01-07/セプティが来た-その7

 そんな平賀から目を背けるようにして、マリナはぶつくさと『そーよ、この人には何を言っても無駄なのよ』とつぶやいていた。平賀はそんなマリナに目を付ける。


「おや、これはマリナちゃん。研究所部に入る気になったかな? 君が研究所部に入ってくれれば、我が部の将来も安心だ。廃部なんて事にならないだろうな」


 今しがた上空から自由落下してきた割には、ちゃんとことの成り行きを把握しているようだ。


「あの~~、平賀先輩。あたしは確かにとしての平賀先輩は尊敬していますが……」


 その部分だけ必要以上に力を込めて言ってから、マリナは普通の調子に戻って続けた。


「研究所部の件でしたら、これはあくまで高等部の問題なので……。OBとして心配されるのも分かりますが、正直口を挟まないでいただけますか」


「うむ、そうだな。僕が言いたいのはまさに研究所部の問題なのだ。実は僕としても廃部は困る。OBとしてだけではなく、現在僕が協力企業と進めているプロジェクトとしても大変困るのだ。これが」


「困る?」


 秀人は平賀の言葉に首を傾げた。


 田中や野依、利根川たちも顔を見合わせている。自他共に認める天才平賀の口からそう簡単に『困る』等という単語は出てこないからだ。


 しかしその反応も平賀にとっては計算済み。現研究所部部員が興味を示したところでおもむろに話を切り出した。


「実は研究所部に依頼したい事が有る。これは研究所部でないと無理な案件なのだ」


 そう言うなり平賀はポケットから一通の洋封筒を取り出しそれを秀人に渡した。何気なく裏面を見た秀人だが、そこにあるマークを見て思わず肌が粟立つのを感じていた。


 アイザック・ニュートンをモチーフにしたという、リンゴの木とその下に立つ人のマーク。


 世界でもっとも有名な多国籍IT企業マールムコーポレーションのマークなのである。しかしそれだけでならば驚くには値しない。マールムコーポレーションが彩星学園の協力企業で有り、各種各様のやり方で生徒、学生たちが研究開発に参加しているのも周知の事実。

 マールムのマークが入った封書や書類は学園内のあちらこちらに散らばっているはずだ。


 秀人が慄然とさえしたのは、そのマークの下に認められたサイン。わずかにペンのインクがかすれているところを見ると肉筆。それも書かれてからそう時間が経っていない。そしてそのサインはネットや本で見知った限り、当人のものとしか思えない。


「タケオ・スティーブンス……」


 秀人がつぶやいたその名に、マリナと研究所部員の間にもざわめきが広がる。この手の分野にはまったく素人である大江もさすがにその名は知っていた。


「タケオ・スティーブンスって、あのマールムコーポレーションCEOの!?」


 タケオ・スティーブンス。現マールムコーポレーションCEO。


 マールム創業メンバーの一人でありながら、社内抗争に敗れ一時退社。その後、業績低迷に陥っていたマールムに戻るなり、わずか数年で世界有数の企業に育て上げた伝説的な技術者にしてカリスマ経営者。それがタケオ・スティーブンスなのだ。


 覗き込んだマリナも封筒のサインを確認した。


「本物……、みたいね」


 マリナは何度かタケオ・スティーブンスの直筆サインを直接見ている。そのマリナが言うのだから間違いない。しかしサインを確認したマリナが不快そうに眉をひそめた事に気付いたのは平賀だけだった。


 秀人は何も言わずペーパーセメントでのり付けされた封筒を開いた。中に入っていたのはタイプライターで打たれた手紙。あまり英語には堪能とは言えない秀人だが、平易な英文で書かれていたので概ね意味は理解できた。


「第七世代スマホム開発研究への協力要請? タケオ・スティーブンスCEO直々に……? 俺たちに新世代のハンドラーを依頼だって?」


 そこには人工知能搭載自律行動型携帯情報端末ことの第七世代と呼ばれている新型機種のテストと教育、調整に参加して欲しい旨が記されてあった。


 それはいわゆるハンドリングとも呼ばれている作業で、それを担当する人間は訓練士ハンドラーと言われている。


 文末にはまたタケオ・スティーブンスの直筆サイン。便箋の日付によると、これが書かれたのは今日のようだ。


「平賀先輩!」


 一番最初に我に返ったのはマリナであった。


「一体どういう事ですか!? 平賀先輩がマールムの第七世代開発チームに協力しているのはみんな知ってますけど……」


「やぁ、説明的な台詞ありがとう。マリナちゃん。それで一体誰に説明してるの?」


「確認したんです!」


 からかう平賀にマリナはむきになって言い返した。そんなマリナをおちょくるように平賀は続けた。


「言って置くけど、僕は別に研究所部存続の為、わざわざ新型スマホムのハンドラーをお願いしたわけじゃないからね。そもそもあのタケオ・スティーブンスが一クラブの為にこんな事をすると思うかい?」


