01-11/セプティが来た-その11

「ワン!」


「きゃあ!」


 突然、犬の鳴き声が響き続けざまに悲鳴が上がった。案の定、バスケットの中に入っていたのは犬だったのだ。突然、蓋を開けられて興奮したのか、犬は続けざまに吼える。


「わんわん!」


「落ち着け」


 セプティは犬の首根っこに抱きついてそう言う。一方、マリナと田中は思わず歓声を上げた。


「うわぁあ可愛い」


「子犬でありますよ、Ma'amマム!」


 二人は秀人を押しのけ、セプティと一緒に子犬を抱き上げた。


「コーギー種のミックスね。誰か飼ってるのかしら」


「自分、知ってるでありますよ。この子は確かクラブ棟のみんなで面倒見ている子犬であります」


 子犬を代わる代わる抱くマリナと田中にセプティは何やら不満げな顔だ。


「セプティも子犬を抱っこ、抱っこ」


 そうは言うが当のセプティもその子犬の首根っこにしがみついている状態だ。


「抱っこするって、セプティも子犬と同じくらいの大きさでありますよ」


「抱っこ」


 だだをこねるセプティに根負けしたようにマリナと田中は子犬を近くの机の上に下ろす。セプティは満足げに子犬にしがみついた。子犬もまんざらではないのか、セプティの顔をペロペロ舐め始めた。


が犬に興味を持つなんてねえ。これも第七世代の特徴かしら?」


 じゃれる子犬をあやすセプティを見て、マリナは興味深そうにそう言った。しかし秀人は醒めた様子だ。


「ユーザーが興味を持たない物に関心を示しても意味は無いだろう」


「あら、そうも言えないわよ。ユーザーに今までにない経験を提供するのもスマホムの仕事じゃないの?」


「現行のコンシェルジュ機能には『新たな発見』や『新たな経験』というカテゴリーもあるんだがな」


「それは知ってるわよ。でも実際に目の前で経験してるのを見るのと、単にデータを羅列されるんじゃその説得力は違うんじゃないの?」


「それは……」


 反論仕掛けた秀人だが、しばしの黙考の後に肯いた。


「なるほど、それもそうかも知れないな」


「あら、嫌に素直じゃないの」


 皮肉げにそう言ったマリナに、秀人は口をへの字に曲げて見せた。


「マッドサイエンティストだっていつも偏屈というわけじゃない。認めなければならない事実はちゃんと認めてやる」


「まぁ当たり前なんだけどね」


 そう言って笑うマリナだったが、次の瞬間セプティが言った言葉にはさすがに驚きを隠せなかった。


「この犬はセプティが面倒を見る」


「……は?」


 マリナは思わず秀人と顔を見合わせてしまった。そんな二人の様子に自分の言いたい事がうまく伝わってないと思ったのかセプティは改めて言い直す。


「誰かが飼っていないのならば、この犬はセプティが面倒を見る」


「待て、おい。が犬を飼うのか?」


 後ろで聞いていた野依も首を突っ込んできた。


「そんな話、聞いた事ありませんよ。先生」


「まさに前代未聞でありますね。部長」


「そう、それ! セプティは前代未聞」


 セプティは自慢げにそう言った。


「だから先生じゃなくて所長だ。部長じゃなくて所長だ」


 野依と田中の言葉を訂正してから秀人はセプティへ向き直る。


「駄目だ駄目だ。お前のハンドリングだけでも面倒なのに、その上、犬まで飼えるか!」


「飼うのではない。セプティが面倒を見る」


「同じじゃないか」


「違う」


 セプティは上目遣いでじっと秀人を睨み付けた。その横では犬もセプティに倣って秀人と睨み付けていた。


「セプティがハコイヌの面倒を見る。ハコイヌはセプティの友達」


「ハコイヌ?」


 鸚鵡返しに尋ねる秀人にセプティは子犬の首にしがみついて答えた。


「箱に入っていたからハコイヌ」


「分かり易いわねえ」


 苦笑するマリナだが、セプティは得意げな顔で周囲を見回した。


「そもそも神聖な研究所に犬を入れるなどと……」


 説教しようとする秀人を野依と田中がなだめる。


「まぁまぁ先生。俺は構わないっすよ。犬くらい」


「自分も犬が居ても良いと思うであります。研究や実験の合間に和めると思うでありますよ」


「う~~む」


 野依と田中からもそう言われては秀人も一概には否定できない。


「あたしもいいわよ。……あ、別にこれは研究所部員として言ってるんじゃなくて、ただの一般論だからね」


 マリナにもそう言われた秀人はほぼ折れたが、念の為、意見表明をしていない残り部員一人にも声をかけた。


「利根川はどうなんだ?」


「ボクは別に……」


 素っ気なく答える利根川だが、どうにもいつもとは声の調子が違う。それに聞えてきたのもいつもとは違い場所からだ。部室の隅にあるPCとCRTの前からではなく、ドアの外から聞えてくるではないか。


