29話
内心バクバクしながら、返事を待つ。
しかし、いつまで経っても返答はなかった。
(どうしよう、やっぱり間違っていたんだ……やっぱり、無理にでも怖かったとか泣きつくべきだったか?)
ぐるぐるとパニックに陥っていると、ふっと笑い声が聞こえた。顔をあげると、玄沢が穏やかな表情で微笑んでいた。
「今は、いい。それで十分だ」
ふいに背中に温かいものを感じた。大きな手にぐいっと背を押され、気がついたらきつく抱き締められていた。
「……陽向、会いたかった」
耳元に、玄沢の温かい吐息を感じる。
「本当に、本当に心配した。新聞を取りに行ったっきり、まったく戻ってこないし、気になって行ってみたら、ポストの中身は散らばっているし……心臓が止まるかと思った。気がついたらリエさんたちの店やら、アパートやら、がむしゃらに駆けずり回っていて……普段は近づかないようにしているヤクザの組員とも接触して、お前の情報を買ったり——」
声は徐々に掠れていき、最後の方は囁きのようになった。
「お前の気持ちが、ようやくわかったよ……確かに、パニックになったら周りなんて見ている余裕なんてないな……ごめん、こんなに遅くなってしまって……」
「違う! 玄沢さんが謝ることじゃないっ! 俺だって、玄沢さんに——」
会いたかった。そうだ。会いたかったんだ。
今になってようやく、わかった。
どうして、自分はこんな簡単な言葉さえ忘れてしまっていたのだろう。一人で気張って生きていくうちに、こんな簡単な気持ちでさえ素直に言葉にできなくなるほど頑なになっていたのか。
陽向は玄沢の背中に腕を回し、抱き締め返した。胸いっぱいに玄沢の匂いが広がる。二人の心臓はトクトクと音が交じり合い、やがて一つになった。
——安心する。
陽向はピンと張りつめた自分の神経が、徐々に落ち着いていくのを感じた。
「あ、あの、おとりこみ中、すみませんっ……!」
地下牢につづく扉の隙間から、ボンレス君がおどおどと顔をのぞかせた。後ろには頭の上でだらりと手を組んだ海斗もいる。
玄沢が眉をしかめた。
「おい、そいつを外に出すなって——」
「す、すみません。でも誠吾さんの指示なんです。何でも時間だそうで、海斗さんも一緒に連れて来いって」
ボンレス君は、携帯と陽向を交互に見た。陽向がハッとしてガラス戸を見ると、丁度明けかけの朝日が差し込んでくるところだった。
くそっ。思わず舌打ちをした。
海斗に引っかき回されたせいで、誠吾に何と報告するかまだ考えていない。
自分の言葉に、海斗と自分の全ての運命がかかっているのだ。上手くやらないといけない。そう思えば思うほど、プレッシャーで頭が爆発しそうになる。
「話は、誠吾から少しだけ聞いている」
玄沢がグイッと肩を掴んできた。
「ここは俺が何とかする。俺の話なら、誠吾も聞くかもしれないしな」
「お、お二人はどうゆう関係なんですか?」
ボンレス君が好奇心には勝てず、恐る恐る聞いた。玄沢は「あー」と言って、手で首の裏を掻いた。
「探偵になる前、雪人(ゆきと)——友人の事故の調査中に知り合ったんだ。その頃の俺は調査の右も左もわからず、とにかく警察の捜査資料を手に入れようと躍起になっていた。そこへ誠吾が手下を連れてやってきた。『これ以上、嗅ぎ回ったら命がないぞ』と。何でも、雪人の相手だった男は、松葉組の遠縁だったらしくてな」
「で、それで?」
ボンレス君が興奮ぎみに急かした。
「断った。真実を知るまで、止めないと。そしたら、急に誠吾が笑いだしてな。『そうゆうのは嫌いじゃない』と。それ以来、何かと俺の担当する事件にちょっかいをかけてくるようになったんだ。しまいには『お前が真実を知るのが早いか、俺が組の頭になるのが早いか、競おう』とか言ってきたり」
「ははぁ~噂にきいたライバル関係っていうのは、本当だったんですねぇ~」
感心するボンレス君の隣で、陽向が聞いた。
「でも、大丈夫なの? そしたら今回のことは、あの人に借りを作ることになるんじゃない?」
「大丈夫だ。お前はそんなこと心配しなくていい」
玄沢はにこりと微笑んでみせると、
「誠吾のところに案内してくれ」
と、ボンレス君を促した。通りすがり際、ポンと肩を叩いてくる。
「陽向、お前はここで大人しく待ってろ。いいか、絶対に暴れるんじゃないぞ」
ふいに陽向の胸の中に、黒い染みのような不安が広がった。
この人は危ない。いや、危うい。
玄沢は周りの人を何が何でも守ろうとするあまり、自分の全てを投げ打ってしまう。
果たしてそれは、玄沢にとっていいことなのだろうか?
