第二章 瑛国紳士な吸血鬼
第7話 デートのお誘い
ウィリアムの屋敷に来て、一週間が経過した。その間、大学の入学式を終え、平常授業が始まった。
千晃が所属しているのは、文学部 瑛文学科だ。授業では瑛文学だけでなく、瑛国の文化や歴史も学んでいる。高等学校では学べないものばかりで、知的好奇心を刺激された。
知らない世界のことを知ることは楽しい。千晃は改めて、大学に進学してよかったと感じていた。
同級生と馴染めるか心配していたが、文学が好きという共通点からすぐに友達ができた。その中でも、千晃と同じくオリビア・アレンのファンである森下とはとくに仲良くなった。少々お調子者だが、人懐っこくて取っつきやすい奴だ。
森下だけにはこっそりオリビア・アレンの屋敷で世話になっていることを明かした。案の定、森下からは相当羨ましがられた。
授業が終わってから、森下と正門に向かう。
「小宮くん、オリビア・アレンってどんな人?」
「素敵な人だよ。いつも良くしてもらっている」
「へえー、羨ましいなぁ。あんな美しい話を書く人だから、さぞかし美人なんだろうね」
「まあ、綺麗な人であるのは間違いないね」
オリビア・アレンが男性であることは、千晃の口から明かすわけにはいかない。森下の言葉に曖昧に微笑みながら、調子を合わせた。すると森下から、にやにやと脇腹を突かれる。
「小宮くんも綺麗だし、オリビアに誘惑されるかもな」
「ゆ、誘惑!?」
千晃はバッと顔を赤くする。初心な反応を見て、森下はさらに揶揄ってきた。
「ひとつ屋根の下に住んでいるだろ? そういう空気になる可能性だってあるんじゃないか?」
「そういう空気って……」
しどろもどろになりながら視線を彷徨わせていると、森下はにやりと意地悪く笑う。その直後、耳元で囁かれた。
「夜這いでもされたらどうする?」
森下の言葉で、ウィリアムのベッドで目を覚ました日のことを思い出す。甘い微笑みと鍛え上げられた身体を思い出すと、身体中が熱くなった。
「そんなことあるわけないだろっ!」
「あっはっは! 冗談だって。そんなに怒るなよ」
森下は、腹を抱えながら笑っている。揶揄われていることに気付いた千晃は、むっとしながら早足で正門へ向かった。すると、後ろから付いてくる森下が何気なく呟く。
「まあでも、小宮くんは相当執着されているようだし、オリビアにまで手を出したら大変なことになるか」
「……執着されている? 何のこと?」
言っている意味が分からず聞き返すも、具体的なことは教えてもらえない。わけが分からないと首を捻りながら、早足で校門に向かった。
正門前までやって来ると、周囲がやけに騒がしいことに気付く。学生達が門の前で立ち止まってコソコソと話をしていた。
周囲を見渡して様子を伺うと、驚くべき光景を目にする。学生達の注目を集めていたのは、ウィリアムだった。
ダークカラーの三つ揃いスーツに山高帽、手元にはステッキが握られている。絵画から飛び出してきたような瑛国紳士に、学生達は見惚れていた。ウィリアムの顔立ちが整っていることも、注目を集める要因だ。
ウィリアムは懐中時計で時刻を確認する。顔を上げた拍子に、千晃と目が合った。その瞬間、甘く蕩けるような笑みを浮かべる。周囲に白い薔薇が咲く幻影も見えた。
「アキ」
ウィリアムは笑顔を浮かべたまま千晃に近付く。その瞬間、周囲の学生から一斉に注目された。
こんなに注目を集めるなんて、恥ずかしくて仕方がない。千晃はウィリアムに駆け寄って、手首を掴んだ。
「何してるんだ! こんな場所にいたら目立つだろ!」
千晃はウィリアムの手首を掴んだまま、ずんずんと早足で歩く。
「どうしたんだ、急に?」
ウィリアムは、瞬きを繰り返しながら千晃の後に続く。自分が何をしたのかまるで分かっていない様子だ。恥ずかしさが怒りに変わると、千晃は勢いのままに叫んだ。
「大学まで押しかけてどういうつもりだ! あんな真似されたら困る!」
入学して一週間が経過したが、ウィリアムが迎えに来ることなんてなかった。日中は仕事のはずなのに、どうして今日に限って正門で出待ちをしているのか?
