00-02/はじまり、はじまり~~:その2

「……まったく、世話焼かせるんだから!」


 生徒会室から出てきたマリナの口から苛立ちが言葉になって漏れた。

 ただでさえ目立つ容姿のマリナだ。

 学園内ではそれなりの有名人であり、そのマリナが生徒会室から出てくるなり、なにやらぶつくさと当たり散らしているのだから、廊下を行き交う生徒たちの注目を集めるのは必至。

 怪訝な顔で自分の方を見やる生徒たちに向かって、ごまかしの愛想笑いを浮かべたマリナは逃げるように階段の方へ向かう。


 階段の踊り場。人影が途切れた辺りでマリナは制服のポケットから愛用の携帯電話を取りだした。見た目は古めかしい、いわゆるガラパゴス携帯、ガラケーというものだ。しかしそれは外側の筐体だけ。画面も含めて内部はマリナ自身の手に寄って全面的に手が入れられ改造されている。音声入出力、タッチパネル。視線追尾、感情分析、指向性スピーカーetc.と大抵の機能は揃っている。


 携帯に搭載されている人工知能は、カメラのマリナの視線を分析して、即座に目的のメール画面を表示する。


 差出人は江崎・ワイズマン・史郎。マリナの父だ。そしてそのサブジェクトは『留学の件について。至急返信求む』。


「本当、どいつもこいつも……」


 音声入力は起動しているが、音声出力は切ってある。携帯のAIはマリナのひとり言を指示を勘違いしたようで、画面に『返信メール編集画面を開きますか?』というメッセージが表示される。

 マリナが無言で首を振るのをカメラで確認した携帯は、そのメッセージとメール画面を閉じた。


「川端くんもどこまで知ってるのかしらね。秀人は……、まぁどうでもいいけど」


 マリナは自分自身にそう言い聞かせるようにつぶやくと再び階段を降り始めた。


 生徒会室があるのは学園の中央にある事務棟。そしてマリナの行き先は敷地の外れにある旧クラブ棟。その旧クラブ棟に陣取っている相手が目的なのである。


◆ ◆ ◆


『川端くんは難しい本ばかり読んでいるんだね』


 目にも鮮やかな金色の髪を持った女の子が、隣の席に座る男の子に向かってそう言った。


『難しくないよ。君たちが読んでいる本の方が、僕にはよっぽど難しい』


 小学生の割には妙に大人びた落ち着いた口調で男の子はそう言った。隣の席の男の子が読んでいるのは歴史や経済の本。見せて貰っても内容はちんぷんかんぷんだ。彼にとってはそっちの方が難しいのだが、結局の所どっちもどっちという事なのだろうか。


 ぼんやりと彼はそう考えていた。


『あたしたちが読んでいる本はそんなに難しいかなあ。ねえ、どう思う。秀人?』


 彼女の碧い瞳で見つめられると、彼はいつもどきどきしていた。妙にせつなく、そして気恥ずかしくなり、それを悟られまいとつっけんどんな態度を取るのもいつもの事だった。


『難しいわけないよ。昂ノ介は頭がいいのに、ちゃんと読まないから行けないんだ。本は面白いのに……』


 彼が昂ノ介と呼んでいる男の子は、そう言われると必ず首を傾げるのだ。


『そうかな。ちゃんと呼んでいるつもりなんだけどなあ』


 昂ノ助がいじわるをしているわけではないのは分かっている。しかしその態度がいつも妙に癪に触るのだ。もっともだからと言って彼に何か行動が起こせるわけもなく、再び本へ没頭してしまうのも、またいつもの事なのだ。


 開かれた本のページは色鮮やかな写真が掲載されていた。

 赤、青、緑、黄色にオレンジ。それらがきらきらとしたガラス容器に入り、金属製の器具と一緒に並んでいるのだ。彼にはそれが宝石や彫刻のような宝物に見えていた。


『これ面白そうだね』


 ふわりと金色の髪を揺らせて女の子が彼の読んでいた本を覗き込む。


『今度、この実験やってみようか。確か同じ実験器具が理科室にあったよね』


『ビュレットにコニカルビーカーだ。試薬も確かに揃っていたはずだ』


 色鮮やかな呈色反応を示す試薬の写真に彼は胸が躍っていた。自分の手の中で目に見えない物質が反応して、色や温度、姿を変える。その出来事がたまらなく楽しかったのだ。


『やろうやろう! 今日の放課後なら理科室には誰も居ないはずだよ』


 女の子もすっかりその気になってはしゃぎ立てる。そんな二人に昂ノ介はいつものように、大人のような口調で注意するのだ。


『また勝手に理科室に入って実験をしたら、先生に怒られるぞ』


『怒られてもいいよ。実験さえできれば』


 唇を尖らせて彼は反論する。


『危険な実験はしないし、いつも僕と……』


 そう言って彼は金色の髪と碧い瞳を少女へ視線を巡らせる。


 しかし少女の名前がなかなか出てこないのだ。


 僕と、僕と……。誰だっけ?


