第27話 似たもの同士

 周作のもとで一晩世話になり、翌日はいつも通り大学へ向かった。森下からは元気がないと心配されたが、気のせいだとはぐらかした。


 屋敷を飛び出して別の家で世話になっているなんて話したら、面白がって根掘り葉掘り事情を聞かれるだけだ。普段通りを装いながら授業を受けた。


 何事もなく授業を終え、大学を出たところで、聞き覚えのある声に呼び止められた。


「アキさん、夜遊びとは感心しませんね」


 千晃はビクンと肩を跳ね上がらせる。恐る恐る振り返ると、滝沢が眼鏡を押し上げながら校門の脇に立っていた。相変わらずの無表情だが、今はそれが威圧的に見える。


 咄嗟に周囲を見渡す。以前のようにウィリアムもいるのではと疑ったが、姿は見えなかった。千晃は安堵の溜息をつく。


「夜遊びをしていたわけではありません。新婚の二人を邪魔したらいけないと思って、友人の家に泊めてもらったんです」


「新婚? 何を仰っているのです?」


「婚約者の秋穂さんが屋敷に来ているんです。僕がいたら邪魔でしょう?」


「邪魔? どうしてそういう発想に至るのか謎ですね。とにかく屋敷に帰りましょう。社長も心配されています」


 ウィリアムが心配していると聞いて、胸が締め付けられる。勝手に飛び出してしまったから、困惑しているのかもしれない。こうして滝沢を大学に寄越してくれたということは、気にかけてもらっている証拠だろう。


 とはいえ、屋敷に戻ったとしても辛い思いをするだけだ。罪悪感に苛まれながらも、千晃は首を左右に振る。


「屋敷には、帰れません……」


 滝沢は訝しげに眉を顰める。ぴりっとした緊張感が走った。


「何故ですか?」


「さっきもお話した通り、僕がいたら邪魔になるからです」


「さっきから仰っていることがよく分かりません。アキさんは、何を気にされているのだか……」


 理由を伝えたものの、滝沢は首を捻るばかり。これ以上話していても、平行線を辿るだけだ。千晃はそそくさとその場を離れようとする。


「とにかく、屋敷には戻りません。ウィルにもそうお伝えください。失礼します」


「お待ちください」


 滝沢の隣を通り過ぎようとしたところ、不意に腕を掴まれる。振り返ると、滝沢は涼し気な眼差しで千晃を見据えていた。


「私は、アキさんを屋敷に連れ戻すように指示されているんです。アキさんの事情より、社長の指示を優先させます」


 腕を掴む力は思いのほか強い。細身の割には意外と力がある。何とか振り払おうと試みたが、逃れることはできなかった。


「離してください!」


「致しかねます。いつまでも駄々をこねていないで、車に乗ってください」


「嫌だって言ってるじゃないですか!」


 校門の前で押し問答を繰り返す。このままだと強引に車に押し込まれてしまいそうだ。必死に抵抗していると、どこからともなくよく通る声が響いた。


「お巡りさぁーん! 人攫いがいます! 早くこっちに来て~!」


 咄嗟に周囲を見渡すと、森下がこちらを指さしながら叫んでいた。誘拐犯扱いされたことで、滝沢は驚いて手を離す。その隙に千晃は逃亡した。


(ありがとう! 森下!)


 機転を利かせてくれた森下に感謝しながら、千晃は滝沢から逃れた。走りながら何度か振り返ったものの、滝沢の姿は見当たらない。大学から離れ、商店街まで辿り着いたところで、ようやく足を止めた。


 危機一髪のところで逃れられた。千晃はゼイゼイ息を切らしながら安堵の溜息をつく。滝沢に人攫いの容疑をかけてしまったのは申し訳ないが、彼なら上手く切り抜けるだろう。


(とりあえず、周作さんちに戻ろう)


 周作からは、ウィリアム・エイデンの屋敷に戻らないなら、うちに帰ってくるようにと言われていた。変に遠慮したらぶっ飛ばす、と脅し交じりの言葉も添えて。ぶっ飛ばされるのは御免だから、今夜も周作の家でご厄介になるつもりだ。


