19話


「いや」

玄沢は首を振った。続く言葉を探しあぐねたのか、横目で陽向を見る。

「でも、お前にはわかるだろう?」


黙っていると、玄沢がふっと白い息を吐いた。

「雪人がもし言ってくれたら、俺には受け入れる準備はできていた。でもそれは恋愛感情からじゃない。雪人は一生に一度会えるかどうかわからない、大切な友人だった。この関係を保つためなら、俺は何だってした。もし、あいつが本当に望むなら、寝てもいいとさえ思った。それであいつをつなぎ止められるのなら、安いものだと。それくらい大事だった。家族のような存在として。……たぶんこれも、お前が謝花に持っている〝情〟の一種なんだろうな」


「……あんなに否定していたのに?」

「認めたくなかったんだ。俺はこの感情を、恋愛なのだと必死に思いこもうとした。雪人のためにも。雪人は、そんな俺の気持ちを薄々わかっていたのだろう。だから、何も言い出してこなかった。それでも、あいつの気持ちだけはひしひしと感じていた。その上で、俺からは何も言わなかった。あいつが苦しんでいるとわかっていても、今の関係が保たれるなら、それに越したことはないと思っていた」


いつの間にか風がでてきて、線香の煙をかき消していく。気温が一段と下がった大気はピンと張りつめ、吐き出す息はいよいよ白く染まった。


「……そのうち」

玄沢が、ポツリと呟いた。

「雪人は一人の男と付き合い始めた。同性愛者が集まる出会い系サイトで知り合ったと言うから、『危ない』と忠告したんだ。でもあいつは、『ゲイっていうのは、運命の相手と道端でばったり出会ったりはしない。こうゆうところで探すしかないんだ』と笑っただけだった。俺は何も言い返せなかった……あいつを生殺しにさせている引け目があったから、特に」


ふっと、玄沢の口から長い息が吐き出される。


「……初め、あいつは幸せそうだった。相手の男は年上のシステムエンジニアで、真面目でまめな性格だったらしい。『自分の全てを受け止めてくれる』。そう言う雪人の言葉が自分への当てつけのように感じられて、俺はそれ以上、男のことを聞くのは止めてしまった。……そのうち」


玄沢の背中が、ぶるりと大きく震えた。寒いのだろうか。わずかに見える玄沢の横顔は、血の気が通っていないかのように白く強ばっていた。


「……そのうち、雪人の様子がおかしくなった。しきりに携帯を気にしたり、俺とも距離をおくようになった。最初は『何でもない』と笑っていたが、問いつめるとあいつが異常なまでの束縛を受けていることがわかった。相手の男はかなり嫉妬深い性格で、雪人が他の男と話すのも禁止、決まった時間に電話にでなければ、ところ構わず雪人にきつく問いつめた。時には折檻まがいのこともあったらしい。見ると、雪人の手首には何重もの痣があった。俺は何度も、別れろと言った。それでも雪人は、受け入れなかった。『いつもはいい人なんだ』と言って」


クッと、冷笑が寒空に響く。


「いくらゲイに出会いが少ないとしても、あれよりいい男なんてたやすく見つけられるだろう。だけど、その時の俺には、雪人のことがよくわからなくなっていた。あの男のせいで、毎週のように行っていたキャンプにも行けなくなって久しかったし……無理矢理別れさせようにも、そんな権利、俺にあるのかと思ったらわからなかった。こんな中途半端な気持ちの俺が、雪人を受け止められるかも……当時の俺には、自信がなかった……」


玄沢が、両手の中に頭を埋めた。はらはらと舞い落ちる雪が、その肩、頭に静かに降り積もる。

陽向はそれを払ってあげたい衝動にかられたが、身体が動かなかった。ただじっと相手の背中を見つめる。


「俺は……全部を知っていながら、危ういところに向かおうとする雪人を、ただ見ていることしかできなかったんだ。——そして、あの事件が起こった」


玄沢はわずかに顔を上げ、指の間からじっと墓を見つめた。


「雪人と束縛男の遺体が見つかった。冬の雪山で」


長い沈黙のあと、玄沢はほとんど面倒くさそうに言った。


「警察は、ネットで知り合った者同士の集団自殺だと判断した。当時、そうゆうのが、世間でも流行っていてな。でも俺は信じなかった。雪人は殺されたんだと確信した。あの束縛男に。二人の体内からは精神安定剤が見つかった。警察は『死への恐怖をまぎらわせるため』としたが、あの薬は睡眠導入剤──いわゆる睡眠薬の代わりとしても使われているものだ。たぶん男は雪人にあれを盛って、自殺とみせかけて殺したんだ。雪人を、完全に自分のものするために」


「……警察は、知っていたの? 二人が付き合っていたことを?」

陽向は、躊躇いがちに聞いた。


「いや、関係を悟られるようなログは全部消去してあったし、二人が会うのも家や別荘が大半で、人目を気にしてほとんど外に出るようなことはなかったらしい。それで何が『全部受け止めてくれる』だ」


喉で短く笑い、玄沢は拳を握り締めた。


「二人の関係を知っていたのは、本人たちと俺しかいなかった。だから俺は、すぐさま警察に向かった。もしここで俺が言わなかったら、雪人は永遠にあの冬の雪山に閉じこめられたままな気がして……俺は警察で、もう一度事件を調べなおして欲しいと訴えた。だが警察は拒否した。それどころか『仮にお前の言っていることが本当だとしても、男同士の痴情のもつれに関わっている時間はない』とさえ言われた」


陽向は何と言っていいか、わからなかった。警察には、今だ旧弊的な考えを持つ者も多い。まともな同性愛者なら、何かあっても警察に頼るのは最後の最後の手段だ。


「愕然としたよ。俺は今まで生きてきて、あそこまで露骨な差別を受けたことがなかった。同時に恐ろしくなった。自分も仲間だと思われたらどうしようと。完全に否定できるのかと。友情のために男と寝てもいいと思った俺は、本当にストレートなのか。俺は、逃げた。雪人と俺の関係を聞かれる前に、逃げ出した。怖かった。自分がゲイかもしれないと認めることも、認めて同じような差別を受け止める覚悟も、あの時の俺にはなかった」


玄沢は陽向の方を振り返り、ふっと笑った。その目元には、深い皺が刻まれていた。

「……俺はどうしようもなく弱いんだ。お前と違って」


陽向はふるふると首を振る。

「違う。俺だって強くない」

「いや、お前は強い。少なくとも俺よりは。お前はいつだって、何があろうと真っ正面から堂々と戦ってる。自分自身とも」


玄沢は、墓に視線を戻した。


「後日、雪人の葬式が行われた。あいつの両親は泣いていた。絶対に、あの子は自殺するような子じゃないと。俺は決めた。せめて俺の手で、あいつの死の真相を調べようと。それからすぐに勤めていた会社を辞め、事件のことを色々と調査し始めた。そのうち、LGBTにも理解がある警察や弁護士の一部とつながりができ、彼らが表だって調べることのできない事件を代わりに調べることになった。そうしているうちに固定客もできてきて、俺は正式にLGBT——主に、ゲイ専門の探偵となったんだ」


玄沢がくるりと振り返り、陽向と向かい合った。疲れきった顔に、自嘲の笑みが広がる。


「人は俺のことをヒーローヒーローと言うが、絶対にそんなものではない。俺はただ、全てから逃げてきたんだ。雪人から、束縛男から、警察から、差別から、そして自分自身から……。探偵は、その『逃げ』の結果にすぎない」



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