 名前は覚えているはずだ。ちゃんと記憶には残っている。しかし彼の中の何かが、その名を口にする事をひがんでいるのだ。


『一体どうしちゃったのよ!』


 少女は一際大きな声を挙げた。その瞬間、彼の周囲にあった光景はすべて吹き飛んでいた。


 まったく相変わらずデカい声だ。それだけは昔と変わらないな……。


 すっかり成長して女らしくなった少女は、声を荒らげて彼を責め立てる。


『小学校の時はそんなじゃなかったのに! 一体、中学の時に何があったの!? まさかあの人の悪影響とか言うんじゃないでしょうね!』


 いいや、違う。これは僕が、俺が自分で選んだ道なんだ。誰に理解されなくてもいい。恐ろしく遠回りで回りくどい方法だが、しょせんは凡人である自分にはこの方法しか思いつかなかったのだ。


『なにがあったかだと!』


 自分ではない誰がそう答えた。


『笑止千万! もとよりこの俺は生まれついてのマッドサイエンティストなのだ!!』


『はぁ……?』


 整った顔立ちを不快そうにゆがめて彼女は思いっきり声を挙げた。


『あなたのどこがマッドサイエンティストなのよ! 大体あなたにそんな才能があるわけないでしょ!』


 彼女のその指摘が胸に突き刺さる。その痛みから自分を誤魔化すように彼は叫んでいた。


『才能が無いわけでは無い! それを理解しようとしない連中が多すぎるのだ! 俺はまずそれを理解しない……』


◆ ◆ ◆


「……学会に復讐してやるのだ!! わははははははは!!」


 自分の寝言で目が覚めた。寝ぼけ眼で顔を上げて周囲を見回す彼の姿に、教壇に立っていた教師が腕時計を確認する。


「よし、湯川くんもお目覚めだ。今日はこの辺にしておこう」


 特殊なカリキュラムを取っているだけあって、この学園は授業時間もある程度は教師の裁量に任されている。単位制で生徒は自主的に受ける授業を決めている事もあり、クラスの概念も高校にしては希薄だ。

 生徒がクラス別に教室に集まるのは、朝のホームルームで出席を取る時くらいなもの。学校自体が二四時間体制という事も有り、放課後はもちろん夜間でも授業が行われるのは珍しくない。


 一日の間でクラスメートと顔を合わせるのが朝の数分だけでは、同じクラスと言うだけで親近感など覚えるはずもない。


「今日は155ページ目までだったからな。ちゃんと復習しておけよ。言っておくがリベンジの復習じゃないからな」


 教師の親父ギャグに教室のそこかしこから白けた笑い声があがる。それと共に教室の後にある席から、生徒同士の会話も耳に入ってきた。


「誰、あれ?」


「ほら、あの……の部長よ」


「あ~~、あいつかぁ。でも意外と普通じゃん」


 話をしている生徒たちは声を潜めているつもりなのだろうが、言葉の端々からでも彼は自分の事だと分かっている。

 こうして噂されるのは珍しくもない。すでに慣れっこになってしまっている。


「そうそう、湯川だ。湯川ゆかわ秀人ひでと!」


「し~~ッ、聞えるわよ」


 噂をしている生徒たちも秀人本人に悪いと思ってるのか、大声で話すのは躊躇われるようだ。

 もっともだからといって話をするのをやめるわけもなく、気付かないふりをして鞄に教科書を詰めている秀人の耳にもおおよその内容は聞えてくる。


「でも研究所部の部長って、あんなに地味な人だっけ?」


「そうよねえ。だって研究所部の部長と言ったらいつも……」


 噂話がそこに来るのを見計らい、秀人は鞄の中から勢いを付けてそれを出した。教室に真っ白な布が翻る。


 秀人は噂をしていた生徒たちの方へ視線を向けると、それを馴れた仕草で制服の上からはおった。


 鞄から出てきたのは実験用の白衣。ところどころに原色の染みがついているが、それは言うまでも無く実験中についた薬剤や試薬によるもの。つまり名誉の負傷のようなものだ。


 後ろの席で噂をしていた生徒たちは、実際に秀人と同じ授業を受けるのは初めてのようだ。

 ぽかんとして成り行きを見守っているが、事情を知っている他の生徒の間からは失笑混じりの歓声が上がる。秀人はポケットから黒縁眼鏡を取り出しそれをかける。


「わはははははは! 実に良い睡眠であった!! 夢の中でベンゼン環のインスピレーションを得たケクレのようには行かなかったが、今日も学会への復讐と真理の探究にいそしむとしよう! いざ行かん、我が研究所へ!!」


 そう言うやいなや秀人は白衣を翻して教室から出て行ってしまった。

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