第5話 勘違いからの求婚

 さらさらと誰かが髪に触れている。指で梳くように何度も何度も。目を開くと、整った顔立ちの男が視界に飛び込んできた。


「おはよう、アキ」


 ウィリアムが甘く微笑む。千晃は眠気が一気に吹き飛んで、飛び起きた。


「あの、えっと、これはどういう状況で?」


 混乱する頭で尋ねる。周囲を見渡すと、ダブルベッドの上にいることに気付く。昨日千晃が案内された部屋とは明らかに違った。


 おまけに身体がやけに涼しい。視線を落とすと、自分が何も身につけていないことに気付いた。


「なん……で?」


 ほぼ初対面の男の前で肌を晒している。恥ずかしくなって、シーツを手繰り寄せた。そんな千晃の反応を見て、ウィリアムは悩まし気に眉を下げる。


「昨日、中途半端に脱がせてしまったからね。もう一度着せようにも着せ方が分からなかったから、全部脱がせてしまったんだ。でも安心して。血を吸う以外は何もしていないから」


 血を吸うという言葉を聞いて、昨夜の出来事を思い出す。首筋を噛みつかれたことや快楽の波に襲われて意識を手放したことを思い出すと、顔が燃え上がりそうになった。


 咄嗟に首筋に触れると、皮膚が窪んでいることに気付く。どうやらあれは夢ではなかったようだ。


「ごめんね。君の血があまりにも美味しくて、吸い過ぎてしまった。私はもう、君の血しか吸えなくなりそうだ」


 ウィリアムもベッドから起き上がる。布団が剥がれると、彼も何も身につけていないことに気付いた。鍛え上げられた胸筋や腹筋が露わになり、思わず目を逸らす。


「なんで裸……」


「ベッドに入る時は、服を着ない主義なんだ」


 めまいがしてきた。これもお国柄と片付けていいのか? とはいえ、服装うんぬんをこれ以上議論しても仕方ない。それよりも聞きたいことがある。


「昨日仰っていたことは本当なんですか? その、旦様様が吸血鬼というのは……」


「そうだ。この事実は、私と君だけの秘密だ」


「なんで、僕なんかに……」


 咄嗟に尋ねると、ウィリアムは手を伸ばして千晃の腕を掴んだ。あっという間に引き寄せられて、胸板に顔を埋める。


「君が私の花嫁だからだ」


「………………はい?」


「これからは旦那様なんて堅苦しい呼び方はしなくていい。ウィルと呼んでくれ。他人行儀な言葉遣いもやめなさい」


 花嫁。ウィリアムはそう言ったのか?


 理由を聞いても、まったく理解ができない。自分はいつから、彼の花嫁になったのだろうか?


 千晃は抱きしめられている腕を解き、ウィリアムを見上げる。甘い笑顔に圧倒されたが、気を確かに持って伝えた。


「僕は花嫁ではありません」


「なんだって?」


「書生としてこちらのお屋敷に来ました」


「書生?」


「はい。大学に通っている間、こちらのお屋敷でお世話になるというお話で」


 自分の立場を伝えると、ウィリアムは口を半開きにしたまま固まった。


「君は、九条くじょう秋帆あきほではないのか?」


「違います。小宮こみや千晃ちあきです」


 名前を口にした瞬間、ウィリアムは目を見開きながら息を飲んだ。


「花嫁じゃない?」


 ウィリアムの言葉に、千晃はおずおずと頷いた。


◇◆


「申し訳ございませんっ! 私が勘違いをしてしまったばっかりに!」


 トヨはダイニングテーブルに額を擦り付けながら、ウィリアムに謝罪する。頭を下げられているウィリアムは、困ったように笑っていた。


「トヨ、そんなに謝らなくていい。勘違いをしていたのは私も同じだ」


「ですが、よりにもよって書生さんと花嫁さんを間違えるなんて……」


 ウィリアムとトヨから説明を受けて、千晃もようやく事情を把握した。どうやら昨日、ウィリアムの婚約者である九条秋帆が屋敷にやって来る予定だったそうだ。しかし婚約者は何故か屋敷には現れなかった。


 そんな中、タイミングよく千晃が屋敷を訪ねてきたため、二人は千晃を花嫁だと思い込んだそうだ。通常であれば、婚約者を間違うことなどありえないが、婚約者とはトヨはおろか、ウィリアムですら顔を会わせたことがなかった。


 これが事の顛末だ。説明を受けてもすぐには納得できない。千晃は遠慮がちに二人の会話に入った。


「僕は男ですよ? どう考えても花嫁ではないでしょう?」


 百歩譲って千晃が女と勘違いされていたなら納得できる。しかしトヨもウィリアムも、千晃を男と認識していた。二人の顔を交互に見ていると、トヨがおずおずと答えた。


「旦那様のお国では、同性間での婚姻も認められていると聞いておりましたので」


 ウィリアムの顔を見ると、眉を下げて笑いながら頷く。


「トヨの言う通りだ。瑛国では数年前から同性間での婚姻が認められている。この国ではまだ認められていないが、私の故郷に行けば男性を花嫁として迎えることもできる」


「な、なるほど……」


 瑛国では同性間の婚姻が認められていることは知識としては持っていた。異国では同性間の結婚もスタンダードになりつつあるとも聞いている。そんな近代化の影響が自分の身にも降りかかってくるとは思わなかった。