 屋敷の辿り着き、玄関の戸に手をかけたところで、偶然にも周作と鉢合わせする。周作はニカッと笑いながら千晃を出迎えた。


「おー! おかえり、千晃」


「戻りました。今晩もお世話になります」


 礼儀正しく頭を下げると、周作は「そういう堅苦しいのはやめだ」と苦笑いを浮かべた。


「周作さんは、どちらに行かれるんですか?」


「大吾と甚爾が神社で遊んでいるから、迎えに行こうと思って」


 もう日は傾き始めているが、辺りはまだ明るい。この時刻なら二人だけでも帰って来られるだろう。それでもわざわざ迎えに行くあたり、やはり周作は世話焼きの兄のようだ。


「千晃も来るか?」


 千晃は少し考えてから頷く。


「はい。ご一緒します」


 屋敷で一人で待っているのも退屈だから、周作に同行することにした。


 茜色に染まる空を眺めながら、周作の後に続く。大きな背中を追いかけていると、不思議と心が落ち着いた。周作は人を安心させる力を持っている。


 置いて行かれないようについていくと、前を歩く周作がくくくっとおかしそうに笑いながら振り向く。


「なんだか、弟が増えたみたいだな」


 周作にとっては、千晃は弟のような存在なのかもしれない。そう思ってもらえるのは、ちょっと嬉しい。兄が欲しいとは思ったことはないが、周作のような兄なら大歓迎だ。


「僕は、兄ができたみたいです」


 素直に伝えると、周作はさらに嬉しそうに頬を緩ませる。歩く速度を緩めて千晃の隣までやって来ると、くしゃくしゃっと頭を撫でた。


「可愛いこと言うじゃねーか」


 髪をくしゃくしゃにされるような豪快な撫で方だ。ウィリアムに撫でられた時のように胸の奥が狭まる感覚にはならないが、不思議と安心感を得られた。


 千晃はふと考える。このまま周作の弟になってしまえば、この先も平穏に暮らしていけるような気がした。そんな暮らしも案外良いのかもしれない。


◇◆


 長い石階段を登って赤い鳥居をくぐると、子供たちの元気な声が聞こえてくる。元気よく駆けまわる子供たちの仲に、大吾と甚爾もいた。周作は神社にいる子供たちに声をかける。


「お前ら、そろそろ家に帰る時間だぞ!」


 子供たちからは「え~」と不満の声が漏れる。残念そうにする子供たちを代表して、大吾が訴えた。


「周兄頼む! あと少しだけ! まだみんな捕まえられていないから」


「はあ……。しょーがねーな。あと少しだぞ」


 周作からお許しを貰うと、子供たちは嬉しそうに歓声を上げる。そのまま遊びを続行した。周作は拝殿に繋がる階段で腰を下ろし、子供たちを見守る。


「悪いな。もう少しだけ遊ばせてやってもいいか」


「僕は構いませんよ」


 千晃も周作の隣に腰を下ろして、子供たちを見守った。男の子も女の子も入り交じって楽しそうに走り回っている。千晃は幼い頃から内気な性格だったこともあり、大勢で遊んだ経験はほとんどない。楽しそうに神社を駆けまわる子供たちを見て、いいなぁと感じていた。


「昔は、秋穂ともよくここで遊んだなぁ」


 周作は過去を懐かしむように目を細める。そこで周作と秋穂が幼馴染だったことを思い出した。


「お二人は昔から仲が良かったんですね」


「そうだな。あいつの家は、この神社の裏手にあるんだ。腰抜かすほど、でっけー屋敷。昔の秋穂は、お茶やらお琴やらの習い事で忙しく過ごしていたけど、その合間を縫ってここに遊びに来ていたんだ。人形みたいに無表情だったあいつが、ここに居る時だけはコロコロ笑ってくれるのが嬉しくて、気付けばいつも目で追っていたよ」


 何だか微笑ましい。きっと周作は、幼い秋穂に対しても世話を焼いていたに違いない。


「その頃から好きだったんですね」


 茶化すように指摘すると、周作からは笑ってはぐらかされた。


「さあな」


 素っ気ない言い草だが、表情を見れば本心は分かる。口元を緩めながら、慈愛に満ちた眼差しをしていた。


 周作は幼い頃から秋穂に淡い恋心を寄せていたのだろう。それはきっと秋穂も同じだ。二人は幼いながらも相思相愛だったに違いない。初々しい話を聞いてほっこりしていると、周作は千晃の顔を覗き込んだ。


「実はさ、千晃を助けたのも、秋穂にどこか似ていたからなんだ」


「え? 僕が秋穂さんに?」


「ああ、醸し出す雰囲気が似てんだよ。そりゃまあ、性別が違うから、全部が似ているわけじゃないけど」


 似ていると言われたのは意外だった。確かに髪や瞳の色は似ているような気がするが、秋穂の方がずっと魅力的だ。困惑していると、周作が慌てて補足する。


「勘違いすんなよ? 似ているからってあんたのことをどうにかしようって気はないから」


「それは、分かってますって」


 千晃は笑いながら頷く。周作に下心がないことは分かっている。千晃の中にはウィリアムしかいないように、周作の中にも秋穂しかいないのだろう。


「そろそろ帰るか」


「ですね」


 二人が立ち上がる。周作が子供達に声をかけようとしたところで、石階段を慌ただしく駆け登ってくる足音が聞こえた。何事かと視線を向けると、思いがけない人物が現れた。


「アキ!」


 鳥居の下にウィリアムが立っている。いつもの余裕のある姿とは異なり、息を切らしながらこちらを見つめていた。


(どうしてウィルがここに……)


 三人の間を突風が吹き荒れる。境内の欅の木が音を立てて揺れた。

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