第23話 叶わぬ恋
千晃と周作は、異人館街の坂を下って洋式公園に移動した。朧げな月の光を頼りに柔らかな芝生を歩き、白いベンチに腰掛ける。日中は賑わっている園内も、夜が深まった時分にはしんと静まり返っていた。
緊迫した空気の中、周作の反応を伺っていると、彼は開き直ったかのように笑い始めた。
「笑えるだろ? 駆け落ちなんて」
砕けた物言いをされて面食らう。千晃は警戒心を保ちつつも返答した。
「笑えませんよ。嫁ぎ先が決まった女性を連れて逃亡するなんて、正気の沙汰じゃありません。振り回された人達のことも考えてください」
「ははっ、そりゃ正論だな。俺の身勝手な行動のせいでみんなに迷惑をかけた。全面的に俺が悪い」
「分かってるならどうして……」
周作は笑いを引っ込めると、深々と息を吐き出す。千晃の顔をチラッと見ると、切なげに目を細めた。
「秋穂が他の男のものになるなんて、耐えられなかったんだ」
正直に告げられて目を見開く。そこまではっきり言われると、清々しさすら感じた。
周作は、秋穂と一緒になりたいと願っていた。それほどまでに好意を寄せていたのだろう。他者から奪ってでも手に入れたいという感情も、理解できなくはない。
だけどウィリアムのもとで世話になっている身としては、周作の身勝手な思いを看過しておくことはできない。
「屋敷に来たのは、もう一度秋穂さんを連れ出すためですか?」
じっと睨みながら尋ねると、周作は両手を仰ぎながら首を振った。その表情は、どこか投げやりに見える。
「そうしたいのは山々だけど、また連れ出したら今度こそ俺は牢獄行きだ。秋穂んちのオッサンに言われたんだ。次やったら警官に突き出すって」
九条家からすれば、周作は嫁入り前の娘を攫った誘拐犯だ。警官に突き出されれば、周作の人生が狂ってしまう。二度目の逃亡は許されないということか。
「家族に迷惑をかけるわけにもいかねえし、もう連れ出そうだなんて思ってねえよ」
「じゃあどうして、屋敷に来たんですか?」
連れ出すことが目的でなければ、何のために屋敷に来たのか? 千晃が尋ねると、周作は眉を下げながら力なく笑った。
「秋穂の旦那を、ひと目見たかったんだ。秋穂を幸せにできるような男なのか、この目で確かめたくて」
周作の目的は、ウィリアムだったようだ。好きな相手が幸せになれるのか確かめたいという感情は、千晃にも理解できる。ひとまずは、周作が悪意を持って屋敷に近付いたわけではないと知り、安堵した。
周作はベンチに背中を預け、空を仰ぐ。
「なあ、ウィリアム・エイデンってどんな人?」
同じ質問を秋穂からもされた。千晃は前回と同じ言葉を繰り返す。
「素敵な男性ですよ。紳士的で格好良いです」
「余所から主人のことを聞かれたら、そう答えろって躾けられてんの? もっと何かあんだろ? 一緒に暮らしてんだろ?」
周作から半笑いで突っ込まれてしまった。別に言わされているわけではないが、傍から聞いたらおべっかに聞こえるのだろう。
先ほどの言葉も本心ではあるが、それが全てではない。ウィリアムと共に過ごす中で抱いた感情は、そんな表面的なものだけではなかった。
千晃は少し考えてから、さらに深くウィリアムのことを語った。
「一見すると穏やかな紳士ですけど、意外と強引なところもありますね。何をするか分からないから、心臓がいくらあっても足りません。あと、すぐに子供扱いしてくるのも腹立たしい。過保護なんですよ、基本的に。その割には自分は子供じみた真似をすることもある。この前だって、仕事に行きたいないって駄々をこねていたし。あと何より、無駄に色気があるから困る。せめてベッドに入る時は服を着てほしい」
一度話し始めたら、次から次へと愚痴が飛び出した。むっとした顔で話す千晃を見て、周作は腹を抱えて笑った。
「そうそう、そういうのが聞きたかった!」
周作に笑われてから、話し過ぎたことを後悔した。流石にベッドに入る時に裸なのは、話すべきではなかっただろう。反省しながら俯いていると、笑いが収まった周作から尋ねられた。
「で、秋穂を幸せにしてやれるような男か?」
千晃は顔を上げる。周作は口元を緩めつつも、真剣な眼差しでこちらを見つめていた。周作が一番気にしているのは、そこだろう。千晃は正直に答える。
「困ったところもありますが、とても優しくて愛情深い人ですよ」
ウィリアムは優しい。それは一緒に過ごしてきた千晃が一番よく分かっている。千晃に愛情を注いだように、秋穂にも愛情を注いでいくだろう。
二人の幸せを想像すると、胸の奥が疼く。痛みに耐えながらも、千晃は周作を安心させるように微笑んだ。
「きっと秋穂さんのことも幸せにすると思いますよ」
周作は、試すような眼差しで千晃を見つめる。しばらくすると、目を細めながら穏やかに微笑んだ。
「そっか……その言葉を聞いて安心したよ」
周作はベンチから立ち上がると、話を終えたと言わんばかりに公園を立ち去ろうとする。
「じゃあな。色々教えてくれて助かったぜ」
千晃に背を向けたまま、ひらひらと手を振る。きっと彼は、ひとつの恋に終止符を打とうとしているのだろう。周作の心境を想像すると、胸が締め付けられた。
本当にそれでいいのか? 千晃は声を張り上げて問いかける。
「秋穂さんとは、もう会わないんですか?」
周作は立ち止まる。こんなことを尋ねるのは酷だと分かっているが、聞かずにはいられなかった。
「諦めるんですか?」
駆け落ちまでした相手を、きっぱり諦めることなんてできるのだろうか? 秋穂を連れ出したのだって、生半可な覚悟ではなかっただろう。
振り返った周作は、瞳を奥を淀ませながら笑みを浮かべていた。
「諦めきれるわけねぇよ。この先も秋穂を引き摺って生きていくだろうよ」
その言葉は、他人事には思えなかった。言葉を失いながら、遠ざかる周作の背中をひたすらに眺めていた。
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