第20話 政略結婚の目的

 秋穂が屋敷にやって来てから一夜が明けた。若い女性と一つ屋根の下で過ごすなれば、少なからず意識してしまうかもしれないと懸念していたが、千晃の心は一切乱されることはなかった。


 秋穂は魅力的な女性だが、性的感情は一切湧いてこない。そのことから自分の性的対象が男性であることを自覚した。


 いや、男性と括るのは大雑把すぎる。正確にはウィリアムが相手でなければ、一切反応しなかった。


 いつも通りの時刻に目を覚まし、台所へ向かうと、割烹着姿の秋穂が朝食の支度をしていた。千晃の存在に気付くと、ふわりと笑みを浮かべる。


「おはようございます、アキさん」


「おはようございます……」


 千晃は戸惑いながらも挨拶を返す。まるで新妻のような振る舞いをされて、居心地が悪くなった。


「あの、僕もお手伝いします」


「ええ!? 結構ですよ。アキさんはダイニングで待っていてください」


 手伝いを申し出たが、断られてしまった。一緒に台所にいたら余計に気を遣わせてしまうような気がして、千晃はダイニングに向かった。


 ソワソワしながらテーブルについて待っていると、お盆を持った秋穂がやって来る。テーブルには、焼き魚、厚焼き玉子、漬物、白米、味噌汁といった和食が並べられた。


「お待たせしました。どうぞ召し上がれ」


 テーブルに置かれたのは一人前の朝食だ。昨夜の夕食時も、テーブルに用意されたのは千晃の分だけだった。その時から違和感を抱いていた。


「秋穂さんは、召し上がらないのですか?」


「私は台所でいただきます」


 どうやら昨日も、秋穂は台所に籠もって食事をしていたらしい。では、と一礼して出て行こうとする秋穂を、咄嗟に呼び止めた。


「秋穂さん!」


「はい、何でしょう?」


 秋穂はきょとんと首を傾げる。こんなことを申し出るのは図々しいかもしれない。だけど、同じ家にいるのに別々で食べるのは寂しいことのように思えた。


「もしよかったら、一緒に食べませんか?」


 千晃の申し出を聞いて、秋穂は驚いたように目を見開く。そんな提案がされるとは思ってもいなかったのだろう。


「いえ、私がいたらアキさんも落ちつかないでしょう?」


「そんなことはありませんよ。一人で食べるより二人で食べた方が楽しいです」


 この屋敷に来て、誰かと食事をすることの楽しさを知った。ウィリアムから教えてもらった感情を、秋穂にも与えたかった。


「よろしいのでしょうか?」


 遠慮がちに尋ねる秋穂を見て、千晃は迷いなく頷く。


「もちろんです。食事を運ぶのを手伝いますね」


「ああっ、そこまでしていただかなくても結構ですよ!」


 秋穂は千晃の後を追いかけて止めようとする。それでも千晃は止まることなく、台所から秋穂の食事を運び出した。


 きっとウィリアムだって似たようなことをするに違いない。ウィリアムと生活する中で、彼の習慣や立ち居振る舞いが移っていた。


 テーブルに二人分の食事を並べてから、向かい合わせに座って手を合わせる。


「いただきます」


「どうぞ、召し上がれ」


 千晃は厚焼き玉子に箸を伸ばす。その様子を秋穂がソワソワと眺めていた。口に合うか心配しているのかもしれない。玉子を箸で半分に割って口に運ぶと、ふわりと出汁の風味が鼻を抜けた。


「美味しいです」


 味の感想を伝えると、秋穂はホッと胸を撫でおろした。千晃が食事を始めると、秋穂も箸を取った。


 穏やかな空気に包まれながら、朝食を頂く。食卓を共にしたことで、秋穂とも少し打ち解けたような気がした。


 秋穂には聞きたいことがたくさんある。昨日は遠慮をして、あまり踏み込んだ質問はできなかったが、屋敷に来て一夜明けた今なら聞けるような気がした。


「部外者の僕が聞くのは差し出がましいのですが、ウィル……いえ、旦那様とご結婚されるのは、秋穂さんも納得してのことなんですか?」


 政略結婚であることは明らかだが、秋穂が納得しているのは不明だった。駆け落ちまでして結婚から逃れたいと思っていたのだから、そう簡単に気持ちが変わるとは思えない。


 秋穂は食事をする手を止めると、ゆっくりと視線を落とした。


「私はただの商売道具ですから。納得していようが、していまいが関係ありません」


 それは、全てを諦めたかのような物言いだった。


 良家の令息や令嬢は、親の決めた相手と結婚するのが習わしだ。それは異国文化が流れ込むこの時代においても変わりはない。


 自由恋愛なんて言葉も流行っているが、周りの反対を押し切って想い人と一緒になるのは容易なことではない。結局は親の決めた相手と一緒になって、共に過ごす中で愛情を育んでいくのだ。


 だけど駆け落ちするほど愛する人がいるのに、別の相手と結婚するのは不憫なことに思えた。この政略結婚の意義を知るためにも、両家の関係を尋ねてみた。


「旦那様と九条家は、どのような繋がりがあるんですか?」


 部外者には明かしてくれないのではと懸念していたが、秋穂は詳細に明かしてくれた。


「私の父は、エイデン様がこの国で商売を始める際に援助をしていたそうです。会社設立にあたっての手続きの補佐や、人材の斡旋、顧客との顔繋ぎなどもしていたと話していましたね。父は酒に酔うとよく言っていました。あの若造は俺が育てたようなものだと」


