第21話 嫉妬と恋心
大学の講義が終わって一息ついていると、隣の席に座っていた友人の森下が頬杖をつきながら話を振ってきた。
「最近の小宮くんは、色気がだだ漏れだな」
「はあ?」
千晃は怪訝そうに眉を顰める。色気があるなんて初めて言われた。納得できずにいると、森下はにやりと笑いながら続ける。
「もともと綺麗な顔しているとは思っていたけど、最近は身なりが整って、所作も丁寧になって、余計に目を引くようになった。あと、凄くいい匂いがする」
森下はスンスンと匂いを嗅いでくる。千晃は鬱陶しそうに手で追い払った。
「やめろって」
「はははっ、ごめんごめん」
森下はへらっと笑いながら千晃から離れた。
色気がだだ漏れというのはよく分からないが、身なりが整ったのは服を新調してもらったからだろう。帝都に来たばかりの頃に比べれば、小綺麗になった。
所作が丁寧になったのは、ウィリアムの影響だ。普段からウィリアムを見ているせいで自然と丁寧な振る舞いが身についた。
いい匂いがするのは、トヨが用意した石鹸のおかげだ。花の香りがする石鹸は使っていて心地いいし、ウィリアムも気に入っているから特に気に留めることなく使い続けていた。
「冗談抜きでさ、そんなに色気があったら、あちこちで言い寄られているんじゃないか?」
「ないない」
ウィリアムは例外としても、千晃は人から言い寄られたことなどない。故郷にいた頃だって、女性に言い寄られた試しがないし、高等学校では同級生からも遠巻きにされていた。時々千晃から話しかけても、相手はしどろもどろになるばかりで、ろくに会話が続かなかった。
まともに友人ができたのだって、森下が初めてだ。そのきっかけがオリビア・アレンの小説だったのだから、ウィリアムにも感謝しなければならない。
森下の戯言を適当に受け流していると、講義室に恰幅のいい男がやって来る。見覚えがないから、違う学部の人だろう。
特に気に留めていなかったが、男は一直線で千晃のもとへやって来る。身構えていると、男はやけに緊張した面持ちで話しかけてきた。
「俺は柔道部主将の河本です。小宮くん、もしよろしければこの後、本町の茶屋に行きませんか?」
突然の誘いに驚きつつも、千晃は丁重にお断りする。
「申し訳ございません。家の手伝いがあるので」
「そうですかぁ……」
男は大きな身体を丸めて、シュンとしながら立ち去って行った。その後ろ姿を見て、千晃は首を捻る。
「最近やたらと多いんだよね。知らない人から突然本町の茶屋に行こうって誘われることが。流行っているのか?」
過去にも見知らぬ学生から茶屋に行こうと誘われることがあった。その度に丁重に断っていた。訳が分からずにいる千晃とは対照的に、森下は同情するように目を細める。
「今まさに言い寄られていたんだよ」
「なんだって?」
困惑していると、森下は声を潜めながら千晃に告げた。
「本町の茶屋はただの茶屋じゃない。二階が貸し部屋になっているんだ」
「へぇ、そうなんだぁ」
千晃は呑気に相槌を打つ。事態がまるで分かっていない姿を見て、森下は深く溜息をついた。
「要するに、柔道部の主将さんは小宮くんを茶屋に誘い込んで、あわよくばいかがわしいことをしようって魂胆だったんだ」
「はあっ!? どうしてそうなるんだよ!?」
千晃は思わず声を荒げる。周りにいた学生も驚いたように千晃に注目した。取り乱す千晃の隣で、森下は口を尖らせながら説明する。
「だって、そういう場所だから」
カアアと顔が熱くなる。まさかウィリアム以外の男からもそういう目で見られているとは思わなかった。
「気を付けた方がいいぞ。ホイホイついて行ったら、あっという間に喰われるだろうからね。小宮くん、華奢だから抵抗できなさそうだし」
自分が見知らぬ男から好き勝手されるのを想像するとゾッとした。ウィリアム相手ですら、キス以上のことをするのに躊躇っているのに、他の男とだなんて考えられない。
「……気を付けるよ」
今後茶屋に誘われても絶対に断ろう。そう心に決めていると、森下は千晃の肩を叩いた。
「まあ、大学にいる間は、俺が守ってやるから安心しろ。心配しなくていい。俺は胸の大きな女にしか興味がないから」
清々しい笑顔で下種な発言をする森下に、冷ややかな視線を送った千晃だった。
◇◆
屋敷に戻ると、門の前に袴姿の若者がいることに気付く。年齢は二十歳前半だろうか? 千晃よりも少し年上に見える。爽やかな短髪で、いかにも好青年といった印象だった。
男は屋敷を覗いている。客人のようだが、どこかソワソワしているのが気になった。
「何か御用ですか?」
千晃が声をかけると、男はビクッと肩を跳ね上がらせる。近くでまじまじと見ると、精悍な顔立ちをした男であることが分かった。ウィリアムの方が美形であることは間違いないが。
男は、しまったと言わんばかりに顔を顰める。身なりが整っているから盗人とは思えないけど、怪しいことには変わりなかった。じっと観察していると、男はわざとらしい笑顔を見せてから千晃の横を通り過ぎる。
「道に迷っただけだ。失礼」
そう言い残すと、早足で坂を駆け下りていった。
(何だったんだ?)
