第33話 光を掴む勇気
二人の関係を誰にも隠すことはない。ウィリアムにはっきり宣言されたことで、自分の存在が認められたような気がした。
見上げると、ウィリアムに穏やかに微笑みかけられる。優しい眼差しを向けられると、泣きそうになった。その一方で、九条社長は苛立ちを露わにする。
「開き直ったか……。この恥知らずが……」
「恥? 生憎そのように感じたことは一度もありません。誰が誰を好きになろうと構わないじゃないですか。それは秋穂さんだって同じだ」
ウィリアムは蚊帳の外になっていた秋穂に視線を向ける。突然話を振られた秋穂は、びくんと肩を振るわせた。
ウィリアムは千晃から離れると、秋穂の隣に座り直す。戸惑いの色を浮かべる秋穂の顔を覗き込みながら、穏やかな口調で助言した。
「秋穂さん、貴方の正直な想いをお父様に伝えてください」
秋穂は俯きながら視線を泳がせる。動揺している娘を前にして、九条社長は眉を顰めた。
「秋穂、まさかとは思うが、あの男に未練があるわけじゃないよな?」
威圧的に指摘されると、秋穂の肩がびくんと跳ね上がる。取り乱したように、浅い呼吸を繰り返していた。
このような反応には千晃も覚えがある。ずっと支配されてきた相手から睨まれると、何も言えなくなるのだ。千晃も似たような経験があるから、秋穂の心境は痛いほど分かる。
秋穂が黙り込んだことで、九条社長の怒りは過熱する。
「あんな下町風情の男と一緒になるなんて絶対に認めないからな! お前はエイデン家に嫁いで、九条財閥の発展に貢献するんだ。そうでなければ、育ててきた意味がない」
強い口調で攻め立てられたことで、秋穂はさらに委縮していた。傍で見ているだけで胸が張り裂けそうだ。
秋穂は小刻みに肩を振るわせている。そんな恐怖を鎮めるように、ウィリアムは秋穂の肩に手を添えた。
「大丈夫。自分の気持ちに正直になりなさい。そうでなければ、道は拓けない」
ストンと胸に直接届くような言葉だ。ウィリアムの言葉で、秋穂の震えも止まった。
鼻息を荒くして苛立ちを露わにする九条社長を、秋穂はおずおずと見据える。薄い唇は、ようやく言葉を紡ぎ始めた。
「わ、わた、私は……」
声が震えている。長年支配されていた存在に意見するのは怖いことだ。それでも、秋穂は自分の言葉で想いを伝えようとしていた。
「私は、周作さんと、一緒に、なりたい、です」
言葉を詰まらせながらも、自らの願望を口にする。隣で控えていたウィリアムは、安堵したように微笑んだ。
「よく言えたね。いい子だ」
秋穂が勇気を振り絞って意見を伝えたのは、讃えるべきことだ。だけどウィリアムが秋穂に向けた言葉や表情は、千晃の心に影を落とした。こんな状況にも関わらず、嫉妬している自分に呆れてしまう。
一方、娘の主張を聞いた九条社長は怒りを爆発させた。
「ふざけるな! そんなこと認められるわけではないだろう! お前は私の駒でしかない。言われた通り、エイデン家に嫁いでこの男をものにしろ。駆け落ちなんて馬鹿げたことをしても無駄だぞ? この国にいる限り、どんな手を使ってでも絶対に見つけ出すからな!」
あまりに横暴な言い分に、怒りを通し越して呆れてしまう。それはウィリアムも同じだったようで、力なく苦笑していた。その反応が小馬鹿にしていると感じたのか、九条社長はウィリアムに牙を剥く。
「二人の婚姻は、約束通り進めてもらいます。もし婚約を破棄しようものなら、あんたの秘密を世間に暴露する」
「私の秘密ですか?」
「そうだ。貿易商ウィリアム・エイデンは男色家だと世間に知らしめてやる」
「先ほども申しましたが、私は男性が好きであることを隠すつもりはありません。言いふらしたければお好きになさってください。ただ、そんなことをすれば、貴方の方が信頼を失うと思いますがね」
「なんだと!?」
