13話


玄沢は、詐欺事件のことについて詳しく話し始めた。

その間、何度か店のドアがカランと開き、遅番のホステスたちが「おはようございまーす」と入ってくる。

外では雪が降り始めたのか、ドアが開く度に雨まじりの白いものが隙間から入ってきた。


「いやな天気ね」

話が一通り終ったあと、ママがドアの方を見て眉をひそめた。

「そういえば……そろそろかしら? あの子の命日」


問うてくる視線を避けるように、玄沢は自らの手元を見下ろし、

「……ええ」

とだけ答えた。


「ねえ」

と、ママがホステスたちにもみくちゃにされて、ジンのボトルをあおっている陽向を横目で見た。


「助手を雇ったってことは、貴方にとっていい傾向だと思ってもいいということかしら?」

「どうゆう、意味ですか……?」

「貴方は、やり過ぎるってくらいよくやっているわ。そろそろ重荷を軽くしてもいい頃じゃない? 今の貴方は雪の王国に住む王様みたいに過去の殻の中に閉じこもって、出てこられなくなっている」

「それは……美しすぎる表現ですね。でも……俺は、そんなんじゃない」


玄沢は乾いた笑みをもらした。

目を閉じれば、今でも鮮明に思い出す。


雪山。横殴りの風。雪に埋もれた車。冷たい身体。白い顔。閉じたまま開かない瞳。

玄沢は、ぐっと瞼に力を入れた。


「あ、あれ、君はっ!?」

陽向のよく通る声が、フロアから上がった。店先のドアから入ってきた人物を指さし、パクパクと口を開閉している。


「あれ、あんた……もしかして、海斗君の正妻!?」

ミニスカートに黒タイツ、ブーツを着た女性が陽向を指さし返す。


「ちょ、誰が正妻だよ!」

キレる寸前の陽向の声を聞き、玄沢が立ち上がった。

「ちょっと失礼します」

ママは片手を上げて頷く。


「どうしたんだ? 彼女が一体……?」

玄沢はホステスたちの人垣を分け入り、陽向の肩を掴んだ。陽向はぶるぶる身体を震わせていて、勢いよく相手を指さした。


「この子、あの時——玄沢さんがうちに来た時に、海斗がアパートに連れ込んでだキャバ嬢だよ! 玄沢さんだって見ただろう!?」

「え、いや……俺がお前の怒声を聞いて駆けつけた時は、お前たち以外は誰も……」

「フラー(くそっ)! そうだった! こいつ、いいところでとんずらこいたんだった!」

「ちょっと、リスクを回避したって言ってくれない?」


キャバ嬢は、ウェーブのかかった髪をくるくると指でいじった。

「それに私、キャバ嬢じゃないしぃ」

「え……キャバ嬢じゃないって……?」


陽向は辺りを見回して、驚愕の表情を浮かべた。

「もしかして……男ぉっ!?」

「当たり。ただし、下だけだけどね」


キャバ嬢——確か、セナちゃんと海斗が呼んでいたホステスは、挑発的にスカートの盛り上がっているところに手を這わせた。

「で、海斗の正妻が一体、何の用よ? もしかして、私と海斗の件で訴えにきたの? 探偵を雇ってまで?」


セナはちらりと玄沢に見て、チッと舌打ちをした。

「言っておくけどね、あれは一回だけの成り行きだから。というか、正妻がいるならそう言って欲しかったわ。あいつの言葉、真に受けなくて良かった」

「だから、正妻じゃないし!」


「キャー! キャットファイトだわあ!」

周りのホステスたちが、やいやいと囃し立てる。セナちゃんもすっかりその気なようで、いかにも愛人というような小悪魔的な笑顔を浮かべた。


「えぇ、そうなの? まぁ、あんたたちは身体の相性は悪かったみたいだしね? 海斗があ、浮気に走ってもしょうがないといえばしょうがないかぁ」

「……? 相性が悪いって……?」

「あれ、知らなかったの?」

セナちゃんは、ふふんと鼻で笑った。


「あいつね、フェムドム趣味があるみたいなの。私の時も最初はストレートのふりして、『君が本当の女になったらヤりたい』とか言ってたくせに、私のイチモツが立派なのを見た途端、急にやる気になっちゃって。私の友達のキャバ嬢も──あ、こっちは真性の女よ。その子も一回、海斗とヤったらしいんだけど、ペニスバンドつけてくれって言われたらしいわよ。ほんと、変態よね、あの男」


「フェムドム、趣味……?」

セナが下卑た目で、陽向をじろじろと眺め見た。

「その驚きようを見ると、やっぱあんたの方がネコ役だったみたいね。どう? 彼氏が、女や女装家にホられてヒーヒー言ってるドM変態男だってわかった感想は?」


陽向は絶句した。

海斗がホられて、ヒーヒー?

フェムドム趣味のドM変態男?

いや、まさかそんなはずはないと自分に言い聞かせる。


海斗は浮気症こそ普通ではないが、行為自体はいたって普通だ。

気分と雰囲気に流されて海斗ともった肉体関係のうち、海斗は女性の方が好きなそぶりも、ホられたいというそぶりも一度も見せたことがない。むしろいつもあっちの方から積極的に迫ってきていたのに。


(……でも、それは違ったのか?)

