第26話 隠しきれない想い

 港からほど近い場所に北里酒蔵がある。行く宛のない千晃は、周作の家にお邪魔することになった。


 案内されたのは、白壁に黒瓦の昔ながらの邸宅だ。表には年季の入った看板が掲げられており、敷地内には立派な酒蔵が併設されていた。想像していた以上に立派な屋敷を前にして、千晃は呆気に取られる。


「入れよ」


「……はい」


 緊張した面持ちで、周作の後に続く。周作が玄関先で「ただいま」と声をかけると、廊下の先からバタバタと足音が聞こえた。


「周兄だ!」


「周兄が帰ってきた!」


 玄関に飛び出して来たのは、二人組の男の子だ。年は六歳前後だろうか? 周作の弟だろう。弟たちは、帰宅したばかりの周作にじゃれついていたが、千晃の姿を見るときょとんと目を丸くした。


「誰~?」


「周兄の友達~?」


「まあ、そんなところだ。仲良くするんだぞ」


 周作の友達として紹介されると、弟達は千晃のもとに駆け寄ってくる。


「なんて名前~?」


「なんて呼べばいい~?」


 目を輝かせながら尋ねてくる姿は、なんだか微笑ましい。兄弟ということもあり、顔立ちは周作とよく似ていた。二人に話しかけられたことで、緊張が一気に和らぐ。


「千晃です。よろしくね」


 腰を曲げて、彼らと視線を合わせる。穏やかに微笑みながら挨拶をすると、弟達はニカッと笑った。その笑い方は、周作とそっくりだ。


「ちあきね~」


「よろしく~」


 挨拶を終えると、弟達はバタバタと足音を立てて、屋敷の奥へと引っ込んでいった。周作は呆れたように笑いながら、彼らの背中を見つめる。


「さっそく騒がしくて悪いな。今のは一番下の弟の大吾だいごとその上の甚爾とうじだ」


「素直でいい子たちですね」


「やんちゃで手を焼いてるけどな」


 肩を竦めながら笑う周作は、やはり世話焼きの兄の雰囲気が漂っていた。


「とにかく入れよ」


「あの、本当にお邪魔していいんですか?」


「今更何言ってんだ。さっさと入れ」


 遠慮する千晃の背中を、周作は笑いながら押した。


 屋敷に入ると、雨に濡れているからと風呂に入るように促される。風呂から上がると着替えとして着流しを渡された。その後は、居間に集まってみんなで夕食を頂いた。


 突然お邪魔したにも関わらず、周作の両親や祖父母、兄弟達は千晃を歓迎してくれた。大勢に囲まれて賑やかに食事をするのは初めての経験で、とても新鮮だった。


 いつも通りのんびり食べていたら、大吾と甚爾におかずを横取りされたのには驚いた。周作は、弟たちにげんこつを食らわせながらも千晃に謝る。


「悪いな。これはうちでは日常茶飯事なんだ」


 周作は苦笑いを浮かべながら謝る。罪滅ぼしと言わんばかりに千晃におかずを分けてくれた。大家族では、食卓も戦場らしい。食うか食われるか。食事の時間がこんなにも油断できないものだとは思わなかった。


 驚きは大きかったが、賑やかな食事の時間も楽しい。次から次へと移り変わっていく話題を追いかけているだけでも刺激的だった。


 食事が終わると、弟達は寝床に入り、屋敷に平穏が訪れた。千晃が居間で所在なさげにしていると、風呂上がりの周作が酒瓶を持ってやって来た。


「一杯やろうぜ」


◇◆


 千晃と周作は縁側に移動する。屋敷に来るまでは雨が降っていたが、いつの間にか止んでいた。分厚い雲の狭間から朧げな三日月が覗く。


 肌に触れる風は、湿気を含んでじっとりしているが、あまり不快ではない。雨の匂いが交った空気を吸い込むと、心が安らいだ。


 赤レンガ倉庫にいた時は心が荒んでいたが、今はそれほど落ち込んでいない。賑やかな雰囲気に当てられて、不安が薄れたようだ。


 改めて、周作のもとに来て良かったと感じた。あの時声をかけられなかったら、今頃帝都を彷徨っていただろう。危険な目に遭っていた可能性すらある。保護してくれた周作には、感謝してもしきれない。


