第6話 事情聴取
ウィリアムには、吸血鬼のことや花嫁のことなど色々聞きたいことはあるが、出勤時間が迫っていることもあり、一時中断となった。
「それじゃあ、行ってくるよ」
玄関でウィリアムを見送る。ダークトーンの三つ揃いスーツを着た姿は、惚れ惚れしてしまうほど格好良い。だけど口に出すのはやめておいた。迂闊に褒めたら、また誤解を招くような気がしたからだ。
頭を下げて「いってらっしゃいませ」と挨拶をすると、ウィリアムは穏やかに微笑みながら、ぽんと千晃の頭を撫でた。
「いい子にしているんだよ」
まるで子供のような扱いをされて、千晃は苦笑いを浮かべる。触れられた頭を押さえながら、颯爽と出ていくウィリアムの背中を見送った。
吸血鬼だから日の光が苦手なのかとも想像したが、ウィリアムは朝日を避ける素振りは見せない。彼の生体については、まだよく分からなかった。
一人で考えていても仕方がない。あれこれ聞くのはウィリアムが帰って来てからにしよう。それまでは、やるべきことをこなすことにした。
大学の入学前説明会は明日だ。今日はトヨの指示のもと雑用を引き受けることにした。
「トヨさん、今日は家のお手伝いをさせてください」
千晃が申し出ると、トヨは恐縮したように両手を振る。
「いえいえ、良いんですよ。家のことは私にお任せください」
「そういうわけにはいきません。僕は書生としてこの家にやって来たんですから」
客人ではないことを主張すると、どうにか仕事を割り振ってもらえた。
「では、床のモップ掛けをお願いできますか?」
「はい! お任せください」
千晃は力強く頷きながら仕事を引き受けた。実家にいた頃も、家事をこなしていたから掃除はお手の物だ。手際の良さに、トヨも感心していた。
一階と二階のモップ掛けを終えた後は、飾り棚に溜まった埃を拭き取る。その後、庭の草刈りをすると申し出ると、トヨからはとても感謝された。
柔らかな日差しを浴びながら草刈りをしていると、清々しい気分になる。額に汗を滲ませながら、黙々と雑草を刈った。
昼過ぎにトヨと昼食をとっていると、重大なことに気が付いた。千晃の部屋には、寝床がないのだ。
「申し訳ございません! 寝室は旦那様と同じで構わないかと思っていたもので……」
「困ります! 使い古した布団でも構わないので、用意していただけませんか?」
毎晩ウィリアムと同じベッドに入るなんてとんでもない。今朝だって心臓が止まりそうだったのだから。
トヨの迅速な対応により、午後にはベッドが配達され、無事に寝床は確保できた。その後はトヨと夕食の支度をしていると、あっという間に日が暮れた。辺りが薄暗くなった頃、ウィリアムが屋敷に戻ってくる。
「ただいま、アキ」
ウィリアムは、真っ先に千晃のもとにやって来て、柔らかく微笑んだ。
「お帰り、なさい……」
気恥ずかしさを感じながらも、千晃は頭を下げて挨拶を返した。まるで新婚のような二人の空気を察してか、トヨはそそくさと帰り支度を始める。
「では、私はこれで」
トヨは笑顔を浮かべたままお辞儀をすると、引き留める間もなく去って行った。ウィリアムと二人きりになってしまい、緊張が走る。顔をこわばらせながら固まっていると、ウィリアムにぽんと頭を撫でられた。
「今日は一緒に食事をしよう」
「はいっ……」
声が裏返りながら返事をし、千晃は台所へ走った。
トヨと作ったビーフシチューを深皿に盛ってダイニングに戻ると、既にウィリアムが席に着いていた。ジャケットを脱ぎ、ネクタイを外し、シャツのボタンが二つほど外されている。かっちりした格好も素敵だが、砕けた姿もまた違った魅力があった。
ぽーっと見惚れながらも、二人分の食事をテーブルに並べる。準備が終わると、千晃も席に着いた。
味見の段階では美味しいと感じていたビーフシチューも、ウィリアムを前にしていると味が分からなくなる。ウィリアムは「美味しいね」と微笑んでくれたから、味付けには問題はないのだろうが。
緊張しながら食事を続けていると、不意にウィリアムから尋ねられた。
「私に聞きたいことがあるんじゃないかな?」
ごくん、と人参を丸のみしてしまい、苦しい思いをする。水を飲んでから。何とか持ち直した。
「はい」
素直に頷くと、ウィリアムはスプーンを置いて話をする姿勢になった。千晃も倣ってスプーンを置く。
「まずは何から聞きたい?」
ウィリアムは目を細めながら、余裕に満ちた笑みを浮かべる。その笑顔に圧倒されながらも、疑問をぶつけた。
「貴方は、人間ではないのですか?」
いきなり核心を突く質問をぶつける。それでもウィリアムは、動揺を見せることはなかった。
「昔は君と同じ、ごく普通の人間だった。一度死にかけて、悪魔と契約して、吸血鬼として蘇ったんだ。今の状態を人間と呼べるのかは、私自身もよく分かっていない」
死んで蘇ったなんて、まるでおとぎ話だ。本来であれば信じることはないが、昨夜血を吸われたことから信憑性が増す。眉を顰める千晃に、ウィリアムは自身の境遇を明かした。
「吸血衝動があること以外は、普通の人間と大差ない。伝承上の吸血鬼のように、日の光を浴びると灰になることもないし、十字架を恐れることもない。銀食器も問題なく使える」
「だから人間社会にも溶け込めているんですか?」
「そういうことだ」
吸血鬼特有の弱点がないのであれば、人間として生活できることにも納得できる。ウィリアムの言う吸血衝動が、どのようなものなのかは気になるが……。
「血を吸わないと、生きられないんですか?」
「そうだね。血を吸うことで生気を分けてもらっている。他のものでも代替はできるが、血を吸うのが一番効率的だ。生気を分けてもらえなければ、命は尽きる。要するに不死身ではないんだよ」
本で読んだ吸血鬼とは少し違う。それはウィリアムが生粋の吸血鬼ではなく、悪魔と契約した吸血鬼だからだろうか?
