第五章 錯綜する想い
第32話 九条家との会談
千晃が屋敷を飛び出して以降、屋敷での監視体制が厳重になった。大学には滝沢の運転する車で送迎され、外出時には逐一トヨに行先を聞かれた。
夜は玄関の鍵を二重で締められて、ウィリアムの所持している鍵を入手しなければ外に出ることさえできなかった。
厳重に監視されているのは、千晃が再び屋敷から逃亡するのを警戒してのことだろう。そこまでしなくても……と抗議したが、ウィリアムは監視体制を緩めることはなかった。
とある休日の昼下がり、九条財閥の社長が屋敷に訪れた。秋穂との婚姻の件で、改めて会談の席を設けたようだ。
応接間に通された九条社長は、苛立ちを露わにする。千晃が茶を出してもてなそうとした際も、ギロリと睨まれた。攻撃的な視線を向けられて、千晃は思わずひっと怯む。
苛立っていた九条社長だが、千晃の姿を見た途端、驚いたように息を飲んだ。上から下まで凝視された後、ふっと鼻で笑われた。なんだか値踏みをされたような気分だ。
よく分からないが、千晃がこの場にいるのは不適切だろう。邪魔になるといけないと思い、早々に離れようとしたが、応接間にやって来たウィリアムに退出を阻まれる。
「アキもここにいなさい」
なんで、と抗議しようとしたが、張り詰めた空気の中では声を上げることすら叶わなかった。仕方なく千晃は応接間の隅で、お盆を片手に待機する。
応接間のソファーには九条社長が座っており、その正面にはウィリアムと秋穂が並んで座っていた。休日にも関わらず、ウィリアムと秋穂はかしこまった服装をしている。ウィリアムは黒地の三つ揃いスーツを纏い、秋穂は藤色の着物に金銀の刺繍をあしらった袋帯を合わせていた。
緊迫した空気が漂う中、ウィリアムが最初に話を切り出す。
「前回もお話した通り、私は秋穂さんとの婚約を解消したいと考えております。これは双方で話し合って出した結論です」
普段の物腰柔らかな口調とは打って変わって、威厳のある声色ではっきりと主張した。婚約解消という言葉を聞いた九条社長は、再び苛立ちを露わにする。
「婚約解消だなんて今更何を言っているんですか? この件は、とっくに話が付いていたでしょう? こっちもそのつもりで動いているのだから、突然解消したいだなんて言われても困ります」
「秋穂さんと話し合った結果、二人の間に愛が芽生える余地がないと確信したのです。このまま結婚を押し進めても、明るい未来はありません」
ウィリアムの言葉を聞いた九条社長は、小馬鹿にするように鼻で笑う。
「愛? 笑わせてくれる。そんなもの端から求めていなかったんじゃないか? あんたは体裁を守るため、花嫁が欲しかった。違いますか?」
「体裁? 何が言いたいのです?」
ウィリアムの瞳の奥が冷ややかになっていくのを感じる。分かりにくいが、怒りを滲ませているように見えた。
九条社長は、ふんっと鼻で笑うと、口元を歪ませながら勿体ぶるように話す。
「あんたのことは事前に調べてある。大層な結納金を用意してまで、花嫁を迎えようとしている事情があるんだろう?」
事情と聞いて、千晃の瞳が揺らぐ。まさか九条社長はウィリアムの正体に気付いているとでもいうのか? 早鐘を打つ一方、ウィリアムは顔色ひとつ変えず九条社長の瞳を見据える。
「一体、私の何を知っているというのです?」
ウィリアムは一切動揺していない。強気な態度を前にして、九条社長は一瞬怯んだが、すぐににやりと口元を歪ませる。
「なぁに、貴方の趣味の話ですよ」
「趣味? 何のことやら」
「とぼけたって無駄ですよ。調べはついているんですからね」
九条社長は目元を半月状に歪ませながら明かした。
「吉野の春野屋、と言えば分かりますかな?」
ウィリアムは怪訝そうに眉を顰める。九条社長はようやく尻尾を掴んだと言わんばかりに声を潜めて笑った。
千晃は何のことだか分からず、瞬きを繰り返す。吉野といえば、遊女や芸者が集まる帝都随一の歓楽街だ。かつては遊女が格子越しに並べられた張り見世も立ち並んでいたらしい。
そのような場所とウィリアムに何の関連があるのか? 緊迫した空気の中、九条社長は薄気味悪く笑いながら話を進めた。
「随分と春野屋を贔屓にしていたそうじゃないですか。驚きましたよ。貴方にそのような趣味があったなんて」