声を荒げる千晃とは対照的に、ウィリアムはどこか嬉しそうに微笑む。
「仕事が早く片付いたから、アキとデートをしようと思ってね。帰ってくるまで待ちきれなくて、迎えに来たんだ」
「デート?」
聞き馴染みのない言葉に首を捻る。見上げていると、ウィリアムは甘く微笑みながら千晃の頭を撫でた。
「今日は私が、アキをエスコートしよう」
無駄に色気のある言い方をされて顔が熱くなる。口を半開きにして固まっていると、ウィリアムは千晃の髪を梳いた。
「それより、こっちの方がいいね」
「こっちって?」
「喋り方」
ウィリアムに指摘されて、自分が砕けた喋り方をしていることに気付く。大学で友人と話していた時の感覚が抜けていなかったようだ。
「も、申し訳ございません」
主人に対して話すには、あまりに無礼だった。咄嗟に謝ったものの、ウィリアムは穏やかに微笑みながら首を振る。
「謝る必要はない。今の方がずっと良い」
ウィリアムは、怒るどころか喜んでいた。そういえば以前も、かしこまった喋り方はやめてほしいと頼まれた。
「私のことも旦那様ではなく、ウィルと呼んでくれ」
それも以前言われたことだ。あの時は、恐れ多くて口にできなかったが、今なら言えそうな気がした。
「……ウィル」
名前を口にすると、ウィリアムは蕩けるように顔を綻ばせた。
「良い子だ」
ウィリアムの大きな手が、何度も頭を撫でる。子供のような扱いをされて恥ずかしいのだけれど、その手を振り払うことはできなかった。
家族からもこんな風に頭を撫でられたことはない。優しく頭を撫でる手の感触は心地よかった。胸の奥が、むず痒くて熱い。こんな気持ちになったのは初めてだ。
「アキは頭を撫でられるのが好きなんだね」
思わぬ指摘をされて、カアアと顔が熱くなる。ウィリアムは、楽しそうに千晃を見下ろしていた。
「そういうわけじゃないっ!」
千晃はウィリアムの手を振り払って、早足で歩き出した。
仏頂面でずんずんと進んでいると、角を曲がった先から唸るような重低音が聞こえる。視線を向けると、それがエンジン音だと気付く。物珍しいものを見つけて、千晃は吸い寄せられるように近付いた。
「これは瑛国式のガソリン自動車!? こんなに間近で見たのは初めてだ。凄い……格好いいっ!」
「興味があるのかい? 今日はこれに乗って、帝都の中心街に行こう」
「いいの!?」
うっかり子供のような反応をしてしまった。ハッと我に返ってから慌てて取り繕う。
「よ、よろしいのでしょうか?」
他人行儀に言い返すと、ウィリアムは口元を緩めながら紳士的に微笑む。
「もちろん。お姫様をエスコートするのに、カボチャの馬車は必要だからね」
聞き捨てならない発言に、思わず眉を顰める。
「僕は男だ。お姫様じゃない」
「ふっふっ、これは失礼。お坊ちゃんだったね」
「もう十八だ。子供じゃない」
お坊ちゃん扱いといい、先ほどの頭を撫でる仕草といい、どうにも子供扱いされている気がする。むっとした表情で訂正すると、吹き出すように笑った。
「それじゃあ今日は、アキを立派な紳士にしてあげよう」
何だよそれ、と聞き返そうとした時、運転席からスーツ姿の男性が降りてきた。ロイド眼鏡をかけた、気真面目そうな人だ。彼は千晃の前で恭しく頭を下げる。
「お初にお目にかかります。私、社長秘書を務めております
表情が乏しく不愛想な印象だが、飛び出した言葉はお茶目だった。ウィリアムは、苦笑いを浮かべながら肩をすくめる。
「タキ、君も言うようになったね」
突然、ウィリアムの会社の人が現れて身構える。千晃も慌てて挨拶を返した。
「小宮千晃と申します。よろしくお願いします」
深く一礼してから顔を上げると、滝沢からまじまじと観察されていることに気付いた。
「なるほど……。確かにお美しい。社長が夢中になるのも納得だ。これならイケる」
顎に手を添えながら品定めをされる。発言内容も聞き捨てならない。
「あの……イケるとは?」
「ああ、御心配は無用です。社長が美少年趣味だということは心得ておりますから」
「タキ、その辺で……」
ウィリアムが張り付いた笑顔で滝沢を窘める。ウィリアムの怒りを買ったことは明白だったが、滝沢は一切動揺することなく後部座席の扉を開けた。
「ささ、どうぞお乗りください。本日は私が送迎いたします」
「いいんですか?」
帝都を案内してもらうのは、どう考えても私用だ。そんなことのために秘書に送迎を任せてもいいのだろうか? 戸惑っている千晃に、滝沢はしれっと告げた。
「構いません。これでお給金が貰えるのですから」
現金な人だ。会社の人間を好き勝手使うウィリアムに呆れつつ、千晃は案内されるまま車に乗り込んだ。
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