01-05/セプティが来た-その5

 マリナの言う通り、利根川はプログラミングのテクニックでは学園協力企業からも高く評価されている。授業には滅多に姿を現さないのだが、協力企業への貢献度も成績へ反映される学園のカリキュラムでは、それは大して問題視されてはいなかった。


「別に……、評価はどうでもいい」


 利根川はCRTから目を離さず、紙パックの牛乳を一口呷ると、袋の口をちょっと開けて中の総菜パンをそれを頬張った。


「そうだ、評価はどうでもいいのだ!」


 マリナの背後から秀人が勝ち誇ったように言った。


「そもそも人間に真理を評価する事などおこがましい。そんな人間たちに真理の探究者たる我が研究所部を廃止する権利などあるだろうか。いや無い!!」


「あのねえ……」


 マリナはあきれ果てた顔で秀人の方へ振り返る。


「そりゃあ利根川くんは協力企業への貢献度は高く評価されているわよ。でもそれは利根川くんだけ。秀人や他のみんなは成績も怪しいそうじゃないの」


「ははは、そりゃそうだ」


 こちらも組み立て中の機械から目を離さないまま野依が笑う。


「そ、そんな事はないであります! こう見えても自分、国語の成績だけは抜群であります!」


「……念の為、聞くけど他の成績は?」


「あう……」


 マリナの指摘に田中は沈黙してしまった。


「秀人は……。まぁ言うまでもないわね」


「なにを言う。俺はやればできる子なのだ」


 そう言って胸を張る秀人にマリナは即座に反論する。


「やればできる子は、つまりやらなければできないってわけよね」


「なんだ、その理屈は! やると言ったらやる。その時が来ればな。もっともその時がいつになるかは俺が決める。例えば人類の危機とか世界の破滅とか……!」


「そんな緊急事態よりも、利根川くんのような優秀な生徒を研究所部が独占しているのも問題じゃないの?」


「わっははははははは! 利根川を高く評価するというのならば、まず研究所部を高く評価するがいい。学校や協力企業が何と言おうとも、利根川は我が研究所部を愛しているのだからな!! なぁ利根川」


 秀人は上機嫌でマリナの頭越しに利根川へ尋ねた。


「……いや、別に」


 しかし利根川は素っ気なくそう答えた。


「授業中だと他に行くところがないし、他の部活だとあれやれでうるさいし。ここなら何をやってても詮索されないし、それにCRTも沢山ある」


「それかい!」


 思わず突っ込む秀人に横からマリナが詰め寄ってきた。


「ほら見なさい。別に研究所部の成果じゃないでしょ!!」


「いや、待てマリナ。落ち着け。これはだな……」


 秀人が言い訳を思いつくのをマリナが待ってくれるわけもない。


「そもそも秀人が一学期の時に強引な勧誘をしたのは生徒会の調査でも分かっているのよ。利根川くんに一日中自由にPCをつかっていい、CRTも調達する。野依くんには工作機械の購入。田中さんは……、ええと何だっけ」


「イエスMa’amマム! 学校指定の白衣を魔改造しても良いという部長許可を戴いたのであります!」


 鯱張しゃちほこばった敬礼をして田中の方からそう答えた。


「なによイエスMa’amマムって……。と、とにかく! 高等部の一生徒に学校指定の白衣を勝手に改造して着用しても良いと許可する権限はありません!」


「いいや、違う。お前は間違って居るぞ、マリナ!」


 秀人は一向に動じる気配もなく言った。


「実験用白衣とは研究所で着る為のもの! 即ち研究所の最高責任者である研究所部所長にその改造を許可する権利がなくて誰にあるというのか!!」


 その指摘にマリナはわざとらしく考え込んでみせてから答える。


「……そうねえ、学校と風紀委員と生徒会長かしら」


「違~~うッ!」


 秀人は向きになるが、マリナは生徒会長という単語であの事を思い出したようだ。


「まったく、川端くんの言う通りだわ」


「か、川端……?」


 川端の名前に秀人は思わず身構える。


「そう。何を考えているのか、全然分からないって言っていたわよ」


「わははははは、天才の思考など一般人に分かるはずもなかろう。なにしろアインシュタインが相対性理論を提唱した時、本人以外に理解できたのは三人だけだったというからな」


