拒絶してしまったが、触れられてたこと自体を嫌がっていたわけではない。あの時は、恥ずかしさと戸惑いが入り交じって逃げてしまっただけだ。


 この感情をどう伝えようかと頭を悩ませていると、ウィリアムはやけに作り物めいた笑顔を浮かべた。


「私からも大事な話があるんだ」


「大事な話?」


 お守りの件を切り出す前に、ウィリアムから話を切り出される。言葉を待っていると、衝撃的な事実が告げられた。


「秋穂さんとの結婚式を執り行うことになったんだ」


 時が止まる。言葉の意味がまるで理解できなかった。

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