 隣に座っている周作に改めて御礼を言おうとしたところで、盃を渡される。


「飲むか?」


 酒を勧められたが、千晃は首を振って断った。


「遠慮しておきます。飲んだことがないので」


「そうかぁ。うちの酒は上手いのに残念だな。……まあ、無理強いするつもりはないけど」


 肩を竦めながらも、無理に勧めてくることはなかった。周作は盃に入れた酒をくいっと飲んでから千晃に尋ねる。


「今夜、泊ってくか?」


「流石にそれは……」


「遠慮すんな。帰りたくないんだろ?」


 周作から言い当てられて、千晃は目を丸くする。驚く千晃を見て、周作は吹き出すように笑った。


「図星か……。何があったんだ? ウィリアム・エイデンと喧嘩でもしたか?」


「そういうわけでは……。ただ、ちょっと居辛くて……」


「居辛い? なんで?」


 千晃が黙り込んでいると、周作は何となく事情を察したように目を細めた。


「あー、まあ、新婚の家には居辛いか……」


 周作の声色からは、先ほどまでの明るさは消え失せていた。理由は聞かなくても分かる。


「あの二人、仲良くやってんのか?」


 傷口を抉るような質問をされて、言葉に詰まらせる。ジワジワと押し寄せる痛みに耐えながら、千晃は頷いた。


「とても、お似合いの夫婦でした」


 口にすると涙が溢れそうになる。月を眺めるふりをして顔を上げ、何とか涙を堪えた。


「そうか……」


 隣からも落胆した声が聞こえる。多分、思っていることは同じなのだろう。


 しばらくはどちらも声を発することなく、縁側で並んで座っていた。周作は時折酒を煽り、溜息をつく。千晃は膝を抱えながら、朧げな三日月を眺めていた。


 沈黙が続いた後、周作が不意に言葉を発する。


「帰りたくなかったら、うちに居てもいいぞ」


「え?」


 そんな提案をされるとは思わなかった。保護してくれるのは一夜限りと思っていたから。


「悪いですよ。そこまでしてもらうのは」


「遠慮することはない。うちで衣食住の面倒を見る代わりに、家業を手伝ってくれればいい。それならうちとしても助かる」


 家業を手伝うという条件なら、周作の家にも得がある。ウィリアムの屋敷でやってきたように、屋敷に住まわせてもらう代わりに雑用をこなせばいいのだ。


 双方に得があることは理解したが、すぐには頷けない。黙り込んでいると、周作は苦笑いを浮かべた。


「まあ、うちは大家族だから、ゆっくりはできねえけどな。あんた学生だっけ? あいにくうちでは、静かに勉強する場所は与えてやれねえ。それでもいいっていうならだけどな」


 屋敷に置いてもらえるのは有り難いが、やはりそこまで世話になるわけにはいかない。押し黙っていると、周作は遠慮がちに千晃の表情を伺った。


「あのさ、もし違ってたら悪いんだけど」


「はい?」


 数秒の沈黙が流れた後、周作は意を決したように尋ねた。


「あんた、ウィリアム・エイデンのことが好きなのか?」


 不意に言い当てられて、ビクンと肩を震わせる。ウィリアムへの想いを他者から指摘されたのは初めてだった。目を見開いていると、周作は決まりが悪そうに視線を逸らす。


「前に会った時にさ、ウィリアム・エイデンってどんな男かって聞いただろ? その時の反応から、そうなのかと思って……」


 確かにあの時は、ウィリアムのことをあれこれ喋ってしまった。千晃は自らの迂闊さを悔やんだ。


 否定しなければ。自分はただの書生で、ウィリアムに対しては恋愛感情など抱いていない。そう口にすれば丸く収まる。


 異国では同性間での結婚も認められていると聞いているが、この国ではまだ認められていない。同性が好きだと知られたら、好奇の目で見られる。千晃自身はともかく、社会的立場のあるウィリアムを好奇の目に晒すわけにはいかなかった。


「そんなわけないでしょう。ウィルのことなんて、これっぽっちも……」


 好きじゃない――。


 そう口にしようとした瞬間、ジワリと視界が滲んだ。あっという間に涙が溢れ出し、頬を濡らす。泣くつもりなんてこれっぽっちもなかったから驚いた。


「あーあー、泣くな、泣くな」


 周作は腰を浮かせて、千晃の真横に移動する。ぼろぼろ泣き出した千晃の顔を覗き込みながら、着物の袂で涙を拭った。袂がぐっしょり濡れるのもお構いなしだ。


「悪かったな、辛い事思い出させて」


 周作の優しさが心に沁みる。背中をさすられると、余計に涙が溢れ出した。涙を抑えようと試みたが、もう抑えられそうにない。


「そんなになるほど、好きなんだな」


 千晃は小さく頷く。ウィリアムへの恋心を人に打ち明けたのは初めてだ。隠さなければと思っていたが、明かしてしまったらかえって心が軽くなった。


 故郷にいたことは、涙を見せるだけで梨都子から怒鳴られた。周作からも鬱陶しがられることを覚悟していたが、そんなことはなかった。


「まあ、泣きたくもなるか……。もういいから、今日はとことん泣け。泣けば少しはすっきりするだろう」


 周作は、千晃の背中をさすりながら切なげに微笑んだ。こんな風に寄り添ってくれるのは、周作が面倒見の良い性格だからかもしれないと思ったが、恐らくそれだけではない。


 周作も秋穂のことを愛していた。だけど手に入れることは叶わなかった。境遇としては千晃と同じだ。だからこそ、こうして慰めてくれているのだろう。周作の気持ちを想像すると、余計に胸が痛んだ。


 帝都に来るまでは、誰かを愛したいと願っていたけど、こんな思いをするくらいなら何も知らなければ良かった。


 屋敷の主人と、ただの書生。ウィリアムとは、愛や恋など芽生えない関係で出会えたらどれほど楽だったか。


 一度手にしたものを失うことが、こんなに恐ろしいものだとは思わなかった。

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