千晃は首を捻りながら、男の背中を眺めた。怪しい男ではあるが、害はなさそうだ。ひとまずは気にしなくていいだろう。気を取り直して、千晃は屋敷に入った。
「ただいま、戻りました」
玄関で挨拶をするも返事がない。いつもはトヨが飛んできて、温かく迎えてくれるのに。もの寂しさを抱えながら廊下を歩くと、台所からトヨと秋穂の笑い声が聞こえた。
千晃は荷物を置いてから、台所に向かう。扉の前から覗き込むと、トヨと秋穂が並んで料理をしていた。
「秋穂さん、いいですか? チキンライスを包むときは、こうして玉子の下にヘラを入れて、そーっと被せるんです」
「なるほど。そーっとですね」
トヨがオムライスの作り方を秋穂に伝授している。秋穂は調理方法を帳面に書き写しながら、熱心に話を聞いていた。声をかけずに見守っていると、トヨが気付く。
「あら、アキさんお帰りなさい」
「はい。ただいま戻りました。秋穂さんは洋食の作り方を教わっているのですか?」
千晃が尋ねると、秋穂は頬に手を添えながら恥じらうような仕草を見せた。
「ええ。私、洋食には不慣れなもので。エイデン様がご帰宅なさるまでに、作り方を覚えておこうと思いまして」
「へぇ、秋穂さんは、努力家なんですね」
「努力家なんて大袈裟ですよ! これからお世話になるのですから、旦那様にはできる限りのことをして差し上げたいんです」
なんて健気なんだ。目の前で微笑む秋穂が眩しく見えた。
秋穂は花嫁にするには申し分ない女性だ。穏やかで品があり、その上料理上手ときた。そこに容姿の美しさまで加わったら、文句の付け所がない。多くの男性が彼女の虜になるだろう。
ふと、ウィリアムはどうなんだろうと想像してしまう。理想の花嫁とも言える秋穂を前にしたら、ウィリアムだってあっという間に恋に落ちるような気がした。
千晃と秋穂のどちらかを選ぶとなれば、秋穂に軍配が上がるだろう。艶やかな長い黒髪、繊細で長い睫毛、弾力のある桜色の唇、着物の上からでも分かるふくよかな胸。どれも千晃にはないものだ。花嫁にするなら、断然秋穂の方が良いに決まっている。
チラッと秋穂の首筋を盗み見る。華奢な首筋からは、少し噛んだだけでも血が滲み出てきそうだ。
「秋穂さんの血は、さぞかし美味しいんだろうなぁ……」
「え? 何か仰いました?」
秋穂が振り返って不思議そうに尋ねる。そこで余計なことを口にしたことに気付いた。
「いえ! 何でもありません!」
千晃は咄嗟にはぐらかした。ウィリアムの正体については、千晃の口から明かすわけにはいかない。ウィリアム本人から伝えるべきだ。不思議そうにしている秋穂の気を逸らすように、千晃は話題を変えた。
「それより、僕もお手伝いしますよ。何をすればいいですか?」
「いえ、お料理は嫁である私の役目ですから。母やら教わりましたの。殿方を繋ぎとめるには胃袋を掴めと」
「まあ、それは良い心掛けですね」
秋穂とトヨは顔を見合わせながら笑った。そんな二人の輪に、千晃はどこか入れずにいた。
「そう、ですよね。……じゃあ僕は、部屋で勉強をしています」
「はい。お夕食の支度が整いましたら、お声がけしますね」
秋穂はふわりと微笑む。その笑顔は、やはり千晃には眩し過ぎた。
逃げるように台所を後にして、自室に籠る。一人になってから、深く溜息をついた。
秋穂はとても魅力的な女性だ。自分では到底敵いそうにない。共に過ごせば、ウィリアムだって秋穂に惹かれていくだろう。
千晃の頭を撫でていた大きくて逞しい手が、秋穂の小さな頭を撫でている姿を想像すると目の前が真っ暗になる。
(嫌だ……。そんなの見たくない……)
胸が苦しくて仕方がない。ウィリアムの心が離れてしまうのが怖かった。
ウィリアムに執着している自分に気付いた時、千晃はようやく自覚した。これまでも全く自覚していなかったわけではない。そうなのかもしれないと疑惑を抱きつつも、結論を下すのは先送りにしていた。
だけど今、はっきりと分かってしまった。
(僕は、ウィルのことが好きだったんだ……)
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