05-12/情報家電に恋の理解は難しい-その12

 あの時もそうだった。走りながら秀人は思い返す。


 小学校の時、マリナは急に転校してしまった。学校で何か言いたげに自分の方を見ていたマリナを、秀人は強烈に覚えている。そして次の日からマリナは学校に来なくなり、数日後に担任教師が本人のいないまま転校を告げたのだ。


 あの時、何もできなかった自分を秀人は悔いていた。それは川端もよく知っている。しかし秀人がマリナに拘る本当の意味を川端は知らない。


 マリナの急な転校は両親の不仲が原因だと知ったのは秀人が中学に入ってから。そしてマリナの父と同じ会社で働いていた自分の父に、その原因があると知ったのもその時だ。その結果、マリナの父は会社を辞め、新たな職場を求めてアメリカに渡り、マリナの母は日本国内の実家へ一時戻った。マリナはその母に引き取られたのだ。


 マリナの家庭を、幸せを壊してしまったのは、自分の父親、俺の親父だ。だからこそ、俺は親父を許さない。マリナに対してその責任を果たしてやらなければならない。秀人はそう考えていたのだ。


「セプティ、バスの時間は!?」


 学園内にあるバスの停留所が見えてきたところで秀人はセプティに尋ねた。


「最短時間であと約五分。但し運行は一分三〇秒ほど遅れている」


「くそ、こんな時に……!」


 その時だ。目の前を一台の自転車が通りかかった。乗っているのは顔見知りの一年生男子。


 名前は何と言ったか……。思い出せない秀人は適当に呼びかけてみた。


「おい、鈴木、佐藤、高橋!」


 相手は秀人に気付いたようだ。自転車を止めて振り返る。


「なんだ、湯川じゃないか。いい加減、人の名前を覚えろよ。俺は長谷川だって」


「ああ、そうか。長谷川か。いいところであった。自転車貸してくれ」


「はぁ? 俺、これから帰る所なんだけ……」


 返事を待たずに湯川は長谷川から自転車を奪い取る。


「協力感謝する!」


 秀人の剣幕に恐れをなしたのか、長谷川は不承不承ながらも自転車のサドルから降りた。


「壊すなよ!」


「問題ない。壊しても研究所部の科学力で改造してやる」


「いや、そういうのいいから!! 改造とかしなくていいからちゃんと返せよ!!」


 長谷川の声を背中に受けて秀人は自転車を漕ぎ出した。


「サイクルナビモードに入った」


 秀人の頭にしがみついたセプティがそう言った。


「マリナの家まで最短時間でもっとも安全に到着するルートをナビする」


「それは有り難い! さすがは最新情報家電だな」


「バスの路線通りだと遠回り。学園の門を出たら右に曲がりそのまま直進。今の時間、商店街を通るのは危険だから、その前に国道沿いに出る」


「分かった! 振り落とされないように注意しろセプティ」


「セプティは注意する」


 セプティは秀人の髪にしっかりとしがみついてそう答えた。


◆ ◆ ◆


 セプティのサイクルナビによりバスよりも早くマリナの家に到着した。秀人は自転車を止めるのももどかしくマリナの家の門扉を開ける。


 小学校の頃はよくマリナの家にも遊びに行ったが、高校に入ってから尋ねるのは初めてだ。


 ドアホンに指を伸ばしながら秀人は、マリナの母にどう挨拶したものかと思案していた。技術科肌の父親はともかく、マリナの母親は余りそういうものには興味が無く、小学校の頃の秀人は苦手にしていた覚えがあるのだ。


 今にして思えば、江崎家の不和に至る伏線はそこにも有ったのかも知れない。だがそれを決定的にしてしまったのは自分の父である事は間違いない。


 親父があんな事をしなければ……。マリナの父から量子感情回路に関する画期的なアイディアを盗用しなければ!


 マリナの父はマールムコーポレーションを追われる事など無かったのに!


「返事が無い」


 頭上でセプティがそう言った。秀人は自分でも意識せぬうちにドアホンのボタンを押していたようだ。そしてセプティの言うようにドアホンのスピーカーは沈黙したままだ。


 まだ戻ってきてないのか? それともどこかに寄っているのか?


 気ばかり焦る秀人は落ち着いて考えをまとめる事ができなくなっていた。そんな秀人をセプティがフォローする。


「マリナの部屋あたりに人の気配がある。体温、身長などから推測しておそらくマリナ本人。マリナの部屋にはドアホンの端末が無かったので、気付いてない可能性がある」


 秀人の目の前に身を乗り出すようにしてセプティが言った。


「そうか。じゃあ気付いていないのか」


 ドアをノックしようとした秀人は、何気なくノブを掴んでみた。簡単に回る。鍵はかかってないようだ。幼馴染みとはいえ、数年間、付き合いが無かった家だ。普通なら躊躇するところだが、秀人は反射的にノブを回してドアを開いてしまった。こうなるともう後には引けない。秀人はそのまま玄関に入り、声を挙げた。


「マリナ! マリナ、いるんだろう!!」


 実際には一秒もなかっただろう。しかし秀人にはマリナの返事が戻ってくるまで、何十分にも感じられた。


「え、なに? 秀人!? なにしに来たのよ!?」


 相変わらず大きな声でそう答えるが、さすがに戸惑っているようだ。


「セプティもいる」


 秀人の頭上でセプティがそう言った。


「ちょっと待って。まったく、お母さん、また鍵かけ忘れて……。ええ、あ。あれ、きゃっ!?」


 マリナの部屋の方から小さな悲鳴が上がった。


「マリナ!?」


 秀人は靴を脱いでそのまま家に上がる。


「マリナの部屋はそこ」


 一度、家に来ているセプティの指示で秀人はマリナの部屋に飛び込んだ。


「どうした、マリナ!!」


 部屋の中には段ボール箱が散乱していた。どうやら積んであったものが崩れてしまったようだ。声がしたのは確かにこの部屋だが、肝心のマリナの姿が見えない。

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