もしかして海斗は陽向が欲求不満であることに気がついて、お情けで気乗りのしないセックスをしてくれていたのか?

それこそ、養ってもらっているヒモが、身体で義務を果すかのように?


ドカーンと大きな爆弾が頭に投下された気がした。


——屈辱だ。


海斗に情けをかけられていたことも屈辱だし、それを他人から知らされるのも屈辱だった。

穴があったらどこまでも埋まって、違う世界に転生したい気分だった。いや、そんな悠長なことは言っていられない。今すぐ巨大な掘削機を借りてきて、あのアパートごと砂塵に帰したい。そんな気分だ。


「おい、大丈夫か?」

玄沢が肩をぐっと掴んでくる。そうしないと、陽向が店中のグラスを叩き割っていくんじゃないかと考えているみたいに。


「大丈夫だよ」

陽向は自分でも意外なほど、落ち着いた声で答えた。

数秒前までは怒りが大気圏に達しそうだったが、玄沢の存在のおかげか何とか正気を保っていられた。


セナに向かって、微笑んでまでみせる。

「あいつがドMだろうと、フェムドム趣味だろうと、俺にはもう関係ないよ。あいつとは、もう別れた——というより、もともと付き合っていなかったんだ」


「え……?」

意外にも、声を上げたのは玄沢だった。肩におかれた相手の手の力がゆるむ。

ふんとセナは、つまらなそうに鼻を鳴らした。

「まぁ、何にせよ、私には関係ない話だわ。海斗とはあれから一回も連絡取れないし」


「そのことなんだが」

玄沢が慌てて陽向の肩を引いて、代わりに自分が前に出た。

「謝花(じゃばな)が、どこに行ったか知っているか?」

「謝花? あぁ、海斗のことね。いいえ。知らない。何で?」

「失踪したんだ」

玄沢がきっぱり言った。


「君と会った次の日にね。どこに行ったか知らないか? もしくは行きそうなところとか?」

「知るわけないでしょ。なりゆきで寝ただけなんだから。でも、そういえば、何かあいつ、焦っているみたいだった。早く金を作らなくちゃとか、逃げなくちゃとか……」

「逃げる……? 一体、何から?」


陽向は、玄沢と顔を見合わせた。


「さあね。正妻からじゃない? キレると手がつけられないって言ってたし」

「なっ、誰が……!」


「話は変わりますが——」

玄沢がセナから陽向を守るように——いや、陽向からセナを守るように、立ちふさがった。

「失礼を承知で聞きます。貴方は性転換手術を近々、受ける予定は?」


陽向をイーッと下を出してからかっていたセナが、驚いたように玄沢の方を向いた。

「えぇ、あるわよ。今はホルモン注射だけだけど、そのうち下も」

「その費用は?」

「十代の頃から、毎月積み立てている分があるから」

「……それを、謝花氏に話しましたか?」


セナは、誇らしげに豊かな胸を張った。


「もちろん。だってこの話をすると、たいていの男は私のこと、派手だけど根は真面目ないい子って思ってくれるから。落としたい男にはいつも言っているわ。特に海斗は、あの顔にあのスタイルでしょ? 何が何でもヤりたくてね」

「それで、謝花氏は何と……?」

「名刺を渡されたわ。安くていい医者を知っているから、どうかって。前金が必要だとも言っていたけど、それを差し引いても、本当に安くてね。ついつい、その気になっちゃって。海斗ったら、余ったお金で結婚式をあげようとかいうもんだから余計に……」

「結婚式? 奴がそう言ったんですか?」

「そうよ。今考えると、あんまりにも急すぎて笑っちゃうけど、なんて言うか、あの甘い顔と声で言われると、逆らえなくてね……」

「で、渡したんですか?」

「金を? いいえ。渡さなかったわ」

「なぜ?」


セナは、にやりと笑った。

「あいつ、私のサイズがいたくお気に召しちゃったみたいでね。ヤったあとは、何も言ってこなくなったわ。これを無くすのがもったいないって思ったんじゃない?」


「ちょ、ちょっと待って……!」

陽向は、玄沢の肩を掴んだ。嫌な予感が全身を駆け巡る。

「一体、何の話……!? 見えてこないんだけど!?」


玄沢は陽向の手を静かに下ろすと、ママのいるボックス席に近づいた。懐から取り出した一枚の写真を、テーブルの上に置く。

「ママ。至急、繁華街の全店舗に確認をとってもらいたんです。この男が詐欺被害者の店に来たか、もしくは個人的な付き合いがあったか、どうか」


「わかったわ。確認してみる」

ママは灰皿で煙草をもみ消し、写真を手に取った。陽向はすぐさま彼女の背後に回り込み、写真をのぞき見た。


沖縄の青い海を背景に、かりゆしウェアを着てキザなポーズをとる男。

写っていたのは、間違いなく、海斗だった。



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