「血は毎日吸わないといけないんですか?」
「できることなら毎日吸いたい。だけど……」
ウィリアムは、千晃の身体をまじまじと見てから切なげに目を細める。
「そんな細い身体から毎日血を吸ったら、倒れてしまいそうだ。私はアキの命は奪いたくない」
千晃は視線を落として、自らの腕を見つめる。確かに千晃は、同年代の男性と比べたら細身だ。健康上はなんら問題ないけど、傍から見れば不健康そうに見えるだろう。
「血を吸うのは毎日でなくても構わない。そうだね……週に一度、私の寝室に来てくれればいい」
「し、寝室って……」
千晃はカアアと顔を赤らめる。今朝の出来事を思い出して、ウィリアムと目が合わせられなくなった。千晃の初心な反応を見て、ウィリアムは口元に手を添えながらくくくっと喉の奥で笑う。
「心配しなくていい。血を吸うだけだ。横になっていた方が倒れる心配もないから安心だろう?」
昨晩、血を吸われた時は、視界が霞んでふらついてしまった。最初から横になっていた方が安全であるというのというのは理解できる。だけど週に一度、寝室を訪ねるなんてふしだらな行為に思えてならない。
「そもそも、どうして僕なんですか? 旦那様には婚約者がいるでしょう? その方から血を分けてもらえば」
「駆け落ちしたそうだ」
千晃の言葉を遮って、ウィリアムが告げる。千晃は「え……」と声を漏らしながら、紅玉の瞳を見つめた。
「先ほど九条家から連絡が来て、婚約者の秋穂さんが幼馴染の男と駆け落ちをしたと聞かされた。私との結婚がよっぽど気に入らなかったようだね」
「駆け落ちって、そんな……」
婚家に嫁ぐ直前に駆け落ちをするなんて、許されるものではない。約束を反故にされたウィリアムが不憫だ。
何と声をかけたらいいのか分からずに視線を落としていると、ウィリアムは唇を緩ませて微笑んだ。
「駆け落ちをしたくなるほど、幼馴染のことを愛していたんだろうね。ドラマチックな話じゃないか」
「旦那様は、それでいいんですか?」
「別に構わない。愛のない結婚をする方がお互い不幸だからね」
随分諦めがいいんだなと感心してしまう。ウィリアムは、婚約者には特別な感情を抱いていなかったのかもしれない。彼がそれでいいのなら、千晃がとやかく言う筋合いはない。納得していると、前方から熱い視線を向けられた。
「今朝も伝えたが、私は君に興味がある。アキを花嫁として迎えたい」
真剣な眼差しに圧倒されて、言葉を失う。求められているのは嬉しいが、素直に喜ぶことはできなかった。
「だから、どうして僕なんですか?」
昨日会ったばかりだというのに、求婚されている理由が分からなかった。ましてや千晃は男だ。異国では同性間の結婚が認められているとはいえ、理解しがたかった。視線を落としていると、ウィリアムは理由を明かす。
「アキの血を吸った時、激しく心を揺さぶられたんだ。舌の上に広がる血の味や温もりに包まれた瞬間、何もかもがしっくり来た。これまで何人もの血を吸ってきたが、こんな感覚になったのは初めてだ。これはきっと、運命なんだと思う」
「運命って、大袈裟な……」
単純に若くて、健康な人間の血だったから美味しく感じたのでは、と邪推してしまう。だけどウィリアムの瞳は真剣そのもの。熱い眼差しを向けられたまま、情熱的な言葉を告げられた。
「私は君を愛したい。そして君にも私のことを愛してもらいたい」
誰かを愛すること、そして愛されること。どちらも千晃が求めていたものだ。そんな関係を築ける相手を帝都で見つけたいと思っていた。
「私は、アキのような存在を探していたのかもしれない」
欲しいものは、きっと同じだ。だけど人間なのか化け物なのか分からない存在に、身を預けるのは勇気がいることだった。
俯き加減で黙り込んでいると、ウィリアムはそれ以上迫ってくることはなかった。小さく溜息をついてから、穏やかに微笑む。
「今すぐ決断を下さなくてもいい。長期戦になることは覚悟しているからね。私は私のやり方で、アキを口説き落とす」
そう宣言すると、ビーフシチューを口に運んだ。沈黙に包まれたまま、千晃も食事を続ける。ビーフシチューは、すっかり冷めてしまった。
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