15話


(そうだ。俺は玄沢さんが好きなんだ)

自覚した途端、想いが雪解け水のように、どっと湧いてくる。


(……玄沢さんは、俺のこと、どう思っているんだろう?)

目の前で、何も知らずお茶をすすっている男を見やる。


玄沢はストレートだ。みんながそう言っているし、本人も否定していない。


けれど昨日の物置部屋での一件や、今朝のキスのこともあり、もしかしたら、これは自分が頑張りさえすればどうにかなる問題なのかもしれないとまで思ってしまう。


たとえ欲求不満にしろ寝ぼけていたにしろ、嫌いな相手にあんなことはしない……はず。


(となると、まずは現状を好転させないと。今までは散々、情けないところとか怒りっぽいところとか見せちゃったから、これからはもっとスマートで落ち着きのあるところをみせて、好感度を上げて……あ、映画とかに誘ってみるのもいいかな? 玄沢さんはどんなジャンルが好きなのだろう? やっぱミステリーとかか?)


駅前で、玄沢と待ち合わせする場面を妄想する。玄沢はいつものスーツではなく以前のようなラフな私服で、あの少し子供っぽい笑顔で手を振ってきて……。


(うぅ~やばいっ! かっこいいんだろうなあ~!)

にやにやが止まらない。


玄沢は海斗に負けず劣らず——いや、ある意味、海斗以上のいい男だ。自分の見た目にあまり頓着しないことを差し引いても、仕事柄、身体は鍛えているし強引なところはあるが、海斗とは比べものにならないくらい真面目で理性的だ。年ならではのダンディな色気もある。


(ん? ちょっと待てよ)

ぶっとんでいた意識が、急に現実に戻る。

(今日って、もしかして、ここで二人っきり……!?)


雪がしんしんとふる静かな夜。閉じこめられた二人。

何が起こっても不思議じゃない状況だ。


意識した途端、体温が急上昇した。爆発寸前の心臓が喉元までせり上がってくる。ギシギシと雪の重さでしなる枝の音が、やけに大きく聞こえた。


(ぎゃあぁ~! このまま、このまま、どうなっちゃうんだろうかっ……!)

心の中で手足をバタバタさせていると、


「さてと」

玄沢が立ち上がり、ソファにかけてあったコートを手にとった。

「俺、そろそろ帰るから」

「……へ?」

「だから、自分のマンションに帰るんだ。これ以上、雪がひどくなる前に」


玄沢は、テキパキと説明をし始める。

「ユニットで良ければ、あっちに風呂はある。着替えはサイズが小さいのを適当にだしておくから。それと腹が減ったら、そこの冷蔵庫から好きなもんとっていいし、水場の下にインスタントとかも多少ストックしてある。質問は?」

「あ、いえ……ないです」

「了解。戸締まりはしっかりしろよ。じゃ」


足早に玄沢が出ていく。しばらく呆然としていた陽向は、見送りのために慌てて玄関へ駆け込んだ。

「陽向」

ドアが閉まる直前、玄沢が何かいい忘れたように隙間から顔を覗かせた。


真剣な表情に、一瞬ドキリとする。が、返ってきたのは、ときめきもへったくれもないものだった。

「いいか。バカなことだけはするなよ」

念を押すかのような厳しい声。そのまま、ドアはパタンと閉まった。


しーん。沈黙が部屋を満たす。


「……ふ、あはははっ……!」

乾いた笑みが、腹の底から飛び出した。


(そうだよ、そうだよなっ!)

自分の滑稽さに、笑うことしかできなかった。


何てバカな勘違いをしていたんだろう。

玄沢が自分に優しいのは、それが仕事だからだ。自分に気があるわけじゃない。もし自分が他の依頼人だったとしても、きっと同じことをしていたはずだ。

なのに、何で自分だけ特別だと思ってしまったのだろう。


いや、ある意味、自分は特別なのだろう。特別に「面倒で煩わしい客」の一人。それこそ「バカなことするな」と釘を差ささないといけないくらいの。

(くそっ、何が好感度だ! もう救いようがないくらい下がっているというのに!)


「……はあぁぁぁ」

頭を抱えて、その場にへたり込んだ。両手で顔を覆う。

「……やばい、辛すぎる」


好きだとわかった途端に失恋なんて……。

だが、これはこれで良かったのかもしれないとも思う。


これ以上想いが大きくなって傷が深くなる前に、気づくことができて。

あの恋愛感情を抱いていなかった海斗の時でさえも、こうしてずるずると関係を続けてきたがゆえに、こんなに傷ついているのだから、ここで現実を知ることができただけでも幸運だ。


「よし!」

ゴシゴシと目元を拭い、勢いよく立ち上がった。


——決めた。しばらくの間、恋はするまい。

心の中で決意をする。


今の陽向に一番必要なのは、平穏な生活だ。刺激もない代わり、暴力も裏切りも衝動もない、平凡で安全な生活。

それを手に入れるためだったら、恋愛だって排除してやる。恋は貯金と神経と生活をすり減らすだけの、大いなる災いだ。


「そうだ! 俺は大丈夫! 何ともないっ! 寝て起きたら忘れているはず!」

そう大声で叫びながら、陽向はドシンドシンと寝室に向かった。


深夜二時。

陽向はソファに寝そべり、頭の後ろで手を組んで、窓の外を眺めていた。あれから何度寝ようと試みたが、結局無理だった。


外では、粉砂糖のような雪が音もなくしんしんと降り積もっていく。

ずいぶん遠くまで来てしまったな、と思った。東京に来て初めて雪を見た時も、同じようなことを思ったのを覚えている。


灰色の空。ネオンにけぶる街。星のない夜。見渡す限りのビルとコンクリート。

何もかもが、あの故郷の空や海や太陽とは違う。


ふいに、寂しさと懐かしさが胸にこみ上げてきた。

(もう、帰ろうかな……)


東京に来て、かれこれ十年。自分はよくやった方だ。

確かに、故郷に自分の帰るべき家はもうない。けれど、またあそこで一からやり直せばいいじゃないか。

アパートでも借りてお金を貯めて、どんなに小さくてもいい。おばあがやっていたみたいな店を開く。


そうして、一人で生きていくのだ。

誰にも頼られず。

誰にも頼らず。

一人で。


そうだ、それがいい。そうしよう。


ちんと寒さでつまった鼻をすすった時。

ルルル……。

テーブルの上の携帯が鳴った。メールだったのか、音はすぐに鳴り止む。


(ったく、こんな時間に誰だよ)

渋々、携帯を手に取る。液晶画面には、二時四十分の文字。

どうせチェーンメールか何かだろうと思いながら、メール画面を開く。


差出人の名前を見て、息が止まった。

自分で見たものが信じられず、目をこすってもう一度確認する。


見間違いではない。

海斗からだった。


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閲覧いただき、ありがとうございます!


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