28話
(もういい。もう何でもいいから、早く終わってくれ!)
こうなりゃ、死なばもろともだ。
誠吾(せいご)の言葉ではないが、身体を張って海斗の急所——もとい真実を掴み取るしかない。
時間が差し迫っている今、自分に残された道はこれしかないのだ。
ここまできたら、何だってやってやる!
ハハハ、自暴自棄バンザイだ!
乾いた笑いが喉元まで出かかった、その時。
『次、何かあったら、必ず俺に知らせてくれ。たとえどんなに怒って、パニックになっていたとしても。一瞬でいい。俺のことを思い出してくれ』
ふいに、玄沢の声が甦ってきた。ハッと顔をあげる。
やっぱり駄目だ、こんなの。
海斗と自分はいつだって、色んなことをセックスでうやむやにしてきた。
今こそ、今だからこそ話し合わなくてはいけない。
「海っ——」
声をあげようとした時、ガンッと大きな音がし、格子の壁が大きく揺れた。
「——そこのゲス男。今すぐ、陽向から離れろ」
地響きのような低い声がして顔をあげると、格子の隙間から、誰かが牢を足で蹴り上げたのが見えた。
大きくて広いシルエット。
「……玄沢さん」
今にも泣き出しそうな声がでてしまい、陽向は自分自身で驚く。
「おい、聞こえなかったか!? その汚い手を、早くどけろっ!」
再び、玄沢が格子を蹴り上げた。そのまま壊れるんじゃないか、と思うくらいの衝撃音が反響する。
「……は、はいっ!」
海斗は慌てて、陽向の尻から手を離した。陽向はすぐさまチノパンをひきあげると、格子の向こうを見やった。
玄沢は、それだけで人を殺せそうな剣幕をしていた。
目は血走り、額にも青い血管が浮いている。頬もこけ、無精ひげも伸びていた。
「陽向、出ろ」
玄沢が顎で扉を示した。
「え、でも……」
「いいから、早く出ろ!」
「い、いえっさー!」
慌てて跳び行く。扉の前で、玄沢がボンレス君に手を差し出していた。
「鍵をだせ」
ボンレス君はブルブル震える手で萎縮したモノをしまいながら、かぶりを振った。
「で、できません。誠吾さんがここからは出すなと」
「いいから、出せと言っているんだ!」
怒号が、狭い牢の中に轟く。玄沢は荒い息を収めると、一言一言ゆっくりと言った。
「ただ陽向と話をするだけだ。誠吾の許可はとってある。でなきゃ、ここまで入ることもできないだろう」
ボンレス君は納得して——というより、恐怖に負けて、鍵を渡した。
ガチャリと、牢の鍵が開く。
格子扉が開かれると同時に、玄沢の腕が伸びてきた。引っ張られるまま、陽向は牢から出る。
「いいか。謝花を一歩たりとも外に出すなよ」
通りすがり際、玄沢がボンレス君に鍵を投げる。
「は、はいっ……!」
と、ボンレス君は鍵を受け取るやいやな最敬礼をした。
「やばい……誠吾さんよりも怖いかも」
土牢の扉が閉まる寸前、そう呟くボンレス君の声が聞こえた。
地下牢への階段をのぼった先には、白木造りの長い廊下が続いていた。
天井から下げられた行灯が、奥まで連なる白い障子を照らし出している。庭に面したガラス戸からは、ライトアップされた庭園からもれる光が差し込んできていた。
「玄沢さん? ——痛ッ」
廊下に出た途端、階段口のすぐ横にある壁に背中を押しつけられた。玄沢の掌が、陽向の顔の横にバンッと叩きつけられる。
間近に迫ってきた玄沢の目は感情が見えないほど真っ黒で、陽向をジッと見下ろしてくる。陽向はどうしていいかわからず、視線を彷徨わせた。
「えっと……どうして、玄沢さんがここに……? ってか、何で俺のいる場所が……?」
「お前がアパートで血を見つけた時から、何となく検討はついていた。だから諜報のために動いていた組員と接触して、お前のことを聞き出したんだ」
玄沢の声は、淡々としたものだった。
「え? じゃぁ、もしかして誠吾さんに俺の情報を教えたのって……」
「俺だ。お前が詐欺とは無関係だということも構成員たちに言い含めておいたが……正直、うまくいかなかったみたいだな」
陽向の乱れたシャツを見て、玄沢が眉を歪めた。そして再び、視線を上に上げる。
「……陽向、俺に何か言うことは?」
きた、と陽向は思った。
一体、自分は何と言えばいいのだろう?
「連絡しなくてごめんなさい」と謝ればいいのか?
「今回、俺は悪くない」と弁解すればいいのか?
それとも、「怖かった」と抱きつけばいいのか?
考えてもわからなかった。
一体、玄沢はどれを望んでいる?
考えるんだ。
他の奴に対しては、簡単にできたことだ。ベッドの中でのように、相手の望んでいるものを汲んで、先回りしてサービスすることくらい何てことはない。
もしここで、自分が玄沢の期待しているものを与えることができたら、この場はまるく収まるはずだ。
そしたら、きっと玄沢も自分を気に入ってくれる。離れないでいてくれる。一緒にいてくれる。
(……いや、違う)
そんなことしなくても、この人は自分を見捨てたりしない。たとえ相手が自分の意に反したことをしたとしても、思い通りにいかなかったというだけで離れていくような人ではない。
——自分の悪い癖だ。価値あるものだと思ってもらえるように、人の期待にばかり応えてしまいそうになるのは。
でも本当に大事なのは、相手の希望じゃない。自分の素直な気持ちを言うことだ。
「玄沢さん」
陽向は、そろそろと相手を見上げた。
自信はない。でも、これだけは言いたかった。
「助けにきてくれて、ありがとう……本当に、嬉しい……」
今の自分には、そう言うだけで精一杯だった。
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