 秀人たちが頭を巡らせると、廊下に出た利根川がドアの隙間から部室の様子を伺っているではないか。


「え~~と……」


 秀人は首を傾げたが、野依はすぐに気付いたようだ。


「あ、じゃあさっきの悲鳴って……!?」


「か、関係ない! ちょっと驚いただけだ」


 いつも感情を表に出さない利根川だが、今回ばかりはかなり慌てて否定した。


「そうか。利根川が犬を苦手にしてるんじゃ仕方ない……」


 秀人はそう言いかけたが、利根川はおそるおそる自分の席へ戻りながら言った。


「だから関係ないって言ってる。別に犬が苦手とかそういう事は無い」


「……」


 セプティはそんな利根川を無言で見つめていたが、やがてハコイヌの首に捕まったままで机の上をPCへ近づく。


「ハコイヌ」


 もうそれが自分の名前と分かったのか、セプティにそう呼びかけられたハコイヌはワンと元気よく答えた。


「ひゃああ」


 ただ鳴いただけなのに、利根川は情けない声を挙げて縮こまる。


「普段クールな利根川が犬を苦手にしてるとはなあ」


「ひょっとしてギャップ萌えとか狙ってるでありますか?」


「ち、違う! だからちょっと驚いただけだ」


 セプティはそんな利根川に向かって尋ねた。


「セプティがハコイヌの面倒を見てもいいか?」


「い、いい。構わない」


 現実から逃れるようにCRTを見つめ、ハコイヌから目をそらせたままで利根川は答えた。


「毛が機器に入り込んだり、いたずらをしなければ問題ない」


 利根川の回答にセプティは満足げに肯くと秀人の方へ向き直った。


「承諾してくれた」


「案外、押しが強いな」


「案外ではない」


 セプティは秀人を訂正する。


「セプティは当然、押しが強い」


「あ~~、はいはい」


 その答えに秀人は嘆息するしかなかった。


「でもが犬を飼いたいというのは実に興味深い展開ね。ハンドリングデータとしても貴重だし、うまく行けば第七世代のセールスポイントにもなるわね」


「ふ~~ん……」


 そう言うマリナを秀人はまじまじと見つめた。


「な、なによ?」


「ノリノリじゃないか」


 どこか醒めた口調でそう言う秀人にマリナは真っ赤になる。


「べ、別にあたしはノリノリとかそういうんじゃなくて、ただ興味というか好奇心からそう言っただけよ」


「セプティのハンドリングを断れば研究所部は廃部になる。マリナが研究所部入部を断っても廃部だ。そっちの方が都合がいいんじゃないのか?」


「あたしは純粋にセプティへの興味が出てきただけよ。別に研究所部や秀人がどうなろうと知った事じゃないわよ」


「ツンデレ! それはツンデレでありますよ、Ma’amマム!!」


「しかも金髪ロングの優良物件だしなぁ」


 色めき立つ田中と野依にマリナは真っ赤になって反論する。


「人をマンションか何かみたいに言わないで!」


 その声に机の上のハコイヌは驚いたようにバスケットの中へ戻ってしまった。


「よろしい!」


 秀人は頭の上に上げていたメガネをかけ直すと、例によって芝居がかかった態度で言った。


「それではマリナも研究所部員の一員となってセプティのハンドリングを手伝う事を了承したのだな!?」


「それは、まぁ……。構わないわよ、別に」


 マリナは罰の悪い顔で秀人から視線を逸らせながらそう答えた。


「よし、決定だ! 晴れて研究所部は存続! 真理探究の牙城は守られたのだ!! 皆のもの、勝利の炎色反応実験だ! むははははは!!」


「どうしていちいち炎色反応を見るのよ!」


 突っ込むマリナに構わず、セプティは勝利宣言をした秀人の白衣にしがみつくと、そのまま身軽に頭の上までよじ登る。そしたまた仁王立ちになると言った。


「話がまとまったようでなにより。それではよろしく頼む」


 頭上のセプティを秀人は上目遣いで睨む。


「人に何かを頼む態度じゃないぞ、それは」


「セプティは前代未聞!」


 秀人の頭の上でセプティは誇らしげにそう言った。

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