「それは……、確かにありませんけど」


 マリナは奥歯に物が挟まったような言い方で答えた。それでマリナを納得させたと思ったのか、平賀は大江の方へ頭を巡らせる。


「でだ、大江副会長くん。この件は先程、生徒会長の川端くんにも話して置いた。そういう事ならばやむを得ない。いくつかの条件をつけて研究所部の活動継続を認めてくれるそうだ。廃部は先送りだ。まあ暫定的措置だけどね」


「会長が!?」


 大江にとってはまったくの寝耳に水だった。


「まったく、あの人は副会長である私に相談もなく独断で……! マーチ、会長に連絡を……」


 そう指示されたコアラのぬいぐるみは答える。


「川端生徒会長のアドレスは記録されておりません。電話番号も自宅の固定電話のものです。現時点で川端生徒会長が帰宅している可能性は低いと思われますが、自宅の固定電話に連絡しますか?」


「まったく! あの人はどころか携帯やタブレットPCも持ち歩かないんだったわね」


 そう言うなり大江は生徒会室がある校舎の方へ駆け出す。その途中足を止め、待機していた執行部員たちに向かって言った。


「あなたたちは部長の湯川くんと研究所部員、それから平賀先輩と江崎さんを監視していなさい! 川端生徒会長に事実関係を確認してくるわ。何かあったら私のへ連絡してね」


「え、あたしも監視対象なの?」


 驚くマリナに答える間も惜しみ、大江は生徒会室へ向かった。大江を見送ると、マリナは改めて平賀の方へ向き直った。


「まったく、川端くんったら。ひょっとしてこれも彼の計算のうちなのかしら?」


 平賀に水を向けるが、いかんせん相手はそれくらいで誘われる玉ではない。


「さぁどうなのかなあ。僕には分かんないや」


 古き良きアメリカのコメディ映画のように肩をすくめてみせる。


「それくらいじゃ誤魔化されません! 一体誰が糸を引いていたんですか!!」


 持ち前の大声を張り上げるマリナに平賀は大げさに耳を塞いで見せた。


「おお、恐い恐い。美人が台無しだよ、マリナちゃん」


「これくらいじゃ台無しになりません」


Ma’amマムも大した自信でありますね」


 そんなやりとりに田中が笑う。そんな中で秀人はまだ厳しい顔つきで便箋を見つめたままだ。すっかり平賀のペースに巻き込まれたマリナはそんな秀人の様子に気付く事も無い。


「ふむ……」


 黙りこくったままの秀人に、平賀は扇子をぱっと頭上へ掲げると言った。


「セプティ!」


 何事かと秀人も顔を上げる。


 マリナや田中たちも平賀へと目をやるが、特に何かが起きる気配はない。平賀自身もそれは予期していなかったようで、慌てて周囲を見回した。


「あれ、どうしたセプティ。出ておいで、セプティ」


 やはり反応はない。平賀は首を傾げながらフライングプラットホームの残骸へと歩み寄る。


「おかしいなあ。降下してくる時までバスケットに入っていたはずなんだが。君たち、その辺にちょっと大きめのランチ用バスケットが落ちてないかい?」


「そういえばフライングプラットホームが落ちてきた時、何か放り出されたような……」


 そう言いかけたマリナだが、その時になってようやくある違和感に気付いた。制服の襟首に何かが引っかかっているようだ。


「え、なに? 虫?」


 しかし虫にしては大きすぎるし重すぎる。感触としては子犬か仔猫。あるいは飼いウサギ程の大きさだ。リスやハムスターよりも大きい。鳥だったら相当、大型になるだろうが、そんな感触でもない。


 結局の所、何がマリナの襟首にしがみついているのかよく分からないのだ。

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