第14話 才能が花開く

 ウィリアムから翻訳の依頼をされて一週間が経過した。毎日コツコツ書き進めたおかげで冒頭二十頁の翻訳を終えた。


(これでいいのか? 結構自由に訳してしまったけど)


 ウィリアムからは感じ取ったことを素直に訳してくれればいいと言われていた。その言葉を信じて、随所でアレンジを加えながら訳していた。


 もちろん、物語の核となる部分は変えていない。意味の通じやすさとリズムを気にしながら文章を組み立てた。


(とりあえず、ウィルに見てもらうか)


 掛け時計を見ると、時刻は二十一時。流石にまだ寝ていないだろう。


 夕食と入浴は既に済ませてある。寝る前に渡すだけ渡しておこう。感想を聞くのは明日でもいい。千晃は原稿用紙の束を片手に、ウィリアムの部屋を訪ねた。


「ウィル、今いいかな?」


「構わないよ。おいで」


 促されて部屋に入る。風呂上がりだったのか、ウィリアムは白いガウンを纏っていた。あまり長居をするつもりはないため、早速本題に入る。


「依頼されていた翻訳が終わったから、見てもらおうと思って」


「終わったって、二十頁をかい? この一週間で?」


「そうだけど……」


 ウィリアムは驚いたように目を見開いている。こんなに早く持って来られるとは思わなかったのかもしれない。


 別に無理をして早く終わらせたわけではない。夢中になって取り組んでいたら、いつの間にか終わっていただけだ。


「ありがとう。早速見せてもらうよ」


「今?」


「そのつもりだ」


 ウィリアムは原稿を受け取ると、書斎机に向かって読み始めた。千晃は扉の前に立ったままウィリアムが読み終わるのを待つ。


 目の前で自分の書いた文章を読まれるのは恥ずかしい。相手が憧れの作者というのもプレッシャーになっている。


 緊張やら羞恥心やらが入り交じりながら、ウィリアムが原稿をめくる姿を眺める。実際には五分程度だろうが、とてつもなく長い時間に感じた。


 最後の一枚を読み終えてから、原稿を書斎机に置く。顔を上げた時、ウィリアムの瞳に星が浮かんでいた。


「まさか初回でここまで上手く訳してくれるとは思わなかった」


 思いがけず褒められて、呆気に取られる。扉の前で立ち尽くしていると、ウィリアムはさらに絶賛した。


「原文に忠実でありながらも、不自然にならない言い回しになっている。意味も通じるし、何よりリズムがいい。読んでいて気持ちのいい文章だ。アリシアとエイダンの出会いのシーンなんて最高だ。一目見て恋に落ちる瞬間が、繊細に描写されている。読んでいて胸が高鳴ったよ。正直、ここまで相性のいい翻訳者と出会えたのは初めてだ」


 初めて翻訳したのだから、酷評されることも覚悟していた。真逆の反応をされて驚きを隠せずにいると、こちらにやってきたウィリアムからふわりと抱きしめられた。


「君は最高のパートナーだ。これからも私の小説を訳してほしい。君以上の翻訳者は見つかりそうにない」


 突如抱きしめられたことで、顔が燃え上がりそうになる。


「大袈裟だよ! 翻訳なんて初めてやったのに」


「これが初めて? 嘘だろう? ということは、この文章力は天性のものか。素晴らしい。ますます興味が湧いた」


 抱きしめられながら頭を撫でられる。こんなに褒められたのは初めてだから、気恥ずかしくなった。


「分かったから、離して! これからも翻訳はするから」


「助かるよ。続きの原稿は明日渡す」


 ようやくウィリアムから解放されて、胸を撫でおろす。驚きはしたが、褒められたのは嬉しい。明日になれば続きが読めることはもっと嬉しかった。


「それじゃあ、今日はもう遅いから部屋に戻るね」


 千晃が部屋から出ようとすると、不意に浴衣の袂を掴まれる。顔を上げると、ウィリアムが切なげにこちらを見つめていた。


「もう戻るのか?」


 うん、と頷きかけた時、千晃は自分の役目を思い出した。前回血を吸われた時から、既に一週間経過している。


 ウィリアムの唇の端から鋭い犬歯が覗く。それで彼が何を欲しているのか分かった。


「血が欲しいんだね」


 千晃は扉の前から移動して、ベッドに腰掛ける。浴衣の合わせを左右に開いて、首筋を見せた。。


「いいよ、吸っても」


 ウィリアムは、ごくりと喉を鳴らす。瞳の奥がギラリと輝いた。


「随分誘うのが上手になったね」


 にやりと笑うと犬歯が余計に際立つ。今からあの歯に噛みつかれると想像すると、ゾワゾワとした感覚が沸き上がった。


 ウィリアムはガウンの紐を解く。肩から脱ぐと、ガウンが足もとに落ちた。鍛え上げられた裸体が露わになる。


 直視できなくなり視線を逸らして待っていると、ベッドの傍までやって来たウィリアムに押し倒された。


 直後、首元に噛みつかれる。痛みに襲われて小さく悲鳴を上げたが、すぐに別の刺激に変わっていく。千晃は声を漏らさないように、口元を押さえた。


 最初は恐怖を感じていた吸血行為も、今はそれほど嫌ではない。血を吸われている間、快楽にも似た刺激に支配されるからだ。


 だけどそれだけではない。熱の籠った瞳に捉えられ、激しく求められる感覚が好きだった。吸血衝動という理性では抗えない現象が、彼をそうさせているのは分かっている。それでも自分自身が必要とされている気がした。


 ウィリアムは血を吸いながら、千晃の頭を優しく撫でる。いつもそうだ。ウィリアムは、血を吸いながらこちらを気遣ってくれる。その度に大切にされていることを実感できた。


 意識を失いそうだけど、正気は保っていたい。血を吸われた後には、キスをしてもらえるから。柔らかい唇が触れ合う感覚も好きだった。


(そんなことは絶対に言えないけど……)


 千晃自身もキスを望んでいることを知られてしまったら、もっと激しくされてしまいそうだ。今のような軽いキスでは済まなくなる。


 ウィリアムがそれ以上の行為を望んでいることは薄っすら気付いていた。それでも踏み止まってくれているのは、千晃が学生だからだろう。あるいは正式に婚姻関係を結んでいないことも影響しているのかもしれない。


 求められているのは嬉しいが、先に進むのは怖い。ウィリアムに触れられたら、どうなってしまうか分からない。想像するだけでも身震いした。


 今はまだ、優しいキスをする関係でいい。そう心に決めながら、ウィリアムが血を吸い終わるのを待った。



第二章 完



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