第37話 贈り物

 千晃は車に揺られながらそわそわしていた。帰ったらウィリアムに昨日のことを謝罪する。そう決めていたからこそ、気が気ではなかった。


 今朝はウィリアムが慌ただしそうにしていたため、話を切り出すことができなかった。だから夜まで先延ばしになってしまった。


 謝ると決めたものの、どのように話を切り出すかはまだ決めていない。昨日の今日だから気まずい空気になってしまう可能性も大いにあった。


(何かきっかけがあれば良いんだけど……)


 頭を悩ませながら落ち着きなく過ごしていると、不意に滝沢から尋ねられる。


「社長と痴話喧嘩でもしましたか?」


「喧嘩というわけでもないのですが……」


「おや、喧嘩ではないのですね。今日の社長はいつになく落ち込んでいるようにお見受けしたので」


 落ち込んでいると聞いて胸が痛む。やはり昨日の失言で傷つけてしまったようだ。千晃は視線を落としながら、滝沢に事情を明かす。


「実は昨日、ウィルに酷いことを言ってしまったんです。今日帰ったら、きちんと謝ろうと思います」


「賢明な判断ですね。こういうのは長引かせると厄介になりますから」


「ですよね……」


 この先も気まずい空気が続くのは御免だ。今日中に謝って誤解を解こう。よし、と小さく拳を握ってから、窓の外へと視線を移した。


 車は以前ウィリアムとやって来た百貨店の前を通り過ぎた。あの時は楽しかった。帝都の街で初めてのことを経験させてもらって心が躍った。


 思い返してみれば、ウィリアムにはたくさんのものを与えてもらった。目に見えるものだけでなく、愛情もたくさん注いで貰っていた。その恩返しを何一つできていないことに今更ながら気が付いた。そこで千晃はあることを思いつく。


「滝沢さん。昨日傷つけてしまったお詫びと、これまでの感謝の気持ちを込めて、ウィルに何かしてあげたいと思うのですが、何が良いと思いますか?」


「それは、社長に奉仕をしたいということでしょうか? アキさんは随分回答に困る質問をするのですね」


「奉仕というよりは、贈り物でもできたらなぁと」


「ああ、そういう意味でしたか。よろしいのではないでしょうか。アキさんからの贈り物とあれば、たとえ道端の石ころでもあの人は喜ぶと思いますよ」


「流石にそれは……」


 千晃は苦笑いする。滝沢はウィリアムのことを何だと思っているのか。


「他にないですか? ウィルが欲しいものに心当たりはありませんか?」


「社長が欲しいものといったらそりゃあ。……ああ、これは私の口から言うべきことではありませんね」


 滝沢は心当たりがあるようだが、教えてはくれなかった。何故教えてくれないのかと眉を顰めていると、別の策を提示してくれる。


「男性への贈り物でしたら、女性に聞いた方がよろしいのでは? トヨさんや秋穂さんに聞いてみてはいかがでしょう」


「ああ、そうですね! 帰ったらお二人にも聞いてみます」


 滝沢の言う通り、あの二人の方が贈り物には詳しそうだ。帰ったらさっそく聞いてみよう。


 屋敷の前で車から降ろされると、滝沢は眼鏡のつるを持ち上げながら忠告する。


「アキさん、もう一度忠告しますが、早いとこ折れた方が身のためですよ。そうでなければ、また泣かされる羽目になります」


 どういうことですか、と真意を問う前に滝沢はハンドルを握り車を走らせた。ブロロロと轟くエンジン音を聞きながら、千晃は車を見送った。


◇◆


 屋敷に戻ると、さっそくトヨと秋穂に贈り物の件を打ち明けてみた。すると二人は、目を輝かせながら、わあっと盛り上がる。


「まあ、素晴らしい考えですね!」


「アキさんからの贈り物とあれば、エイデン様はさぞかしお悦びになるでしょう」


 千晃が想像していた以上に、二人好意的な反応を示していた。むしろ千晃以上に盛り上がっているようにも見える。とはいえ、二人が協力的なのは有り難い。これで心置きなく相談ができる。


「贈り物をしようとは決めたのですが、具体的に何を贈れば良いのか迷っていて……」


 千晃が尋ねると、トヨと秋穂は首を捻りながら考え込む。


「そうですねぇ。旦那様は何がよろしいのでしょうか?」


「以前、エイデン様はアキさんのために洋菓子を作っていましたよね。そのお返しにアキさんもお菓子を作ってみてはいかがでしょう?」


 お菓子を贈るというのは悪くない。ウィリアムお手製のカスタードプリンを貰った時はとても嬉しかった。同じようにウィリアムにも作ったら喜んでもらえるだろう。


 とはいえ、ウィリアムの好物はいまだによく分かっていない。出された食事は、いつでも美味しいと食べているから好みが分からなかった。好んで口にするものと言えば……。


(いやいやいや、それはないだろう)