九条社長は鼻息を荒くしながら聞き返す。その姿を見て、ウィリアムはわざとらしく微笑みながら指摘をした。
「誰にだって、隠したい過去や人に知られたくない事情があります。そういう秘密を暴き出して、脅しの材料に使う。そんな相手とビジネスをしたいと思いますか? 私のことをあれこれ触れまわっても、貴方の信用が失墜するだけですよ」
ウィリアムの言うことには一理ある。人の秘密を暴こうとする人間とは関わり合いになりたくない。ウィリアムの秘密を暴くことで、九条財閥との関わりを避けものが現れるかもしれない。
自らの立場を脅かす危険性があることに気が付くと、九条社長は悔しそうに奥歯を噛み締めた。ウィリアムは余裕に満ちた笑みを浮かべながら言葉を続ける。
「そういうわけですので、婚約の件は今一度考え直していただけませんか?」
「それなら約束の金はどうなる?」
九条家にとっては、そこが一番の懸念材料だろう。本性を露わにした九条社長を見て、ウィリアムは肩を竦めた。
「婚約しないのですから、お支払いする義理はありません。それに……これは外部の人間が口を挟むことではありませんが、その際だから言わせていただきます。いくら九条財閥とて、今から紡績事業に乗り出すのは得策ではないかと存じます。そこに投資をしても、さらに傷を広げるだけですよ」
「若造が生意気なことをっ……」
九条社長からの悪態をウィリアムは笑って受け流す。
「若造ですか……。まあ、貴方から見ればそう見えるのかもしれませんね」
鋭い犬歯を覗かせながら笑う姿は、やけに妖艶に見えた。笑いが収まった後、ウィリアムは千晃に視線を向ける。
「君はどう思う?」
突然話を振られたことで、千晃は目を丸くする。思わずお盆を落としそうになってしまった。ウィリアムは意味ありげに微笑みながら尋ねる。
「愛するもの同士が引き割かれ、愛のない結婚を押し進める。不幸な話だと思わないか?」
ウィリアムの紅玉の瞳が、怪し気に光る。試されているようにも感じた。
千晃だって、この結婚には反対だ。秋穂と周作を引き割くのは不憫でならない。自分だってウィリアムと……。
だけど自らの願望を口に出すことは、とてつもなく怖いことだ。全員からの視線が集まると、足がすくむ。千晃は、秋穂のようにはなれなかった。
「僕のような書生が口を挟める問題ではありませんので……」
もっともらしい理由を添えて追及から逃れる。ウィリアムの瞳から光が失われていくのを感じた。
「そうか……」
小さく溜息をついた後、ウィリアムは千晃から視線を逸らして九条社長と向き合う。
「今日はお呼び立てしてしまい、申し訳ございません。あれこれ意見してしまいましたが、私が九条様にお世話になっているのは事実です。もう一度、秋穂さんとじっくり話し合ってみますね」
ウィリアムは作り物めいた笑顔を浮かべながら淡々と告げる。突如手のひらを返すような発言を聞いて九条社長は驚いていたものの、すぐに安堵の色を滲ませる。
「前向きに検討いただけるよう願っていますよ」
「ええ」
そう言葉を交わしてから、九条家との会談はお開きとなった。
◇◆
九条社長を玄関で見送ると、ウィリアムは秋穂と向き合う。
「秋穂さん、この後少しお時間をいただいてもよろしいですか? ご相談したいことがあります」
「え? は、はい。構いませんが……」
秋穂は戸惑いながら、ウィリアムと千晃を交互に見つめる。恐らく千晃に遠慮をしているのだろう。秋穂の心中を知ってか知らずか、ウィリアムは穏やかに微笑みかける。
「心配しなくてもいい。私は私のやり方で決着をつける。必ず幸せにしてみせるから」
秋穂に微笑みかけるウィリアムを見ていると、目の前が真っ暗になる。温かなもので満たされていた器にひびが入り、隙間から徐々に零れていくような焦燥感に駆られた。
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