第11話 羽のように優しく触れる
屋敷に戻ると、千晃はすぐさま浴室へ連行された。ウィリアムは浴槽に湯を溜めたり、タオルを準備したりと忙しなく動いている。その姿を呆然と眺めていると、こちらにやって来たウィリアムに着物の帯を解かれた。
「やめっ……一人で脱げるから」
抵抗するも、ウィリアムは放してくれない。あっという間に丸裸にされてしまった。身体は以前も見られているが、明るい場所でまじまじと見られると恥ずかしい。ウィリアムが何を思ってこんなことをしているのか分からなかった。
視線から逃れたくて、千晃はお湯を溜めている最中の浴槽に飛び込んだ。
「あっつっ……」
思いのほか湯の温度が高くて顔を顰める。ジリジリとした刺激に耐えていると、ウィリアムは呆れたように溜息をついた。
「水で冷ますから、待っていなさい」
水を加えられ適温になると、千晃はようやく落ち着きを取り戻した。両脚を伸ばしてゆっくり湯に浸かる。海水で冷えた身体がジワジワと温められた。
そろそろウィリアムが出ていくと思いきや、依然として浴室に留まっている。困惑していると、ウィリアムはシャツの袖を捲って髪洗い粉に手を伸ばした。
「髪を洗うから、じっとしていなさい」
「いいよ、自分でやる」
そう主張したものの、ザブンと頭からお湯をかけられる。海水で髪が湿っていたせいか、口に入った湯は塩辛かった。
拒む隙も与えられず、ウィリアムに髪を洗われる。指の腹で地肌を擦られるのは心地良いが、子供のような扱いをされているのは恥ずかしい。
「本当にいいって。自分でできる」
「いいから、大人しくしていなさい」
ウィリアムは頑なに髪を洗い続ける。これは抵抗しても無駄だと気付き、大人しく洗われることにした。
シャコシャコと地肌を擦る音が響く。視線を落として揺れる水面を見つめていると、ウィリアムが口を開いた。
「ああいう無茶は、もうしないでくれ」
「無茶って、海に飛び込んだこと?」
「そうだ」
自分は泳ぎが得意だから、あの程度では溺れないと思っていたが、ウィリアムに心配をかけてしまったのは事実だ。ここは素直に謝ろう。
「ごめんなさい。驚かせて」
謝罪の言葉を口にすると、髪を洗う手が止まる。見上げると、固く閉ざされていた口元が柔らかく弧を描いた。
「分かればよろしい」
指で髪を梳かされる。何度も何度も往復されて、まるで頭を撫でられているような感覚になった。されるがままにになっていると、思いがけない言葉が飛んでくる。
「だけどアキは勇敢だね。溺れた子供を助けに海に飛び込むなんて、誰にでもできることではない」
褒められるとは思っていなかったから驚いた。腹の底からジワジワと嬉しさが込み上げる。その嬉しさを後押しするように、ウィリアムは告げた。
「アキは立派な紳士だ」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が熱くなる。今まで散々女扱いや子供扱いされてきたが、ようやく男として認められた気がした。憧れの人から認められるのは誇らしい。嬉しさをお裾分けするように、千晃は笑って見せた。
「今日は色んな所に案内してくれてありがとう。楽しかったし、嬉しかった」
素直に伝えると、またしても髪を洗う手が止まる。もう一度見上げると、ウィリアムは蕩けるように表情を崩していた。
「喜んでもらえて良かった」
それは、心ごと包み込むような優しい声だった。
ザバンと頭からお湯をかけられる。千晃は顔に張り付いた髪をかき上げた。水を滴らせながらウィリアムを見上げると、彼の視線が首筋に向いていることに気付く。唇の端からは鋭い犬歯が覗いていた。その反応で、ウィリアムが何を欲しているのか気付く。
「血を吸いたいの?」
この一週間、ウィリアムに血を与えていなかった。吸血衝動が起こっているのかもしれない。千晃が尋ねたものの、ウィリアムは眉を下げ、切なげな表情を浮かべながら首を横に振るばかり。
「今日は疲れているだろう? 無理はさせたくない」
本当は血を吸いたくて堪らないはずなのに、千晃を気遣った態度を見せる。そんな反応が意地らしかった。
海に入ったことくらい大したことではない。血を吸われたって構わなかった。千晃は首を傾けて、以前付けられた噛み痕を見せつける。
「いいよ、吸っても」
ごくりと、喉を鳴らす音が聞こえる。紅玉の瞳は獣のように爛々と輝いていた。
どうやら理性が崩壊したらしい。ウィリアムは浴槽の淵をまたいで湯に浸かってくる。
「ウィル、服濡れるよ」
「構わない」
ウィリアムはスラックスとシャツが濡れるのもお構いなしに、浴槽に入る。湯の中で向き合うと、千晃を抱き寄せるように手を回した。
ウィリアムが首筋に顔を埋める。迫りくる痛みに身構えていると、不意に熱い舌が這った。
「ふわぁっ」
予想外の刺激を与えられ、ぶるりと身震いする。その直後、鋭い犬歯を突き立てられ、肉が抉られる痛みに襲われた。
ウィリアムは、千晃が逃げないようにがっちりと抱え込んでいる。最初は遠慮していたくせに、いざ噛みついたら本能の方が勝るらしい。
前回と同じなら、痛いのは最初だけだ。その後は、意識が飛びそうなほどの快楽が襲ってくる。
案の定、痛みはすぐに引いていった。歯を食いしばって声を漏らさないように我慢していると、不意にウィリアムの手が千晃の髪に触れる。血を吸いながらも、こちら安心させるように頭を撫でていた。その刺激すらも快楽を増長させていった。
湯がぬるくなってきた頃に、ウィリアムは首元から離れる。前回は意識を失ってしまったが、今回は持ち堪えた。
視界がぐらぐらと揺れていて、今にも倒れそうだ。目の前にいるウィリアムの顔すらぼやけて見える。
「ウィル……」
傍にいることを確かめたくて、千晃は両手を伸ばす。ふわふわしていると、不意に唇に柔らかいものが触れた。
ウィリアムの顔が零距離にある。触れ合っていたのは、一秒にも満たない時間だった。
身体を離してから、ようやくキスをされたことに気付く。軽く触れ合うだけの羽のようなキスだった。
頭がぐらぐらする。これは血を吸われたのが原因ではないだろう。呆けていると、ウィリアムが甘く微笑む。
「初めてだった?」
素直に頷くと、もう一度抱き寄せられた。
「可愛いね、アキは」
ふわふわとした気分のまま抱かれていると、耳元で囁かれる。
「好きだ」
まるで夢でも見ているようだ。
力が抜けていき、ウィリアムの肩に頭を預ける。触れ合う場所から伝わる熱が心地いい。目を閉じると、海の底に沈んでいくように意識を失った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます