05-05/情報家電に恋の理解は難しい-その5

「あの、江崎さん」


「は、はい!!」


 また何か言われるかと思い、マリナはまだ手に持ったままのティーカップを慌てて隠そうとした。しかし大江が話しかけたのはその件ではなさそうだ。少し真剣な顔で大江は言った。


「あの、例の件ですけど……」


「あ……」


 それだけでマリナは何のことだか分かったようだ。少し戸惑うように視線を逸らせながら答えた。


「聞いてましたか」


「ええ、まぁ。それも生徒会の管轄ですし」

 大江はそう言うと研究所部の部員たちを見回した。そんな大江が何か言う前にと、マリナは慌てて口を開いた。


「ええとまだ決定じゃないんですよ。いずれあたしの方からも正式な報告をしますから」


 ん、なんだなんだ?


 二人の会話の意味が分からず、秀人たちは当惑した視線を交わし合う。大江はマリナがこの話をあまりしたくないと悟ったようだ。すぐに切り上げる。


「分かりました。それではまた後ほど……」


 そう言って大江は執行部員を引き連れて部室から出て行った。


「マリナ、あの話って……」


 そう尋ねようとした秀人だが、マリナの顔を見て後の言葉を飲み込んでしまった。マリナは目を合わせようとはせず、その表情は明らかに何か問われる事を拒絶していた。さすがに秀人と言えども、これではうかつな事は言えない。


 しかしそんな秀人以上に空気の読めない人間が部室内にはいた。


「あ~~、あれでありますね。引っ越しの件」


 にんまりとした顔で田中がそう言った。一方、部室の隅で利根川が嘆息するのには誰も気付かない。


「引っ越し?」


 マリナと田中を交互に見ながら秀人はそう聞き返した。秀人の期待とは裏腹に答えたのは田中の方であった。


「Yesであります。部長。Ma’amマムは春から寮に引っ越すんでありますよ」


「へえ、自宅だったんだ」


 初めて知ったのか、野依が感心したようにそう言った。そんな野依にマリナが答えた。


「ええ、まぁ。今は自宅と言う事になるわね」


 そう答えるマリナに秀人は何か違和感を覚えていた。しかしその原因を探る前にマリナは慌てて話をそらせた。


「そういえば大江さん、何か妙に神経質になっていなかった?」


 秀人も大江の態度が何かおかしいとは思っていた。しかし今はマリナの事で頭がいっぱいだ。何か妙なのはマリナの方だろうと言い出したかったのだ。それでも確証がない以上、口に出す事は躊躇われる。秀人が逡巡している間にも、マリナの意図通り話は大江の方へと移っていった。


「確かにいつも以上にぴりぴりしていたかなあ」


 偽コーヒーを飲みながらそう言う野依に田中も肯く。


「そうでありますよね。何か急に起こり始めた感じであります」


「あの女はいつもあんな感じだろう」


 マリナの方を盗み見ながらも秀人は田中たちに話を合わせる。


「それについてはセプティに心当たりがある」


 やにわに足下からセプティの声が聞こえてきた。ハコイヌを避難させていたセプティは、大江と執行部員が去ったと知って、籠の方から戻ってきたのだ。


「セプティは先程の執行部員たちの会話をモニターしていた」


 そう言えば執行部員たちが何事かひそひそ話をしていたな。秀人はその事を思い出した。


「周囲にも聞える可能性があったのでプライバシーの範囲とは認められないので再生も可能」


 そう言いながらセプティは机の上に昇ってくる。


「よし、許可する」


 マリナの事も気になるが、今は何か問いかけられる雰囲気でもない。秀人は取り敢えず大江の件を優先した。


 秀人が承認するや机の上に乗ったセプティのリボンが明滅する。光の点はやがて『PLAY』の文字になった。


『ほら、野口先輩が卒業するから』


『副会長は野口先輩に入れ込んでいるからなあ』


『卒業する前に認めて欲しいんじゃね?』


『いや、あれは認めて欲しいだけじゃなくて……』


 どうやらそこで大江が一瞥をくれたようで、執行部員たちの会話はそこで録音が終わっていた。


「ちなみにリボンがスピーカーの振動板になっている。規格外のリボンを付けると音声の再生に支障をきたすので注意」


 Tipsのつもりなのか、セプティがそう付け加えた。


「規格品のリボンはアマゾンでも入手できるのか?」


 そう尋ねる秀人にセプティはきっぱりと答えた。


「近日発売未定」


「アクセサリーの充実は必要だと報告書には書いておくか」


「今の話だと、大江さんは野口先輩が卒業する前に、自分の功績を認めて欲しいんじゃないかしら」


 マリナはみんなが自分の件を思い出す前に、大江の話を進めようとする。田中はまんまとそれに乗ってしまった。


「公約の方針も同じでありましたからね。川端会長と大江副会長はソリが合わないようでありますから、せめて卒業前にいいところを見せておきたいのかも知れません」


「大江さん、卒業に神経質になってるように思えたけど、そのせいかもね」

 マリナと田中の会話にセプティが首を傾げる。


「なぜ卒業に拘る? 卒業はそんなに大切か?」


「そりゃあ学園生活としては最大の区切りだもの」


 そう言うマリナにまたセプティは首を傾げた。

「検索した。前生徒会長の野口騎一郎は彩星学園大学経済学部へ進学する。経済学部の校舎は同じ敷地内。いつでも会える」


 確かにセプティの言う通りだが、彩星学園は大学施設まで含めると、その施設は工大だ。秀人は苦笑した。


「いつでも会えるってなあ。高等部の敷地から経済学部までは、バスでも軽く十分はかかるぞ」


 秀人はそう言うが田中は意見を異にするようだ。


「バスで十分くらいならどうって事はないでありますよ。自分は自宅からバスと地下鉄で一時間ほどかけて毎日登校してるであります。外国よりはずっと近いであります」


「いきなり外国を持ち出されてもなあ……」


 そうぼやく秀人の耳にマリナのつぶやきが飛び込んでくる。


「そうよね、外国よりはずっと近いわよね」


 おやっと思い秀人はマリナの方へ支線を巡らせた。しかしマリナは何事もなかったようにセプティへ話しかけた。


「じゃあセプティの為に卒業に関する調査をしましょうか」


「確かに卒業には興味がある。大江の態度にも興味がある。卒業に関する調査はやぶさかではない」


 セプティはそう答えた。その様子を見ながら秀人は考えを巡らせていた。どうも大江はマリナについて何か知っていそうだな。マリナ自身から何か聞き出すのは難しそうだが、大江からならば何かつかめるかも知れない。


「よし分かった」


 頭を切り換えた秀人は言った。


「それではまず大江の調査からだな。どうやら野口前生徒会長の卒業までに、自分の功績を認めて貰いたいようだから、まずなぜそのような行動に出るのか。それを探るとしよう」


「また生徒会絡みになるわよね」


 マリナはうんざりとした顔で秀人を見ながら言う。


「川端くんに迷惑がかかりそうね」


 そんなマリナを秀人は笑い飛ばす。


「わはははははは、それもまた生徒会長の仕事だ!」


「先生、単に面白がってるだけでしょう」


 偽コーヒーを飲み干した野依がそう言うが、田中は何かいい事を思いついたようでポンと手を打った。


「でもこのチャンスに大江副会長の弱みを握っておくのも良いかと思うでありますよ」


「うむ、それもいいだろう」


「さっきと言ってる事が違うじゃないの!」


 食ってかかるマリナを無視して秀人はメガネの位置を直し、明後日の方向を指さして言った。


「これはあくまでセプティのハンドリングの為! そのついでに大江副会長の弱みを握ってしまうのはあくまで不測の事態なのだ」


「不測の事態って、想定してるじゃないの」


 マリナのもっともな突っ込みを無視して秀人は続けた。


「いざ行かん、大江副会長の調査へ!」


 セプティもそんな秀人の頭の上へ飛び乗る。

「いざ行かん」


「だからセプティは秀人の真似をしないの!」

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