05-02/情報家電に恋の理解は難しい-その2

 ぼそりとつぶやいた田中にマリナは尋ねる。

「なにか言った?」


 笑顔で尋ねるマリナに田中は慌てて頭を振った。

「いえ、何でもないでありますよ」


 田中は『ドリンク専用』と書かれたビーカーに試薬と精製水、そして撹拌子を入れると電磁攪拌機に乗せた。電磁攪拌機とは磁力により液体を撹拌する為の装置。セラミックやプラスティックでできた撹拌子の内部には永久磁石が入っており、攪拌機本体内部の電磁石による電磁誘導により回転する。外部との接触をできるだけ少なくして液体を撹拌する為の装置である。


「これが電磁攪拌機」

 秀人の頭の上からセプティが身を乗り出して尋ねた。


「確かに電磁攪拌機は大変便利そうだが、普通に硝子棒でかき混ぜてはいけないのか?」


 ちなみに計量スプーンで試薬を混ぜるのは御法度である。セプティのもっともな質問に秀人やマリナ、田中や利根川も顔を見合わせた。そしてしばしの後、秀人が口を開いた。


「普通に混ぜちゃつまらんだろう」


 秀人の言葉にマリナたちも肯いた。秀人の頭の上でセプティはしばしきょとんとしていたが、やがて押し切られるようにして肯く。


「そうか」


 研究所部特製ドリンクは最後にソーダメーカーで作った炭酸水で割ってできあがり。田中は撹拌子が入ったままのビーカーを秀人に渡した。続いてマリナに紅茶のカップも渡される。セプティには専用の小さなカップが渡され、利根川には白牛乳のパックがそのまま。ハコイヌには更に入れられた子犬用ミルクが用意されている。田中自身は何やら鮮やかな色合いをした液体が注がれたビーカーを手に取る。


「なに、それ?」


「食用色素ドリンクであります! Ma’amマム!]


「……あ、ああ。そう」


 それ以上、深く訊かない方がいいと思い、マリナはそうとだけ返答した。


「野依がいないが、まぁ始めてしまうとしよう。それではまず乾杯!」


 秀人が乾杯の音頭を取るが、その前にハコイヌはミルクを舐め始めていた。


「乾杯って……。そもそも何が始まるのか聞いてないわよ」


「それは当然、この俺の学会への復讐……」


「そもそも何が始まるのかきいてないわよ!」


 セーブはしているつもりだが、マリナは声に怒気を込めつつ声量を上げた。びくんとしてハコイヌが顔をあげ、秀人も思わず耳を押さえた。


「分かった分かった。マリナは新入部員だからな。まだ……」


「新入部員というわけじゃないわよ。あくまで生徒会の要望で一時的に在籍しているだけ!」


「分かったからデカい声を出すな! 三年生の追い出しパーティーなのだ。これも研究所部の伝統だ」


「三年生……?」


 マリナは秀人のその言葉にきょとんとして部室内を見回した。


「そういえば三年生の幽霊部員がいたわね。それでその人はどこにいるの?」


「さぁな」


 秀人は即答した。


「さぁなって……。その人が主賓なんでしょ?」


「そういう事になるが、来ないのだから仕方がない。マリナも知っているだろう。三年生は完全な幽霊部員で一度も部室に顔を出した事がないのだ」


 秀人が言うまでもない。そもそもマリナが研究所部に関わる羽目になった要因の一つがその三年生の幽霊部員なのだ。三年生の幽霊部員が卒業、研究所部がクラブ活動に必要な最低人数を割ってしまった為、マリナが一時的に部員になったのである。


「セプティに検索して貰えばすぐに呼び出せるんじゃあ……」


「名前を公表しないという条件で部員になってもらったのだ」


「意味ないじゃないの!」


「いいや、意味は有るぞ。おかげで研究所部がこの一年間、ちゃんと活動できた」


「ちゃんと活動してないじゃないの」


「いいのだ。これが研究所部の活動なのだ」

 秀人は自慢げにそう言う。

「そもそもその三年生も一年間、見事に幽霊部員をやり遂げたのだ。それなりのポリシーがあるのだろう。ならばそれを尊重してやるべきではないのか? どうだ?」


「どうだと言われても……」


 今まで一度も部室に顔を出した事がないのならば、無理に主賓として呼びつけパーティーを催すのも、確かに問題がありそうだ。


「まあ一つの区切りとしてはいいかもね」


 マリナは少し考え、自分に言い聞かせるようにそうつぶやいた。


「うむ、そうだろう。それでは改めて……。乾杯!」


 再び秀人が音頭を取り、皆は手にしたカップやビーカーを口元へ運ぶ。セプティも秀人の頭の上で、両手にティーカップを持ち、盃を仰ぐように紅茶を飲んでいた。


「あ~~、遅れて申し訳ないっす。もう始まってますか?」


 乾杯が終わった直後、ドアが開いて野依が飛び込んできた。


「遅いぞ、野依!」


「すまないっす。あ、俺、いつもの」


「いつものでありますね!」


 田中は敬礼するとまたキャビネットから何か取り出す。茶色の色素に香料のようだ。さらに無水カフェインも取りだした。


「今度はなに?」


「偽コーヒーであります。Ma’amマム!」


「偽コーヒーって……。ひょっとして色素と香料でコーヒー風の飲み物を作るわけ?」


「Yes! Ma’amマム!! であります!」


「普通にコーヒー飲めばいいのに」


 キャビネットに置かれたコーヒー豆やインスタントコーヒーを見てマリナは嘆息した。

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