「ちょっと待って!」
去って行く広い背中を呼び止めた。玄沢が不審そうに振り向く。
「どうした?」
「どうしたもこうしたもない! 玄沢さんは何でそうなんだ!」
「そうって……?」
「そうやって他人の責任まで、しょいこもうとするところだよ!」
陽向は拳を握り締め、叫んだ。
「雪人さんのことだって、そうだ! 必要以上に彼の死をしょいこんでいる! 玄沢さんのせいじゃないのに! あんた、前に言ってたよね!? 雪人さんが今でもあの雪山に閉じこめられているみたいだって。でも、違う。本当に閉じこめられているのは、あんたの方じゃないのか!」
「……何だって?」
玄沢の眉が、不穏に歪む。
陽向は一瞬ひるんだが、言うのを止めることはできなかった。
パニックのせいでも怒りのせいでもない。言わなきゃいけないと思ったのだ。
「あんた、散々、俺に言ってたじゃん!? 『頼れ』だの『甘えろ』だの。それは俺も同じだよ! 確かに俺は、玄沢さんに比べたら頼りないし、頭に血がのぼりやすい。でも俺だって、あんたが間違った方向に行こうとしていたら、全力で止めたいと思う! あんたが未だにあの雪山に閉じこめられているなら、全力で俺が連れだしてやるっ! いつだって、何度だって!」
「ぎゃー、ヤバイッ! 陽向、カッコイイ!」
後ろで、海斗が不気味な黄色い声をあげた。それを無視して、陽向はキッとボンレス君を睨みつける。
「連れていってくれ。これは俺の問題だ。俺がどうにかしなくちゃいけない」
ボンレス君はしばらく、玄沢と陽向をおろおろと見ていたが、やがて、
「こっちです」
と歩きだした。
「うふふふ。俺、一生陽向についていくぜ!」
後ろから、海斗が腕を組んでくる。
「うざい」
と突き返すが、懲りずスキップで後ろをついてくる。
ボンレス君の背中についていきながら、陽向はちらりと後ろを見やった。
玄沢はガラス戸からもれる日を背に、呆然と床を見つめていた。
ずくりと胸が痛む。
せっかくここまで助けに来てくれたというのに。「俺の問題だから!」と大見得きって、玄沢を拒否してしまった。
人を助けること——探偵業は、玄沢にとって存在意義に等しいのに、それを拒否してしまった。
(……もしかして、俺たちの関係も、ここで終わってしまうかもしれない……)
でも、後悔だけはするまい。
海斗の時のように何も気づかないふりをして、うやむやにはできない。そうゆうのは止めようと、玄沢に会って決めたのだ。他人の期待に応えようと相手に合わせ、自分をすり減らす恋愛など、もうこりごりだ。他人の存在に自分の身を委ねるのは、もうやめなければ。
何よりも、玄沢とは対等でいたい。
どちらか一方が寄りかかるのではなく、甘えたり甘えられたり、頼ったり頼られたり、一人の人間としてそういう関係でいたい。
ただ迷惑をかけて守られるだけの存在なんて、嫌なんだ。
陽向はぐっと前を向き、ボンレス君のあとに付いて歩を進めた。
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