20話
「……それは違うっ!」
陽向は一歩、踏み出した。同時に隣の柳桜の枝から、どさりと雪が落ちる。
「玄沢さんは、ちゃんと向き合っている! バーやクラブにいる人たちも、みんな言ってた! 玄沢さんに助けられているって。依頼人の人たちもそうだ! みんな玄沢さんに恋しちゃうほど、玄沢さんに助けられた! それって、玄沢さんが彼らの気持ちに寄り添って、真っ正面から彼らを守ってきた証拠じゃないか! 俺の時だって、そうだ。依頼人は海斗のはずなのに、俺なんかにまで手を差し伸べてくれて……絶対に、普通の探偵はここまでしないよ!」
「……ありがとう」
玄沢は、顔をしかめて笑った。
「でも俺がこんな話をしたのは、慰めてもらいたい訳でも誉めてもらいたい訳でもない。俺はただ——」
一歩、一歩、玄沢が近づいてきて、その足下にある雪がキュッキュッと鳴く。玄沢の目は真っ直ぐに陽向に向けられ、一時もぶれることはなかった。
「俺はただ、お前を守りたいんだ。もう二度と、雪人のように誰かを失いたくない。危険なところにいる奴を、ただ見ているだけなんてできない」
陽向は、大きく頷いてみせる。笑おうとしたが、上手くできなかった。
「やっぱり玄沢さんは、みんなのヒーローだよ。みんな、あんたに感謝している」
「違う。もちろん、誰であっても俺は止める。それが俺の仕事——信念、いや贖罪だから。でもお前は——……」
玄沢が、陽向の前で立ち止まる。じっと見つめてくるその瞳は、深く澄み渡っていた。
「お前は特別だ。絶対に失わせはしない」
あまりの真剣な表情に、思わず口が先に出てしまう。
「特別? それって特別に面倒くさい客ってこと?」
「お前は、どうしていつもそうやって大事なことを茶化すんだ?」
静かにたしなめられて、せせら笑いが引っ込む。玄沢が躊躇いがちに肩を掴んできた。
「間違っていたら訂正してくれ。お前は、俺のことが好きだろう……?」
急に、頭の上にどかっと雪が降ってきたような衝撃を覚えた。
「へっ、へっ……!? いつから気がついて!?」
しまった、と思った時には遅かった。これでは、認めたも同然ではないか!
くすりと、玄沢が笑う。久しぶりに見る、痛みのない本当の笑顔だった。
「昨日、俺のこと、じっと見ていただろう? その時、そうじゃないかと感じた」
「へっ……!?」
さすが探偵、としか言いようがない。まさか、玄沢への恋心を自覚した、まさにその瞬間を言い当てしまうなんて。
パニックに陥っていると、玄沢が手を伸ばしてきた。親指が、雪でしっとりと濡れた陽向のまつげを拭う。
「この目がな……」
「目?」
「あぁ、お前がその手のことを考えていると、この目がキラキラ輝くんだ。比喩じゃなく、本当に。それが何とも言えない不思議な色で……全て、何もかももっていかれそうになる」
玄沢はわずかに腰をかがめると、陽向の瞳をのぞき込んだ。
「俺はこの目に見つめられると、どうも自分が抑えきれなくなる——」
「くろ——」
玄沢の唇が、陽向のものに重なる。冷たく湿ったそれは、二人の体温と相まって徐々に温かくなる。
「俺はもう、黙って待つなんてことはしない」
しばらくして唇が離れた時、玄沢の声にはもう何の躊躇いもなかった。
陽向は自分の心臓がバクバクいう音がうるさくて、相手の言っていることをまともに聞くことができなかった。
でも今だけは、聞き逃してはいけない気もした。
「陽向。俺は、お前が好きだ」
玄沢の一言に、息が、時が止まる。
どこかで朝鳥が飛び立つ音がした。
緑がさわさわと揺れ、雪が震えるように落ちる。
むせかえるような百合と、抹香のにおい。
柳桜の蕾から、透明な滴がキラキラと反射し、玄沢の肩に落ちる。
息をひそめないと失ってしまいそうなほどの一瞬の景色。
何でもないこの景色が、全部意味のあるものようにうつった。
十年後、二十年後——たぶん自分はこの時の光景を、昨日あったことのように鮮やかに思い出すことができるだろう。
「陽向? おい、陽向?」
玄沢が、肩を掴んでくる。不安気に陽向の顔をのぞき込む。
「おい、もし間違っていたなら、謝る。だから、怒るな? いいか、ここは墓地だぞ!」
玄沢は辺りを見回して、陽向が投げれそうな手頃な墓石がないかどうか確認し、ほっと息を吐いた。
慌てたその様子がおかしくて、陽向はプッと吹き出す。玄沢の顔が一瞬にして、赤く染まる。
「くそっ、どうしてお前は、こうも心配ばかりかけさせるんだっ……!」
「心配? 呆れてるんじゃなくて?」
「はぁぁ!? お前は一体、何を見ていたんだ? 心配しているからこそ、こんなに怒ったり、慌てたりっ……!」
玄沢は綺麗に整えた髪をぐしゃぐしゃと掻き回した。
「言っておくがな、俺はもっと冷静な人間なんだっ! なのに、お前を見ていると感情の制御ができない! さぞかし、お前は俺のことを滑稽で情けない男だと思っているだろうな! いくら言っても頼ってこないのは、そういうことだろう!」
「へ? 何言ってるの? 情けないのも滑稽なのも、俺の方で——」
一拍もしないうちに、陽向はたまらず腹を抱えて笑いだした。
「あはは! もしかして俺たち、意外と似た者同士なのかもなっ!」
「おい、バカを言うな。俺はお前ほど、短気でも、暴力的でもない」
「俺だって玄沢さんほど、寝起きがひどくも、強引でもない!」
玄沢がむっと顔をしかめた。目を細めると、さらに一歩、近づいてくる。反射的に下がった陽向は、自分の背中に桜の幹の固い感触が当たるのを感じた。
「……で、返事は?」
からかいを含んだ黒い目が、間近でのぞき込んでくる。
「返事?」
「告白のだよ。俺の一世一代の」
「そ、そんなの、あんたにはお見通しだろう? ホームズさん?」
「いいや、あくまで推理だよ、ワトソン君」
陽向は、これみよがしの大きなため息をついた。
「そう……じゃぁ、これが真実だ」
陽向は玄沢のネクタイを掴むと、相手の唇を自分のそれでふさいだ。
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閲覧いただき、ありがとうございます!
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