 秀人の的外れな理屈をマリナはさらりと流して続けた。


「まったく小学生の時はあんなに真面目だったのに」


 何気なくマリナが口にしたその言葉に田中が反応した。


「そ、それは本当でありますか! Ma’amマム!!」


「いや、だからあたしは田中さんの先生でも上官でもないから……」


 興味を持ったのは田中だけではない。野依や利根川も顔を上げ、興味津々といった面持ちでマリナの方を見ていた。


 これはまずい! そう思った秀人は慌てて話題を逸らそうとする。


「まあ待て今は研究所部の存続が問題……」


「部長と生徒会長が幼馴染みというのは知っていましたが、小学校の時は真面目くんとは知らなかったであります!!」


「俺も意外だなあ」


 作業の手を休めて野依がそう言う。その奥では利根川も牛乳パックに挿したストローを咥えながら肯いていた。


「真面目というか、その頃からちょっと変な所があったけどね。勝手に理科室に忍び込んで実験をやったり……」


「それはお前も同じだろうが、マリナ!」


「あんたが勝手に巻き込んだんじゃないの!」


「その辺は今からも想像できるでありますね」


「そうだなあ。まあ今ならただ実験するだけじゃ済まないだろう」


 田中と野依はそう言って肯き合った。そんな二人に向き直りマリナは笑いながら言った。


「でもね、普段は図書室で本を読んでばっかりだったのよ。生徒会長の川端くんも一緒にね。秀人は科学系で、川端くんは歴史や経済関係ばっかりで、お互い相手が読んでいる本を難しいとか言い合っていたわよ」


「お~~」


 その言葉に田中と野依、そして利根川さえも感嘆の声を挙げた。


「典型的な大人しくて真面目な少年のイメージでありますね」


「確かに。こっちは意外だな」


 部室の隅にいる利根川も驚きを隠せないようだ。


「ち、違う! それは世を欺く仮の姿であってだな……」


 そう言いかけた秀人ははたと気付いた。またもや芝居がかった態度でメガネの位置を直すとマリナに向かって言った。


「大体、マリナ。お前はそもそも生徒会の人間ではないだろう。なぜこの場にしゃしゃり出てきた!」


「それは……」


 マリナが口を開きかけた時だ。生徒会という単語が出てきたからだろうか。大江が小走りに駆け寄って来て声をかけた。


「あ、あの江崎さん。協力してくれるのは有り難いんだけど、さっきから全然話が進んでないみたいで……」


 そういう大江を秀人とマリナばかりではなく、田中や部室にいる野依や利根川も、ぽかんとした顔で見つめているではないか。


「……え? あ、あの、何か?」


 その視線に当惑した大江がそう言いかけた時だ。秀人たちは一斉に口を開いた。


「「「「「居たんだ」」」」


「居たわよ! さっきからずっと!!」


 秀人とマリナのやりとりに口を差し挟むタイミングを掴みかねていた大江は顔を真っ赤にして言い返した。その勢いに任せて大江は後を続けた。


「とにかく! 江崎さんも言ったように研究所部は廃部。そして研究所部が現在使用している旧クラブ棟一階のA室、B室は一時生徒会の管理に置かれます。分かりましたね」


 しかしそれで素直に応じる秀人なら、ここまで話がこじれるはずもない。


「分からん」


 素っ気なく言い返した。


「第一、三年生の……。ええと、誰だったかさんが卒業してしまうと、確かに一時的に五人以下を切るが、それは他にも同じクラブはあるだろう。なぜ我が研究所部だけが文句を言われなきゃならんのだ」

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