12話




「いてて」

玄沢は額を押さえた。起きた時からどうもズキズキすると思ったら、額の中心が赤くなっていた。

ため息とともに、車のフロントミラーから視線を外す。


冬返りの気温のせいか、数日前の雪はいまだ溶けず、舗道のわきに高く積みあがっていた。

天気予報によると、近いうちにまた大型の低気圧が都心を直撃するらしい。


シートベルトをかけ、ギアをかけようとした丁度その時、バックミラーにうつった影を見て玄沢は再びため息をついた。

「おい、出てこい」

車から降り、腕を組んだままドアに身体を預ける。


「……うわっ!」

短い悲鳴のあと、電信柱の後ろからバケツがコロコロと転がってきた。大雪の時にどこかの民家から飛んできたものだろう。

しばらくして、同じところから陽向が姿を現した。


「や、やあ、偶然だね」

あくまでしらを通す気の陽向は、明後日の方向を見ながら手を上げていた。

玄沢は肩でため息をつき、大股で陽向に近づいていく。


「一体、どうゆうつもりだ?」

「いやぁ、バレないかと思って」

「バレないかと思って? いっとくが、初めからバレバレだぞ。まったく、どこの世界に探偵を尾行する依頼人がいるんだ」

「やぁー自分の雇った探偵がどこまで優秀か調べるには、これに限ると思いまして……」


バレバレの言い訳に玄沢は上がりそうになる声をこらえ、こめかみを押さえた。

「……仕事は? 休んだのか?」

「半休をとったんだ。有給も結構たまっていたから、いい機会だしまとめてとっちゃった」

「いい機会?」

「うん、海斗を探すのにいい機会」

「ほう?」


静かに睨み付けてくる玄沢に、陽向は素直に頭を下げた。

「ごめん。騙すつもりはなかったんだ! 今だって一人では行動していないでしょ? 我ながら良い考えだと思ったんだよね。玄沢さんを尾行すれば、一人で行動したことにもならないし、かつ海斗を見つけられる」


玄沢から漂う険悪なオーラに気がついて、陽向は慌てて話題を変えた。

「で、何か収穫あった? 俺のアパートを調べていたんでしょ?」


玄沢は怒鳴りつけようと開けた口を、努力のすえ閉じた。そして、いつもの冷静な探偵の口調で言う。あくまで表面上は。


「アパートには、何の痕跡も残っていなかった。住人に聞き込みもしたが、今のところ質屋のトラックを見かけた者以外、目撃者はいない。あの男のことだから、すぐに見つかると思っていたんだが」

「確かに、海斗がここまで鮮やかに逃亡できるとは、ちょっと驚きかも。あいつって目立つから。ほら、ぶっちゃけ、見た目だけは相当いいし? どこにいて何やってても誰かしら目に留めているんだよ。俺もあいつの外見だけは気に入って——」


ギロリと睨まれ、

「……はい」

と口を噤む。


玄沢はため息とともに、首をさする。

「とにかく、近隣の質屋を当たってみることにする」


玄沢は陽向に視線をやると、不服そうに尋ねた。

「……一緒に、来るか?」

「え、いいの!?」

「あぁ。知らないところで、暴れられるよりはずっといい。近くで監視していた方が、俺としても安心だし」

「俺は猛獣か何かか?」

といいつつも、心の中では「よっしゃ!」とガッツポーズをしていた。


「じゃ、さっそく?」

「いや——」

玄沢はかぶりを振った。


「実は、ちょっとこのあと、もう一つ調べることがあってな」

「あ、もしかしてもう一つの依頼の方? 詐欺事件だっけ?」

「あぁ、お前も来るか?」


陽向は、目を丸くした。

「え、いいの? 俺、そっちとは無関係だけど……」

「あぁ。でないとお前、今すぐにでも質屋に行こうとするだろう」

玄沢がにやりと笑った。これには、さすがの陽向も肩を竦めることしかできなかった。



「きゃあ~ん! 玄沢さ~ん!」

店に入った途端、黄色い──というより、野太い声が響き渡る。雪崩のように、ドレス姿のホステスたちが玄沢の周りを取り囲んだ。


「久しぶりぃ~! もう寂しかったあんだからあ!」

「中々こっちに来てくれないんだもん! あたしたち、玄沢さんに相談したいことたくさんあったのに!」


まだ開店前なのか、ホステスたちは、派手なドレスに化粧っけのない半女半男の姿だった。

──『カルメン・レディ』。

繁華街一の女装バーであるここには、女装した男、もしくは一部が男のホステスたちが働いている。


コの字型のボックス席が並んだ店内は、まるで高級クラブのような雰囲気だ。噂では時折、芸能人や政治家たちがお忍びで来ているとか。


「あら、この子は……?」

ホステスの一人が、玄沢の後ろにいた陽向に気づいた。キャーと、他のホステスが色めきたつ。

「やだ、カワイイ! お肌、真っ白!」

「あっ! もしかして、リエさんが言っていた玄沢さんの助手って!?」


「え、や……待っ——」

助けを求めて隣を見ると、

「まぁ、そんなものだ……」

と、玄沢は渋々呟いた。陽向は後ろからその腕を引く。


「ちょっと、玄沢さん、何言って……!?」

「しょうがないだろう。ここで捕まったら、話が長くなる」


「ちょっとお、なに、二人でこそこそしてるのよお」

玄沢は、にこやかに顔を上げた。

「いや、何でも。それよりママはいるかな?」


「ここにいるわよ」

フロア奥にあるステンドグラスをあしらった扉から、着物姿の女性が現れた。

桜舞う訪問着に、燕が刺繍された名古屋帯。微笑んでいるような、苦み走っているような独特な表情は、普通の女性にはだせない乾いた色気を含んでいた。


「お久しぶりねぇ。玄沢さん」

「ご無沙汰してます。ママ」

玄沢はすくりと背を伸ばし、お辞儀をした。ママは頷き、ちらりと陽向の方を見る。

「あぁ、その子ね。貴方が〝ヤリ部屋〟からお姫様だっこで運んだっていう子は」


後ろで、ホステスたちがギャーと叫ぶ。

「えっ、ちょっと待ってママ! それ、本当っ!? やばい萌えるんですけど!」


大興奮中のホステスたちは無視して、玄沢はママに半笑いで向き合った。

「さすがの情報網ですね。ママ」

「あら、このくらい朝飯前よ」

ママは目を細めて、真っ赤な唇に手をやった。


仮に『ケンタウロス』のリエを〝名相談役〟とするなら、ここの『カルメン・レディ』のママは、〝名情報屋〟といっていいだろう。繁華街一の店であるここには、連日、多くの情報が集まる。加えて、ママはここら一帯を締めているヤクザの頭ともつながりがあるとか。


「で、貴方が来たってことは、何か事件なのね?」

ママが優雅に手でボックス席を示した。玄沢はお辞儀をしてから座る。陽向も続こうとして、手で制されてしまった。


「お前は、あっちのお姉様方に遊んでもらえ」

「えっ、ちょっと、何言って——」

戸惑う陽向を、嵐のようにやってきたホステスたちがかっ攫う。


「さあさあ、ぼうや! 私たちと仲良く遊びましょうねえ!」

「ちょ、ぎゃー! 玄沢さん、助けてっ!」


玄沢は手を振って見送ると、正面のママに向き直った。

「それで、聞きたいことなんですが……」

「いいわ、何でも聞いて頂戴。私の教えられる範囲ならね」


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