第34話 依依恋恋

 九条家との話し合い以降、ウィリアムと秋穂の関係がこれまで以上に親密になったように思える。


 夕食終わりにダイニングで楽し気に会話をしたり、休日に連れ立って出掛けたりと、二人で過ごす時間が多くなった。最近では、ウィリアムが秋穂に異国の言葉を教えるようになったくらいだ。


 今日も夕食終わりに、ウィリアムは秋穂に付きっ切りで異国の言葉を教えている。その姿を見て、胸が痛んだ。


 秋穂と親密にする一方で、千晃に対して過剰な接触をしてこなくなった。冷遇されているわけでも無視をされているわけでもないが、触れられることが極端に減ったのだ。あくまで屋敷の主人と書生という関係で接してくる。


 最近はウィリアムが何を考えているのか分からない。あれだけ執着してきたのに、急に余所余所しくなったのは何故なのだろう? これまでの距離感がおかしかっただけだと自分を納得させつつも、どうにも腑に落ちなかった。


「あー、もう、訳が分からない……」


 屋敷へと向かう車の中で、千晃は頭を抱えながら嘆く。隣にはウィリアムはおらず、車には滝沢と千晃だけが乗っていた。千晃の嘆きを聞いた滝沢は、運転を続けながら会話に加わる。


「悩み事ですか?」


「悩み……というほど深刻なものではないのですが、最近ウィルの考えていることが分からなくて。執着されていると思ったら急に素っ気なくなったり、秋穂さんと妙に親密にしていたり……」


「なるほど。良いように転がされているというわけですね」


「転がされている?」


 思いがけない言葉が飛んできて千晃は首を傾げる。理解が追い付かずにいると、滝沢はハンドルを握りながら言葉を続けた。


「アキさんには、社長がどのように見えているのですか?」


 それは秋穂や周作にも聞かれたことだ。あの時も自分なりの言葉で伝えたが、今はまた分からなくなっていた。言葉に詰まらせていると、滝沢が淡々と語る。


「少なくとも私は、あの方のことを油断ならない方だと思っています。一見すると穏やかな紳士ですが、それはあくまで表の顔で目的のためなら手段を選ばない一面も持ち合わせています。駆け引きもとてもお上手です。それはあの方の仕事ぶりを傍で見ていたから分かります。経験が豊富なのでしょうね。あと単純に性格が悪い」


「散々な言われようですね……」


 滝沢からの辛辣な評価を聞いて、苦笑いを浮かべる。日頃の恨みでも溜まっているのかと邪推してしまった。


「まあ、腹立たしいことは多々ありますが、あの性格だからこそ、今の地位まで登り詰めたのでしょう。個人的には、あの性格も嫌いではありません」


 滝沢の言っていることは分からないでもない。出会った当初はウィリアムを優しくて理想の紳士だと思っていた。だけど三カ月近く一緒に過ごしてきた中で、それが全てではないことを知った。


 嫉妬を露わにして強引に迫ってきたり、自らの考えを押し通そうとする我の強さもある。出会ったばかりの頃と比べると、良くも悪くも印象が変わったのは事実だ。


 運転席に座る滝沢は、表情ひとつ変えずに言葉を続ける。


「社長は、アキさんのことが好きで好きで堪らないのです。貴方を手に入れるためなら、どんな手段も厭いませんよ。なので、さっさと折れた方が身のためかと」


「折れる?」


 滝沢の助言はどうにもピンとこない。折れるとは、具体的に何を指すのか?


 詳しく尋ねようと思ったものの、車が屋敷に到着して会話は終了した。


「滝沢さん、今日もありがとうございました」


「礼には及びません。これも仕事ですから」


 滝沢は丁寧に会釈をしてから、エンジン音を轟かせながら去って行った。


 帰宅後は大学の課題を済ませ、ウィリアムから預かった小説を翻訳し、夕食を済ませ、風呂に入った。一日がつつがなく終わろうとしている。そろそろベッドに入って眠りに就こうとしたところで、部屋の扉が叩かれた。


「アキ、入るよ」


 ウィリアムの声だ。扉の向こうにウィリアムがいると思うだけで心がざわついた。


「どうぞ」


 返事をすると、ウィリアムが扉を開ける。用件は察しが付いている。前回から既に一週間が経過していたからだ。


 ウィリアムは、扉を閉めると鍵をかける。しんと静まり返る中で熱の籠った瞳を向けられた。


「血を分けてもらってもいいか?」


 やはり思った通りだ。千晃は無言で頷く。許可されると、ウィリアムはベッドに腰を下ろし、自らの膝を叩いた。


「おいで」


 素直に従う。ウィリアムの目の前に立つと、腰を抱き寄せられて膝の上に乗せられた。後ろから抱き寄せられる態勢になると、ウィリアムは千晃の首元に顔を埋める。身を強張らせながら血を吸われるのを待っていると、不意に熱い舌が首筋を這った。


「ひゃぁ……」


「力を抜いて」


 はしたない声を出してしまい咄嗟に口を塞ぐ。その直後、首筋に痛みが走った。


 ぞくぞくと全身の血が首筋に向かっていくような感覚に陥る。千晃は声を抑えながら、ウィリアムに身を委ねた。


 週に一度、ウィリアムに血を与える。それは秋穂が来てからも変わらない。秋穂とどれだけ親しくしていても、ウィリアムは千晃の血を求め続けた。


 血を求められているという事実は堪らなく嬉しい。ウィリアムの正体を知っているのは自分だけ。そのことに優越感を覚えていた。


 血を与えるという役目が残されているからこそ、ウィリアムと繋がっていられる。その繋がりすら絶たれたら、今度こそ用なしになってしまうような気がした。だからこそ血を与えることを拒めない。


 千晃は事が済むのをじっと待つ。以前だったら優しく頭を撫でられていたから気が紛れていたが、今は不用意に触れられることはない。


 血を吸った後も、そそくさと千晃のもとから離れていくようになった。以前のように朝まで共に過ごすこともない。


 今日もそうだ。血を吸い終わると、膝の上に乗せていた千晃を解放する。そっとベッドに横たわらせると、用が済んだと言わんばかりに立ち上がった。


「ありがとう」


 素っ気ない態度をされて、切なさが溢れかえる。きゅっと口を閉じて胸の疼きに堪えていると、ウィリアムは口元を緩めながらくすりと笑った。


「何かしてほしいことがあるなら、遠慮なく言っていいんだよ」


 もっと触れてほしい――。


 そんなふしだらな言葉が喉元まで出かかっていて、自分で自分に驚いた。千晃は急いで布団を被る。


「何もないよ。おやすみ」


「そうか。おやすみ、アキ」


 淡々と挨拶をすると、ウィリアムは部屋から出ていく。扉が閉まったのを確認してから、千晃は溜息をついた。


 ウィリアムはどうして素っ気なくなったのか? まさか秋穂に心変わりをしてしまったのか? ベッドに横たわりながら、そんなことを延々と考えていた。

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