第八話 映画館の夜と懐かしい思い出

半年前からチェックしていた映画が今週やっと放映になり、僕はるんるん気分で映画館に来ている。


「やはり、映画は夜に限るね」


「そう?」


君が寝起きの顔で空返事をする。

映画館に来る車内で寝ていたから、まだ頭が起ききらないのだろう。


「そうだよ。なによりも、レイトショーで安いしね」


仕事終わりでそのまま来たので、格好がスーツなのが少し気にはなるところだけど、明日は休みだから、レイトショーで映画の終わりが遅くなっても問題はない。

屋上には車を止めたので、下りのエスカレーターに乗る。


「まだ、開場まで三十分ぐらいはあるから余裕だね」


「先にチケット買うんでしょ」


「当たり前です」


映画においての席の位置はかなり重要である。

個人によって見えやすい席は違うとは思うけれども、僕は断然中央より少し後ろ側の真ん中の席がお気に入りである。

前に行きすぎると、見えにくい気がして、映画に集中できない。

それに、今日見る映画はホラーだから、あまり前だと、ほら、怖いし。


「一人でホラー映画観れないのに、よく観に行こうと思うよね」


「別に観れないわけじゃない、一人の時は観ないだけ」


でも、ホラー映画を観にくるのは辞められない。

絶対に観たら帰りの道のりが怖くなるのは分かっていても来てしまう。

エスカレーターを降りた目の前が映画館の入り口になっている。


「子供の頃は、映画館と言えば、近くの公民館か、ビルのような建物だったけど、今は大型ショッピングモールに入ってるのが多いよね」


映画館入り口で、後ろを振り返ると、家族連れなどが、左右にある店で普通に買い物をしているのが見えた。


「昔の映画館は、一度チケット買えば何回でも観れたよね?」


「そう? こっちは完全入れ替え制だったけど?」


「君の住んでいた街は僕の住んでいた街よりも少しだけ都会だったからね。僕の街では、朝にチケットを買えばそのまま夜までいても怒られなかったよ。子供向けのアニメなら尚更ね」


最高五回同じ日に観たことがある。最後は流石に寝たけどね。

チケット販売機でチケットを二枚買う。

今はチケットの発券も機械が行ってくれるので便利だ。座席もタッチで決められるし。


「パンフレット買ってもいい?」


僕は映画を観にきたらパンフレットを買わないと落ち着かない性格だ。

買っても見ないから意味がないと言われることもままあるが、映画のキャラクターの名前や関係性など、映画が始まる前にパンフレットで確認しておきたいのだ。

ショップに行くと、結構な量のグッズが売られていた。


「キーホルダーはわかるけど、ホラー小説のノートってどうだろうね。この手の商品って売っているのはよく見かけるけど、実際に使っている人は見たことないよね」


「会社に持って行ってみれば?」


「丁重にお断りするよ。誰かにツッコミを入れてもらえればいいけど、一日使ってて誰にも何も言われなかったら、泣くかもしれない。しかも、その確率がかなり高いから困る」


パンフレットを一冊手に取りレジに持っていく。


「千二百円になります」


薄い割に結構な値段である。

全ページカラーではあるが、この薄さにしてはかなりお高い設定だと思うんだよな。

買うけどさ。


「さて、トイレでも行きますか」


映画の前にはトイレ、これは基本である。

映画の途中でトイレに一度立ってしまうと、映画の世界から離脱してしまうことになる。

映画の世界観に浸っていたのに、トイレという現実に引き戻されて、もう一度戻っても世界観に浸るまでにまた時間がかかってしまう。

だから、僕は映画の前は出ても出なくても、個室に篭るのである。


「君の方が先にトイレから出ると思うけど、椅子に座ってていいからね」


「もう、慣れてますのでお気遣いなく」


「ではでは」


僕と君は二手に別れてトイレへと足を進める。


「うーん、いつ来ても綺麗だねえ」


本当に惚れ惚れしてしまうほど、ここのトイレは綺麗である。

西洋風の作りと言えばいいのか、落ち着いた雰囲気の中に、ある種の気品を感じる。

僕は一番奥に二つドアが開いた状態の個室の右側に入ることにした。

ドアを閉めて、ズボンを下ろす。

ここで、さっき買ったパンフレットを袋から取り出すのだ。


「さて……」


ここで、パンフレットに書かれている内容を食い入るように読む。

CMで何度か見ているシーンが大きく貼られている。これだけでも怖いから困る。

あれだな。主人公の後ろから猿ぐつわしているオッさんが逆立ちしながら追ってくるのをこんなに怖く表現できる監督も中々いないだろうな。


「ふむふむ」


エンディング曲を歌うのが、この映画に全く似合わないバンドなのはちょっと気になる。

音楽番組で、リーダーの人が『この曲はこの映画をイメージして書きましたウエイ』みたいなことを言っていたけど、どうなんだろう。

ホラー映画で初恋を切なく歌ってたんだよなあ。

どう考えても人選間違えてる気がする。

大体こんなタイアップって映画よりもバンドが先に決まるんだろうな。

そこに大人の事情諸々が入るからこんなことが起きるんだよ。

パンフレットを全部読み終えたので、袋に戻し、ズボンを履き、個室から出ると、次に待っていたと思われる中年の男性が急いで個室に駆け込んでいった。

こんな時には少しばかり、申し訳ない気持ちになる。

トイレから外に出ると君は椅子に座っていてコーヒーを飲んでいた。


「待たせて悪いね」


「売店で何か買ったら入場開始になると思うよ」


「そうだね」


レジの前に来ると、キャラメルの甘い香りが漂ってきた。


「ポップコーンセットのMお願いします。味は塩で、飲み物はウーロン茶で」


君に続いて僕が注文を伝える。


「僕も、同じもので、ポップコーンの味はチーズで」


店員さんがポップコーンに溶けたチーズをかける。

この体に悪そうなポップコーンが好きでたまらない。

代金を支払って、劇場の入り口に向かう。


「あのさ、また昔の映画館の話に戻るんだけど、昔の映画館の中の売店ってポテトチップス売ってた?」


「売ってない。売ってたとしても買わないでしょ? あれ、食べてたらかなり音するし」


「だよね。やっぱり僕の街の映画館がおかしかったのか」


映画が終わると、劇場内の席の下にポテトチップスのカスが落ちてたのが記憶に残ってるんだよな。

劇場の入り口でチケットを渡し、半券を受け取る。


「六番スクリーンです」


入って左側の六番スクリーンへと向かう。

中には僕たち以外は誰もいないらしく、大音量のファンシーなキャラクターが映画の注意点を話しているムービーが流れている。

半券を見ながら自分達の席に座り、スクリーンを観る。


「でもさ、場所が変わっても、やっぱり席に座ると、こう、気分が高揚してくるよね」


「あー、わかるわかる」


子供の時と何も変わらない、この気持ちを言葉に表すことは出来ないけれど、きっと何歳になっても変わらないんだろうな。

ブザーが鳴り、照明が暗くなる。

劇場の中には僕たちしかいない。


「貸切だね」


「贅沢な気分だ」


流れ始める映画の予告編を観ながら、僕はポップコーンに手を伸ばした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る