「……その話を女性や学生の前でするのは不適切では?」
ウィリアムは低い声色で牽制する。そんな反応すら楽しむかのように、九条社長は笑った。
「やはり、知られたくないですよね。当然だ」
くくくっを肩を振るわせながら笑っている。その姿をウィリアムが冷ややかな眼差しで見つめていた。九条社長は顔を上げると、にやりといやらしく口元を歪める。
「別に女郎遊びをしていることをどうこう言うつもりはありませよ? 私もそこまで頭が硬いわけではありません。だけど、あの見世は違う」
「だから、そのような話をこの場でするのは……」
ウィリアムが阻むも、九条社長は止まらなかった。
「男を買っていたんですよね? 春野屋は男娼のいる見世ですから」
言葉の意味を理解すると、足元から崩れ落ちそうになった。ウィリアムは、男娼のいる見世を贔屓にしていた。その事実に少なからずショックを受けていた。
別にウィリアムに対して清廉潔白であることを望んでいたわけではない。あれだけの美貌だ。女性経験もさぞかし豊富であることは容易に想像がついた。
だけど、心のどこかで自分だけは特別だと思っていた。ウィリアムが愛情を捧げる男は自分だけ。そう思い込んでいた。
だけど違ったようだ。千晃はウィリアムが愛した男達の一人に過ぎない。先日の行為でもやけに手慣れていたのは、そういうことなのだろう。
ウィリアムは眉間を押さえて、悩まし気に溜息をつく。秘密を暴露されたのは痛手だったようだ。ウィリアムに致命傷を与えたと知ると、九条社長は鬼の首を取ったかのようにイキイキとし話し始めた。
「最近は異国の倫理観を取り入れたせいで、遊郭の規制も随分厳しくなりましたからねぇ。貴方もさぞかしお困りでしょう。春野屋もじきに閉業すると聞きました」
「人をモノのように売買するのは、許されることではありませんからね」
「その通り、貴方もよく分かってらっしゃるじゃないですか」
「……さっきから何が言いたいのですか? 回りくどい言い方をしないで、はっきり言ってください」
痺れを切らしたように尋ねると、九条社長は目の奥を怪しく光らせた。
「春野屋に贔屓にしている男娼がいるのではありませんか? その男を身請けして、愛人として囲うつもりだった。だけど男と二人で暮らしていると世間に知られるのは体裁が悪い。そこで秋穂を花嫁として迎えて既婚者を装った。そんなところでしょう?」
九条社長は一気に捲し立てると、勝ち誇ったように笑う。それから奥で控えていた千晃に視線を向けた。
「彼ですか? 貴方が贔屓にしていた男娼というのは。随分綺麗な子ですね。貴方が夢中になるのも分からないでもない」
嘗め回すような視線を向けられて、ぞくりと肌が粟立つ。ウィリアム以外の男から向けられる欲情は、吐き気がするほど気色悪かった。
お盆を抱えながら怯えていると、不意にウィリアムが吹き出す。よほど可笑しかったのか、肩を振るわせながら笑い始めた。
「あっはっは。素晴らしい妄想力だ。なるほど、この状況をそのように捉えることもできるのですね。いや、凄い。貴方、小説家になれますよ」
突如笑い出したウィリアムを前にして、九条社長は怪訝そうに眉を顰める。千晃が呆気に取られていると、ウィリアムはソファーから立ち上がり、迷いなく千晃のもとまでやって来た。
身構えていると、ウィリアムに肩を叩かれる。千晃と目を合わせて穏やかに微笑むと、改めて九条社長と向き合った。
「ここにいる小宮千晃は、うちで面倒を見ている書生です。男娼ではありません。函方にある商家の一人息子で、帝都大学 文学部に所属する優秀な学生です。疑うなら調べてみてはいかがです?」
千晃の身元を明かすと、九条社長は怯む。予想が外れたことを指摘され、返す言葉を失ったのだろう。ウィリアムは意思の籠った瞳で言葉を続ける。
「まあ、良い機会なのでお伝えしておきましょう」
そこからは畳みかけるようにきっぱり告げた。
「たとえ私が小宮千晃を愛していたとしても、そのことを世間に隠すつもりはありません。堂々と彼の隣に立ち、愛していると伝えます。それが私なりの誠意だと思っています」
ウィリアムは千晃の肩を抱き寄せる。力強く引き寄せられて、心臓が飛び跳ねた。
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