「なるほど……」


 異国で商売を始めるとなれば、現地の有識者の力を借りるのが手っ取り早い。その役目を買って出たのが、九条財閥というわけか。


 そうした背景があるならば、ウィリアムは九条家に恩義を感じているはずだ。九条財閥の社長の豪語する育てた発言は、少し引っかかるが。


「では、結婚を通して、双方の繋がりをより強固なものにしようという意図があるんですか?」


 少し突っ込んだ質問をすると、秋穂は苦笑いを浮かべる。流石にそれ以上は話してくれないかと諦めかけたが、秋穂は「この話はあまり大ぴらにはしないでいただきたいのですが」と前置きしてから話を続けた。


「今、九条財閥の業績は芳しくありません。一昨年に始めた新事業で大きな損失を出しておりまして……」


 その話は千晃も知っている。九条財閥が乗り出した紡績業が赤字になっていることは噂で聞いていた。近代的な設備を備えた新規企業に対抗できなくなったそうだ。貿易が盛んな故郷の函方では、そうした大企業の懐事情も耳に入ってくる。しかし、その先は千晃も知らない話だった。


「新事業を立て直すために、新たに工場を設立して設備投資をする運びになりました。その資金の調達するために、私がエイデン様に嫁ぐことになったのです」


「どうしてそれが、嫁ぐことに繋がるんですか?」


 秋穂は一瞬言葉に詰まらせたものの、意を決したように明かした。


「私がエイデン様のもとに嫁いだ暁には、かなり色の付いた結納金が送られてくることになっているのです」


 そこまで聞くと、ようやくこの政略結婚の目的に気付いた。要するに秋穂は金で売られたのだ。


 ウィリアムの経営する貿易会社は、右肩上がりに成長している。工場ひとつ設立するための資金提供は容易いだろう。それだけでなく、ウィリアムの伝手で瑛国の最新鋭の設備を提供することも可能だ。


 ウィリアムのメリットとしては、やはり血だろう。花嫁に安定して血を提供してもらうために、この政略結婚を飲んだのかもしれない。血を提供してくれる相手を迎えられるのなら、莫大な資金を支払うことも厭わなかったのだろう。


 九条財閥とウィリアムは得をする話だが、巻き込まれた秋穂は不憫でならない。逃げたくなる気持ちも分かる。


「父は、早急に工場の設立を進めたがっています。だから私をエイデン様の屋敷に送り込みました。強引にでも話を進めて、結納金を受け取りたいのでしょうね」


「なるほど……事情は把握しました」


 話を聞く限り、九条社長は相当強引な性質なのだろう。屋敷に送り込んで、既成事実を作ってしまえという魂胆もあるのかもしれない。そう考えると、余計に秋穂が不憫に思えた。


「秋穂さんは本当にそれでいいんですか? その……駆け落ちをしてまで一緒になりたい人がいたんですよね?」


 駆け落ちの話を持ち出すと、秋穂はビクンと肩を揺らす。あまり人には触れられたくない内容だったのかもしれない。秋穂は視線を落としながら力なく呟いた。


「いいんです……。私が傍にいたら、周作しゅうさくさんに迷惑をかけてしまうので……」


 周作というのは、駆け落ち相手のことだろう。彼を気遣うような言葉から、未練が残っているようにも感じた。


 想い合っているのに結ばれないのは苦しいことだ。手助けしてあげたいと思いつつも、ただの学生である千晃には何の力にもなれそうになかった。


 重苦しい空気を断ち切るように、秋穂は顔を上げて明るく微笑む。


「アキさん、ひとつお伺いしてもよろしいでしょうか?」


「はい」


 何を聞かれるのかと身構えていると、思わぬ質問が飛んできた。


「エイデン様は、どのようなお方ですか?」


「どのようなって……」


「アキさんの目から見て、どのようなお方か教えていただけないでしょうか?」


 改めて聞かれると、返答に困る。この二ヶ月弱の間で、ウィリアムの良い面も悪い面も知ったが、一言で語るのは難しい。悩んだ末、当たり障りのない返答をした。


「素敵な男性ですよ。紳士的でとても格好良いです」


 本人には気恥ずかしくて言えないが、秋穂が相手なら素直に褒められる。千晃から感想を聞いた秋穂は、安堵したように微笑んだ。


「アキさんがそう仰るなら安心ですね。私もエイデン様に気に入っていただけるよう精一杯頑張ります」


 秋穂はグッと拳を握って、意気込みを露わにした。そこでようやく、秋穂がウィリアムの花嫁として屋敷に来たことを再認識した。


 ウィリアムが結婚するなんて考えられない。自惚れているわけではなく、自分が愛されていることは自覚している。ウィリアムは言葉と態度で愛情表現をしてくれるからはっきり分かる。つい数日前だって、ベッドの中で何度もキスをされた。


 だけど本物の花嫁が来たら、どうなるのだろう? 自分は用なしになるのではと考えると、胸が締め付けられた。


 秋穂が屋敷に来たことで、ウィリアムとの関係が根本から変わってしまうような気がした。

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