 贈り物としてはあまりに不適切だったため却下した。それに食べ物ではなく、形に残るものを贈りたい。


「できれば品物を贈りたいんですよね。その方が……」


 自分の存在を思い出してもらえるから……なんて目論見もあったが、口にできるはずはない。千晃の言葉で、トヨと秋穂は再び考え込んだ。


「品物となると、装飾品や文房具などでしょうか?」


「それもいいですね。あまり高価なものは買えませんが」


 トヨから具体的な提案をされて頷く。実用性で考えれば、装飾品や文房具は適切だろう。納得しかけた時、秋穂が何かを思いついたかのようにパンと手を叩く。


「お守り! 手作りのお守りなんてどうでしょう!」


「お守りですか?」


 その発想はなかった。呆気に取られていると、秋穂は嬉々としながら訴える。


「お守りでしたらエイデン様も肌身離さず持っていただけますし、アキさんがエイデン様を大切に思っていることも伝わります! お二人の関係を進展させるにはぴったりなのではないでしょうか?」


「進展って……別にそこまで考えているわけじゃ……」


 大胆な発言に、思わず顔を赤らめる。ウィリアムには、お詫びと感謝の気持ちは伝えたいが、関係性を進展させたいとまでは思っていない。


 そもそも進展とはどういう意味だ? あれこれ思い浮かべると、余計に恥ずかしくなった。


 色々思うところはあるが、お守りを贈るというのは賛成だ。お守りを通してウィリアムを守れるのなら、これほどまでに嬉しいことはない。方向性が定まりつつあると、秋穂は目を輝かせながら千晃の手を握った。


「作り方は私がお教えしますわ! さっそく材料を買いに行きましょう!」


 熱量を持って訴えられると、はいと頷く他なかった。


◇◆


 お守りの材料を買いに行くと決めた秋穂は、すぐさま千晃を連れて手芸屋に向かった。手芸屋は坂を下った先の商店街にある。


 こじんまりとした店内の一角には、色とりどりのちりめん生地が並んでいた。梅模様、椿模様、菊模様など種類が豊富だ。着物を拵えるわけではないから、はぎれを購入するのがちょうどいいだろう。


「どの布にするか悩みますね……」


「ふふっ、エイデン様にぴったりな柄が見つかるといいですね」


 はぎれを見比べてみる。ウィリアムが持ち歩くとなれば、あまり可愛らしい柄にしない方が良いだろう。赤や桃色などの明るい色は候補から外し、黒や紺などの落ち着きのある色から選ぶことにした。


 そんな中、あるはぎれが目に留まる。黒と黄の格子に桜の模様が入ったはぎれだ。男性らしい色合いでありながらも華やかさがある。桜の模様というのも良い。帝都に来て、初めて見た桜を思い出した。


「これが良いです」


 千晃が格子模様のはぎれを手に取ると、秋穂は両手を合わせながら頷く。


「素敵ですね! エイデン様にもぴったりですわ」


 秋穂からのお墨付きを貰ったことで、はぎれは決定した。さらにお守りを結ぶ紐も購入し、手芸屋を後にした。これで材料は揃ったように思えたが、肝心なものが足りないことに気付く。


「お守りの中身って、何を入れればいいのでしょうか?」


「そうですね……。手作りとなれば、お手紙なんていかがでしょう?」


「手紙かぁ……」


 ウィリアムに改まって手紙を書くのは気恥ずかしい。とはいえ、お守りの中に入れているのであれば、まず読まれることはないだろう。


「分かりました。手紙、書いてみます」


「はい、頑張ってくださいね!」


 秋穂から鼓舞されると、千晃も頷いて意気込みを見せた。そろそろ屋敷に戻ろうとした時、聞き覚えのある声に呼び止められる。


「おー! 千晃、久しぶりだな。あれから音沙汰がないから心配してたんだぞ」


 振り返ると、人懐っこい笑みを浮かべながら手を振る周作がいた。千晃も思わず笑顔が零れる。


「周作さん、お久しぶりです」


 周作とは先日の騒動以来会っていなかった。決まずい雰囲気のまま別れたから気にはなっていた。再会できたのは、素直に嬉しい。


「何はともあれ、元気そうで良かっ、た……」


 笑顔を浮かべながら近寄ってくる周作だったが、秋穂の姿を見た途端、足を止めた。まるで信じられないものでも前にしたかのように、目を丸くしている。秋穂もその場で立ち止まり、周作を凝視していた。


 偶然にも二人は再会してしまった。幸運なのか不運なのか、千晃には判断が付かない。二人は互いの存在を目に焼き付けるかのように見つめ合っていた。


 時間にしては、ほんの僅かだろう。それでも千晃には、とてつもなく長く感じた。二人の様子を窺っていると、秋穂が余所余所しく会釈をする。それに合わせるように、周作も会釈をした。


「行きましょう。アキさん」


「じゃあな、千晃」


 二人は何事もなかったかのように別れる。せっかく再会したというのに、あまりに素っ気ないやりとりだった。千晃は足早に立ち去ろうとする秋穂を追いかける。


「あの、いいんですか? せっかく周作さんに会えたのに……。ウィルには内緒にしておくので、二人で話をしても」


「いいんです」


 秋穂はきっぱりと断る。強い口調で断られ、千晃は思わず足を止めた。


「今は、いいんです」


 先を歩く秋穂が、どんな顔をしているのかは分からない。振り返ると、周作も姿を消していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る