 呆然としていると、トヨが遠慮がちに手を挙げて尋ねる。


「あの、私からも聞いてよろしいでしょうか? 書生さんがいらっしゃるのは、明後日と伺ったのですが……」


 千晃が屋敷に越してくるのは明後日の予定だった。という言い方をしているのは、状況が変わったからだ。


「お手紙で到着が二日早くなるとお伝えしたはずです。明日、大学の入学前説明会があるので」


「お手紙? 見ていませんね……」


 ウィリアムも首を振って見ていないと主張する。呆気に取られていると、トヨは何かを思い出したかのように、ダイニングテーブルに置かれた手紙の山に手を伸ばした。一枚ずつ差出人を確認していると「ああっ!」と大きな声を上げた。


「アキさんからのお手紙、ありました! 今朝、配達されたようです!」


「今朝だと?」


 ウィリアムがトヨから手紙を奪って確認する。千晃も立ち上がって覗き込むと、差出人に「小宮千晃」と記されていた。


「今朝届いた……ということは、手紙より先に僕が来てしまったんですね」


 千晃は脱力するように椅子に座り直す。函方から帝都は距離が離れているが、郵便物の到着がここまで遅れるとは思わなかった。途中で何か不手際があった可能性も考えられる。


 千晃の到着が早まることが二人に伝わっていなかったことも、花嫁と勘違いされる要因になっていたようだ。


「誤解があったことを今更嘆いても仕方がない。それよりもこれからのことを考えよう」


 ウィリアムが話の舵を取ったところで、千晃もトヨも彼に注目する。ウィリアムは紅玉の瞳で、真摯に千晃を見つめた。


「私は小宮千晃を花嫁に迎えたいと思う。昨晩、手を出してしまったからね。きちんと責任を取りたい」


「なっ……」


「あらあら、まあまあ」


 ウィリアムの発言を聞き、千晃は真っ赤になる。その隣でトヨは口元を隠しながら、恥じらうように二人を見つめていた。誤解をされているのは明白だ。


「手を出したなんて、おかしなことを言わないでください!」


「事実じゃないか。首元の刻印が何よりもの証拠だ」


 千晃は咄嗟に噛み痕に触れる。確かに昨晩は、首に噛みつかれて血を吸われた。手を出されたと言われれば出されたのだけれど、その言い方だとおかしな誤解を招く。


 反論しようとしたものの、ウィリアムが目を細めながら口元に人差し指を添えていることに気付く。その仕草がやけに色っぽくて、千晃は言葉を失った。


「情事の内容を他人に喋るのははしたないよ」


 またしても誤解を招く言い方だ。血を吸ったことは喋るなと言われていることは伝わったが。反論することも許されず、千晃はもどかしさを感じながら俯いた。


 今後どんな顔をしてトヨと接すればいいのか分からない。恥ずかしさで俯いていた千晃だったが、トヨは別の心配をしていた。


「ですが、九条家との婚約はよろしいのですか?」


 トヨの言う通りだ。ウィリアムの意向がどうであれ、婚約は決まっているのだ。千晃を花嫁にするなんてできるはずがない。


 トヨの心配を余所に、ウィリアムは涼し気な顔で答えた。


「昨日来るはずだった婚約者は、連絡もなしに約束をすっぽかした。それだけじゃない。これまで一度も私と顔を会わせることもなかった。先方が結婚に前向きではないことは明白だろう。愛のない結婚だ」


「ですが、今回の結婚は旦那様のお仕事にも影響しているのでは?」


「そんなものはどうとでもなる」


 ウィリアム本人は、九条家との婚約にあまりこだわっていないように思えた。


 二人の会話を聞いていると、ウィリアムと視線が交わる。その瞬間、ベッドの上で見せた時と同じように甘く微笑みかけられた。


「私は本物の花嫁よりアキに興味がある。アキだって、私のことが好きだと言っていたじゃないか」


「そんなこと言った覚えは」


「いや、確かに聞いた。二回もね」


 確かに好きと口にしたが、そういう意味ではない。


「あれは、オリビア・アレンの本が好きという意味で!」


「オリビアも私だ。物語に登場する人物も、全て私の分身のようなものだ」


 にっこりと微笑みかけられながら指摘されると、何も言い返せなくなる。黙り込んでいると、ウィリアムは椅子から立ち上がり、千晃の前に跪いた。椅子に座っている千晃の手を取ると、穏やかに微笑みながら告げる。


「アキ、私の花嫁になってくれないか?」


 突然求婚されて、千晃の心臓は暴れまわる。


 人から求められ、愛されるのは嬉しい。これまで誰からも愛されることがなかったのだから、こんなのは願ってもいないことだ。だけどその手を取る勇気は、今の千晃にはなかった。


「僕はまだ、学生の身分なので」


 視線を落としながらおずおずと答えると、ウィリアムは深く溜息をついた。


「そうか。ならば君を正式に娶るのは、卒業まで待つとするよ」


 その言い分から諦めたわけではないことを察する。紳士的に振舞っているけど、内心ではかなり執念深いのかもしれない。狙った獲物は逃がさない。そんな圧さえ感じていた。

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